木原畷古戦場

2013年12月30日 らん塔のお地蔵さん(笹田源吾の墓)戦国時代、袋井市域は徳川家康と武田勝頼の合戦の場となりました。天正6(1578)年頃には徳川方が優勢となり、遠江の武田方の城は大東町の高天神城だけとなりました。武… 続きを読む 木原畷古戦場

小荒間古戦場跡

2013年10月13日 信玄公御座石 天文9(1540)年2月、信濃の村上義清方の軍勢3500余が小荒間に押し寄せ近郷を焼き払ったので、武田晴信(信玄)は旗本を率いてこれと合戦し、勝利を得た所といわれている。晴信が本陣を… 続きを読む 小荒間古戦場跡

小沢川古戦場

2013年08月02日 天文17年7月武田・小笠原の両軍が塩尻峠に戦い、小笠原方三村長親が武田に内応したため、遂に小笠原軍の敗退となって甲軍は松本平にその足跡を印した。爾来5ヶ年武田の軍は安筑の諸城を陥れ、同21年12月… 続きを読む 小沢川古戦場

阿弥陀橋跡

2013年07月07日 元亀3年12月三方原は武田徳川の両軍が合戦をしたが、徳川は武田に追われ小川に来てみると橋が焼けているので家康の臣が、中沢の常楽寺の仏像を持って来て橋をかけて難を逃れた。仏像は臣が常楽寺に返したが背… 続きを読む 阿弥陀橋跡

犀ヶ崖

2013年01月27日 犀ヶ崖資料館 前回訪問した時には夕方だったこともあって中に入ることができなかったのですが、今回は開館中でしたので中に入ることができました。資料館の管理人の方が中を案内してくれて、三方原の地形の立体… 続きを読む 犀ヶ崖

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カテゴリー: 浜松市

大島の古戦場

2010年03月22日 ここは大永元(1521)年今川の将福島正成が侵入し、武田勢と戦った所と伝え、戦死者の供養塔という五輪塔一基が残る。(山梨県の武田氏伝説より) 個人の土地であるとのことで今回特別に許可をもらって撮影… 続きを読む 大島の古戦場

勝山古戦場

2009年12月29日 ①天文7(1538)年7月18日に、ここで小笠原長時・諏訪頼重の連合軍と四度戦って、武田信虎が大勝を博したという。②宇津谷の枝村滝沢組の西南の狐山、東は神田境より南原の中を信玄の戦場と言い伝えてい… 続きを読む 勝山古戦場

韮崎合戦大坪古戦場碑

2009年12月29日 ①韮崎宿の東北の片山の下に位置し、今は田となっている。殿田・旗田(旗を立てた所で八段田と呼んでいる)・信玄平(片山の中段で少し平な所)・伊勢山(信玄平の上で神明を祀る)・大明神坂(穴の明神の跡であ… 続きを読む 韮崎合戦大坪古戦場碑

上田古戦場公園

2009年10月04日 武田信玄が率いる常勝武田軍団が敗れた戦いが、上田の地で二度ありました。それが北信濃に総力をもつ村上義清との間に行われた、天文17(1548)年の上田原合戦と天文19(1550)年の砥石城の戦い(砥… 続きを読む 上田古戦場公園

武田元繁戦死之地

2009年08月12日 安芸の守護は南北朝期初頭から武田氏が信武→氏信と世襲したが、応安4(1371)年に今川了俊に替えられてから、細川氏、渋川氏、山名氏などが歴任し、以降武田氏は事実上分郡の守護職として佐東、安南、山県… 続きを読む 武田元繁戦死之地

坊ヶ峯(勝負ヶ池)

2007年04月15日 棒ガ峰の頂上に小池があり、勝負ヶ池と呼ぶ。常に水をたたえて涸れることなく、旱天の時には里人がここに来て雨乞いをすれば必ず効験があるといわれる。武田五郎信縄の弟油川彦八郎信恵、同四郎義仲らが勝山城に… 続きを読む 坊ヶ峯(勝負ヶ池)

雁望山登り口

2006年05月05日 す「強右衛門のろしをあげし雁峰山」(設楽原古戦場いろはかるた看板資料より)  雁望山は鳥居強右衛門が狼煙をあげた山です。上の俳句の設楽原古戦場いろはかるた看板資料は丸山砦の北側と、羽柴秀… 続きを読む 雁望山登り口

葬沢

2004年09月19日 葬沢(ほうむりさわ)天正10(1582)年、木曽義昌が武田勝頼軍に大勝利を収めた古戦場。この時、ここに武田方の戦死者五百余名を葬ったそうです。(看板資料より) 本沢自然探勝園(葬沢)天正10(15… 続きを読む 葬沢

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カテゴリー: 楢川村