2013年12月31日 森町 戦国夢街道パンフレット この地域一帯は、浜松城の徳川軍と犬居城の天野軍(武田軍)の戦った古戦場である。戦いを優勢に展開した天野軍がこの付近で勝どきをあげたのでここを「万歳坂」と呼ぶようになっ… 続きを読む 万歳坂
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一ノ瀬古戦場
2013年12月31日 森町 戦国夢街道パンフレット 古戦場 一ノ瀬の戦い今からおよそ400年の昔、東海一の武将と言われた徳川家康は、天正2(1574)年4月6日浜松城を出馬して、武田信玄の属将で犬居城主の天野宮内右衛門… 続きを読む 一ノ瀬古戦場
鵜殿渕
2013年12月31日 森町 戦国夢街道パンフレット 天正2(1574)年4月、徳川家康は兵2千を率い、犬居城を指して信州街道を北上した。一の瀬より大久保、田能を経て、気田川のほとり、犬居の瑞雲寺に本陣を張った。たまたま… 続きを読む 鵜殿渕
七人塚
2013年12月31日 森町 戦国夢街道パンフレット この塚は、今を去る四百有余年前、戦国の世に散った武将達の眠る供養の塚です。天正2(1574)年4月徳川家康は、自ら兵を率いて武田方の天野氏の居城「犬居城」を攻めました… 続きを読む 七人塚
権現森
2013年12月31日 森町 戦国夢街道パンフレット 権現森と息つぎの井戸徳川家康が、犬居城攻めをあきらめて引き揚げたのは、今を去る四百余年前の天正2(1574)年4月のことである。撤退する途中、あの猿皮空穂を背負った天… 続きを読む 権現森
田口家の屋敷跡
2013年12月31日 森町 戦国夢街道パンフレット 田口家の家紋二つ葵中野のここ半明(昔は家康にちなみ半命)に、昔から長く続いた田口家という旧家がありました。この田口家の家紋は、徳川家の三つ葉葵ならぬ「二つ葵」という珍… 続きを読む 田口家の屋敷跡
蔵雲院
2013年12月31日 本堂 正保4(1647)年の「蔵雲院門前屋敷諸役免許に関する書状」によると、天方郷18代の地頭山内山城守が、崇信寺5代の助吟和尚を請じて山居に開山したと伝えられます。山門を潜って階段を登ると、正面… 続きを読む 蔵雲院
天方城
2013年12月31日 この城がいつ築かれたかは、はっきりした資料は見当たらないが、応永年代には既に山内対馬守の居城であった。城主天方山城守通興(別号天方四郎三郎)の代になり世は戦国乱世を迎えた。それまで遠江、駿河を支配… 続きを読む 天方城
飯田城
2012年02月19日 築城の年代は定かではないが応永の初め頃、天方城主の山内対馬守が武略をもって飯田の荘を取り、この地に城を築いてここに移り天方城は弟の山城守に譲った。永禄年代、対馬守の子孫、通泰の代に徳川家康に攻めら… 続きを読む 飯田城
崇信寺
2012年02月19日 築城の年代は明らかではないが、室町時代の初期(約600年前)に山内道美(対馬守)が築いたといわれている。永禄の末か元亀の初め頃(約400年前)山内通泰(大和守)の時に徳川家康に攻められて落城し以降… 続きを読む 崇信寺
若杉家の屋敷跡
2008年03月22日 森町 戦国夢街道パンフレット 万歳坂から更に奥に進んで行くと花立茶屋、いぼ取り地蔵、八幡神社と続き、その後普通の道路となり商店もあってその先に若杉家の屋敷跡の看板を見つけました。茶畑になっていて静… 続きを読む 若杉家の屋敷跡
見渡し御朱印
2008年03月22日 森町 戦国夢街道パンフレット 昔、ここ三倉という部落には、久右衛門という百姓がいました。その頃、徳川家康は、武田信玄との戦いに敗れ、ただ一人この三倉村に逃げてきました。大軍に追われて疲れ果てていた… 続きを読む 見渡し御朱印
小国神社
2005年02月12日 小国神社は遠江国一宮だそうで、今回訪れる予定は無かったのですが、現地で真田城(一の宮城)を探索中に「武藤刑部亟氏定は武田信玄に属して小国神社にたてこもったので徳川家康に攻略された」との説明を読んで… 続きを読む 小国神社
真田城(一の宮城)
2005年02月12日 築城の年代は明らかではない。鎌倉時代より武藤氏がこの附近に住んでいて、同氏の居城であったといわれる。元亀・天正のころ(約400年前)、武藤刑部亟氏定は武田信玄に属して小国神社にたてこもったので徳川… 続きを読む 真田城(一の宮城)
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