黒川居館跡

2009年05月03日 黒川居館跡ここは中世の土豪千国氏の居館跡である。数度の地震や姫川の浸蝕で、村人が「本丸」と呼んでいた中心部のわずかな部分を残し、南側が広範囲に抜け落ちているが、現在地すぐ後ろの低い所は空濠で、その… 続きを読む 黒川居館跡

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カテゴリー: 小谷村

若杉家の屋敷跡

2008年03月22日 森町 戦国夢街道パンフレット 万歳坂から更に奥に進んで行くと花立茶屋、いぼ取り地蔵、八幡神社と続き、その後普通の道路となり商店もあってその先に若杉家の屋敷跡の看板を見つけました。茶畑になっていて静… 続きを読む 若杉家の屋敷跡

実際寺

2007年12月01日 この寺の境内は天文年中(1532~55)の下曽根中務大輔賢範の居館の跡だという。今も境内から民有地に至る7,80間に堀や土塁を構えた跡が残っている。賢範は武田信重の庶男8代奴白の弟である。その後、… 続きを読む 実際寺

熊野神社

2007年11月24日 上杉謙信の家臣の館跡を探している時に、熊野神社まで来て偶然に城主の館跡と書かれた棒杭を見つけました。近所のお宅で家臣の館跡や城主の館跡のことについて聞いてみましたが、今回はあいにく詳しいことを知っ… 続きを読む 熊野神社

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カテゴリー: 長岡市

了泉寺

2007年11月18日 了泉寺は跡部大炊助の屋敷跡であるとのことで今回立ち寄りました。境内に車を乗り入れてみると少年たちが野球をしていました。最初に彼らに話しを聞いてみたら、住職を呼んでくれました。しかし住職は耳が悪いら… 続きを読む 了泉寺

原隼人佑昌胤屋敷跡

2007年10月28日 信虎に仕えた譜代家老原加賀守昌俊の子で、信玄に登用された。武田軍の陣立てなどを立案する陣場奉行を命じされたといわれ、また信玄の側近、奉行としても活躍した。信玄の晩年には、山県昌景とともに、武田家の… 続きを読む 原隼人佑昌胤屋敷跡