大聖寺

2013年12月22日 建物について当寺の堂塔伽藍は甲斐源氏一統の帰依により巨大かつ荘厳美を極めていたと伝えられているが、時代が下ってからでは慶長3(1598)年と安永5(1776)年に火災で焼失している。現在の建物は安… 続きを読む 大聖寺

南松院

2013年12月22日 正福山南松院正面庭園は夢窓国師作庭と伝えられている。二段式廻廊庭園である、池中の亀石は南松院夫人(武田信玄姉)が穴山信友に嫁ぐ際、父信虎に請い持参したと伝えられる武田家伝来の霊亀石である。新庭園・… 続きを読む 南松院

久遠寺

2013年12月22日 三門 古く寛永19(1642)年、26世日暹上人のとき、伏見宮邦房親王の第8王子尊賀院日廷上人が普請奉行として建築されたが、慶応元(1865)年に焼失し、明治40(1907)年78世日良上人の代に… 続きを読む 久遠寺

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広禅院

2012年04月15日 穴山宗九郎の墓 穴山宗九郎は小山城主穴山氏を嗣いだ穴山伊予守信永をあてる説が有力である。彼は文書に登場する唯一の庶流の人物で、穴山信君が西島の広禅院に廟所を移転させ、供養を行っている。穴山信永は小… 続きを読む 広禅院

天輪寺跡

2012年04月15日 穴山信介の墓 穴山信介は武田信重の子で武田信守の弟。兵部少輔を称し、穴山氏を嗣ぐ。下山天輪寺にあった碑子によれば、父信重に先立って宝徳2(1450)年3月19日に逝去したという。法名天輪寺英中俊公… 続きを読む 天輪寺跡

大島の古戦場

2010年03月22日 ここは大永元(1521)年今川の将福島正成が侵入し、武田勢と戦った所と伝え、戦死者の供養塔という五輪塔一基が残る。(山梨県の武田氏伝説より) 個人の土地であるとのことで今回特別に許可をもらって撮影… 続きを読む 大島の古戦場

伝・飯富兵部の墓

2010年03月22日 古屋弥右衛門昌時の供養塔 宝篋印塔飯富兵部少輔虎昌の遺子古屋弥右衛門昌時(坊磨呂)の供養塔。土中に埋没していたものを再築保存した。(看板資料より) 今回飯富に飯富兵部の墓があるという情報をメールで… 続きを読む 伝・飯富兵部の墓

常葉氏館跡

2010年03月22日 常葉氏は秋山光朝の別れといわれる。館跡といわれる場所の周辺には、城台・御城平・関口・城の下・城の道・木戸口などの関連地名が残されているが、館跡は現在小中学校敷地となっていて館の形態を留めていない。… 続きを読む 常葉氏館跡

東前寺

2010年03月22日 信玄の嫡子義信が父に謀反を起こしたとされる事件の時、常葉氏は飯富兵部に内通していたとして処分された。その供養のために穴山氏の臣馬場氏が、元亀年間(1570~73)にこの寺を創建したと伝えられている… 続きを読む 東前寺

妙園寺

2010年03月22日 祖師堂 妙円寺の境内は馬場丹後守忠次の屋敷跡といわれ、坊平からここに移ってきたと伝える。(山梨県の武田氏伝説より) 参道を登り、途中左側に本堂があって、更に先に進むと祖師堂がありました。桜が開花し… 続きを読む 妙園寺

輪鳴地蔵

2010年03月22日 ①勝坂は旧久那土村から旧富里村へ越す峠で、今は身延線一之瀬トンネルになっている。昔、武田信玄がこの峠で休息した時眠気を催し、夢の中に地蔵様の姿を拝した。信玄は目覚めると腰の矢立を取って、付近の石に… 続きを読む 輪鳴地蔵

龍雲寺

2007年11月18日 華岳山龍雲寺本尊:聖十一面観音開山:悦江聚観和尚開基:穴山甲斐守信綱創立:享禄3(1530)年当寺の前身は、現地より500メートル奥の不動滝の平に不動明王を祀り創庵した。後現地に移った。開基穴山信… 続きを読む 龍雲寺

中山金山

2005年07月03日 中山金山登山口(広河原) 毛無山の山腹には甲斐の武将武田信玄公の採掘した金坑の遺跡がある。これを湯の奥金山という。湯の奥金山には中山、茅小屋、内山の三ヶ所の金坑があり、その中で最も大掛かりに採掘さ… 続きを読む 中山金山

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湯之奥金山博物館

2003年08月25日 湯之奥金山の地図 毛無山の山腹にある中山金山、内山金山、茅小屋金山の三つの金山を湯之奥金山と総称する。高い山の金脈を追った金山衆の技術を示し、江戸期に盛んになる金・銀山の源となった戦国期の金山の姿… 続きを読む 湯之奥金山博物館

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