姥ヶ懐(武田浪人組陣地、三枝兄弟の墓)

2014年08月15日 姥ヶ懐の地名は、日だまりの、姥の懐のように穏やかで暖かい地形を呼ぶとされ、この地特有の言葉ではないようである。このような所、低くて展望も十分でない。しかも上に登れば、いかにも砦にふさわしい鷹の松が… 続きを読む 姥ヶ懐(武田浪人組陣地、三枝兄弟の墓)

馬場美濃守信房之碑(馬場美濃守信房の墓、同彦五郎勝行の墓)

2014年08月15日 馬場美濃守信房之碑 馬場信房戦死之地から少し南に行ったところに馬場美濃守信房之碑があります。ここには馬場美濃守信房の墓、同彦五郎勝行の墓と書かれた看板があります。また、いろはがるたの看板もあり、「… 続きを読む 馬場美濃守信房之碑(馬場美濃守信房の墓、同彦五郎勝行の墓)

内藤塚

2014年08月03日 善龍寺の内藤塚永禄9(1566)年箕輪城落城後、武田信玄は重臣である内藤修理之亮昌豊に領有一帯の統治を命じ戦災で焼失した善龍寺を満行山と改号させ再建に当らせた。昌豊は後に武田勝頼に従い、長篠の戦に… 続きを読む 内藤塚

天沢寺

2014年07月20日 天沢寺は文明4年亀沢郷の地頭飯富氏が鷹岳宗俊禅師を開山に請じて開基した禅刹で北岳禅林の名で知られている。開基檀那飯富氏は逸見光長の子飯富宗李を祖とする甲斐源氏で子孫は武田家の重臣として亀沢、西八幡… 続きを読む 天沢寺

常楽寺

2014年07月12日 穴山伊予守と一族郎党の廟所 童女のてまり歌にうたわれた「一に花鳥ニに小山三につらいは常楽寺」は、小山城主穴山伊予の悲運を今に伝えています。穴山伊予守は甲斐源氏で南部領主(南巨摩郡)穴山信懸の次男で… 続きを読む 常楽寺

蓮朝寺

2014年07月12日 原加賀守昌俊公の墓 原加賀守は、甲斐の国主・武田家の譜代家老として信虎、信玄の2代に仕えた武田家の重臣で、ことに陣場奉行としてその重責を果す。天文18(1549)年に身延山より蓮朝の法名を受け、当… 続きを読む 蓮朝寺

成就院

2014年07月12日 六角山成就院(浄土宗)当寺院は新羅三郎義光の孫逸見清光が久寿年間(1155年頃)に開創した真言宗の寺で清光院と称した。応永25(1418)年、武田信元が甲斐守護職として入国以来武田伊豆千代丸、続い… 続きを読む 成就院

養安寺

2014年07月12日 浄土宗 養安寺本尊阿弥陀如来由緒當寺儀ハ清和天皇ヨリ六代伊豫守頼義三男新羅三郎義光ヨリ11代武田刑部大輔信成四男栗原十郎武續五代栗原伊豆守信友開基開山ハ晃譽然公ト申ス天文21年4月21日信友卒ス。… 続きを読む 養安寺

諏訪氏安国寺御廟所

2014年05月18日 諏訪頼重が天文11(1542)年に武田氏に滅ぼされて以来、諏訪は武田の統治するところとなった。頼重の叔父諏訪満隣は剃髪して僧体となり、竺渓斉と号して安国寺に諏訪氏の系図と位牌を託し、安国寺や湖南の… 続きを読む 諏訪氏安国寺御廟所

安国寺院墓所

2014年05月18日 天下を平定し足利幕府の大将軍となった尊氏は、当時の名僧夢窓国師のすすめにより、興国6(1345)年にいたって光厳上皇に奏上して全国66ヶ国に安国寺利生塔を造立した。信濃国における安国寺はこの地にお… 続きを読む 安国寺院墓所

正安寺

2014年05月03日 小山田備中の墓 曹洞宗 宝寿山 正安寺要旨正安寺の発端は延久4(1072)年、荒船山麓の館ヶ沢に端を発し、当時付近に7名の農民が住んでいたと伝えられる。「開創」正安元(1299)年に苦水に移り、当… 続きを読む 正安寺

龍雲寺

2014年05月02日 曹洞宗大田山龍雲寺当寺院は鎌倉時代の初め、地頭大井氏(甲斐源氏)の菩提寺(臨済宗)として創建されたが、その後戦火のため荒れ果て、位置も現在地に移った。時あたかも甲斐国主・武田信玄が、信濃の経略が一… 続きを読む 龍雲寺

甘泉寺

2014年03月29日 当山は応安3(1370)年9月に臨済正宗20世弥天永釈大和尚により開山された。時の将軍足利義満公の帰依もあり、御朱印高48石、山林境内20余町歩の寄進があった。和尚の死後、応永22(1316)年、… 続きを読む 甘泉寺

奥平九八郎貞勝の墓

2014年03月29日 奥平家の先祖は上野国に住んでいましたが、南北朝時代、作手に来住し勢力を伸ばしました。戦国時代になって、奥平九八郎貞勝が当主になったころは、今川、織田、武田、徳川の強豪に囲まれていて、家の存続をはか… 続きを読む 奥平九八郎貞勝の墓

広祥院

2014年03月29日 住昔往古は真言密乗の宗旨で深恩院総持寺と称し、創建は吉野朝時代建武年中(約640年前)足利源尊氏公征夷大将軍となり、執権高師重に台命し当地に八幡の社と合併せし堂宇伽藍を建立し、大日如来を本尊として… 続きを読む 広祥院

遊仙寺

2014年03月29日 仙丸の墓 戦国時代奥平氏は、今川、織田、武田、徳川の覇者に囲まれた中で、三河作手に拠点を置き勢力の拡大を図ってきた。元亀元(1570)年武田方であった時、本家奥平貞能は次男仙丸(10歳)と日近の奥… 続きを読む 遊仙寺

香積寺

2014年03月22日 本堂 鈴木五代の墓室町時代から戦国時代にわたり足助城に在城したこの地方を領有していた鈴木氏五代の墓である。足助城興亡の歴史をたどってみると・大永5(1525)年 松平清康2千余騎で攻め寄せる。城主… 続きを読む 香積寺