2014年01月18日 安女の墓吉野本家の墓地を整備した際、孤立していた「安女の墓」を吉野本家の墓域の中(一番右手)に移し、改めて供養したものです。墓前には解説の碑も建立されています。(看板資料より) 山本勘助の母の墓山… 続きを読む 安女の墓(山本勘助母の墓)
史跡の種類: 墓
医王寺
2014年01月18日 山本勘助のお墓生誕地は富士市山本、明応2年吉野貞幸、安女の三男源助として生まれ、12才で三河国牛窪、大林左衛門の養子となり名前を勘助と改めた。しかし実子が生まれたため、35才の時に離縁し山本勘助と… 続きを読む 医王寺
葛山城
2014年01月18日 葛山城は鎌倉・室町・戦国期を通じて、関東一帯に勢力を持った葛山氏の本拠地である。この地には葛山氏が平時居住した館跡と、戦闘に備えて築城した城跡があり、中世城郭の形態を明確に知ることができる数少ない… 続きを読む 葛山城
小山田八左衛門行村墓
2014年01月04日 小山田氏は秩父氏の一流で、発祥地は小山田荘(町田市小山田)である。その祖父有重は、はじめ平家に仕え、平家西国落のとき脱出して東国に帰り源頼朝に属して繁栄したが、頼朝没後その家人の対立激しく、建保元… 続きを読む 小山田八左衛門行村墓
清瀧寺
2013年12月31日 本堂 天正7(1579)年9月15日岡崎次郎三郎信康が信長の口難に逢い二俣城において自刃した。この時浜松へ二俣村役人共が呼び出され、二俣には浄土宗の寺院何ヶ寺あり寺の名は何というか書き出せと仰渡し… 続きを読む 清瀧寺
蔵雲院
2013年12月31日 本堂 正保4(1647)年の「蔵雲院門前屋敷諸役免許に関する書状」によると、天方郷18代の地頭山内山城守が、崇信寺5代の助吟和尚を請じて山居に開山したと伝えられます。山門を潜って階段を登ると、正面… 続きを読む 蔵雲院
大善寺
2013年12月28日 仁王門 武田勝頼主従 投宿の地(大善寺)全国統一を競った武田信玄亡き後の勝頼は、織田徳川連合軍の近代装備と物量の前に敗退し、天正10(1582)年3月3日、郡内の岩殿城で再起を図ろうと韮崎の新府城… 続きを読む 大善寺
最恩寺
2013年12月22日 最恩寺仏殿 当寺は、長久年間(西暦1040年)後朱雀天皇の御代の開創にて本町最古の建立と云われ天台宗に属していたが後に甲斐源氏武田の帰依を受け臨済宗に転宗し現在に至っております。この仏殿は中国宗時… 続きを読む 最恩寺
本能寺
2013年12月22日 伝承によれば、武田信玄の父信虎は天下平定を夢みて、政略のため娘(信玄の妹)禰々を天文9(1540)年11月29日信濃の武将諏訪頼重に嫁がせ、天文11年4月4日一子虎王丸を儲けた。然し、信玄は天文1… 続きを読む 本能寺
椿城
2013年12月22日 本重寺本堂 この城は小笠原次郎長清の孫、上野六郎盛長がここ上野の地に築いたもので、上野城といったが附近に椿が多いところから椿城と呼ぶようになった。その後、武田十世信武の二男信明が観応年間(南北朝時… 続きを読む 椿城
常安寺
2013年12月22日 大梅山常安寺甲斐国社記、寺記の由緒書を要約してみると「大梅山常安寺の由緒について、本尊は行基菩薩の御作による十一面観音で、開山夢想国師の道場であったが、武田弥九郎信義公(穴山第4代信懸)の次男であ… 続きを読む 常安寺
南松院
2013年12月22日 正福山南松院正面庭園は夢窓国師作庭と伝えられている。二段式廻廊庭園である、池中の亀石は南松院夫人(武田信玄姉)が穴山信友に嫁ぐ際、父信虎に請い持参したと伝えられる武田家伝来の霊亀石である。新庭園・… 続きを読む 南松院
円蔵院
2013年12月22日 南部山円蔵院臨済宗妙心寺派の名刹で天文年中に河内領主穴山伊豆守信友が自らの菩提寺として、甲府長禅寺の桂岩和尚を開山として創建したものである。当時の山号は、古城山と称していたが文化年間以降に今の山号… 続きを読む 円蔵院
古長禅寺
2013年12月22日 古長禅寺は、かつて栄えた真言道場の旧跡を正和5(1316)年夢窓国師が再興した禅刹で、現在臨済宗妙心寺派に属し、古くから甲州における禅風高揚の一拠点となったところである。武田信玄は、幼少の頃府中(… 続きを読む 古長禅寺
清泰寺
2013年10月13日 当山は、霊長山清泰寺と称し曹洞宗に属し山梨県北巨摩郡白州町花水に位置している。平安時代末、大治2(1127)年甲斐源氏の始祖新羅三郎義光の子、逸見冠者刑部三郎義清が開基となってこの地に天台宗の寺院… 続きを読む 清泰寺
自元寺
2013年10月13日 自元寺総門 総門は「武田四臣」武田二十四将馬場美濃守信房公(信春)の屋敷(通称梨子の木屋敷)現白州町白須1008-1番地付近から移したものである。四脚門流造り屋根は鉄板葺きであるが元は茅葺きであっ… 続きを読む 自元寺
龍岸寺
2013年10月13日 本堂・庫裡落慶記念碑徳雲山龍岸寺は応永7年武田信成の裔栗原武続入道常俊公が徳雲山竜岸寺を建立。曽て帰依の真言宗海秀法印を請じ開山となす大鏡法印代に殿堂焼失し右真言宗にて星霜を経ること12代更に永正… 続きを読む 龍岸寺
養福寺
2013年10月13日 馬五輪(武田信虎の愛馬:韋駄天栗毛の墓) 2007年01月07日 馬五輪(武田信虎の愛馬:韋駄天栗毛の墓) 須玉インターから国道141号線で清里に向って走っていって箕輪というところあたりに養福寺と… 続きを読む 養福寺
勝栄寺
2013年10月13日 屋代越中守勝永の墓 屋代氏は、代々信濃国埴科郡屋代郷に居を構えていたが、天文・弘治の頃、本州に移り武田晴信の配下に属す。武田氏滅亡後は、徳川家康の幕下で功績があった。元和9(1623)年8月に66… 続きを読む 勝栄寺
信光寺
2013年10月13日 正治年間(1200年)武田氏5代石和五郎信光公ニヨリ創建。当時、真言宗金剛院ト称シ班山々麓ニ所在セルモノ如シ、永正2(1505)年華岳玄桃和尚改宗シテ現山寺号トナル。寛永元(1624)年三枝土佐守… 続きを読む 信光寺
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