石筒ヶ根古戦場

2014年03月29日 作手亀山城主奥平貞能は、お家存続のために武田方・徳川方の両方に揺れ動いていた。天正元(1573)年8月20日夜、徳川方に味方することにした一族は、武田勢力の強い作手を脱出し、戦いに有利な宮崎滝山城… 続きを読む 石筒ヶ根古戦場

田原坂旧道

2014年03月29日 額田町史によると、1573(天正元)年に奥平軍は滝山合戦で敗れた武田軍を田原坂まで追って戦った。武田方は奥平定包を殿軍としたがこの戦いで戦死したとのこと。奥平定包は奥平貞勝の伯父にあたる人である。… 続きを読む 田原坂旧道

久保城

2014年03月29日 久保城由来ここは久保城、または稲荷屋敷と呼ばれる城址(史跡)である。作手亀山城主奥平貞昌が戦国時代に築いた城で、男川と稲荷沢に挟まれた尾根の端に位置している。標高は176m、高低差は30mあり、三… 続きを読む 久保城

奥平九八郎貞勝の墓

2014年03月29日 奥平家の先祖は上野国に住んでいましたが、南北朝時代、作手に来住し勢力を伸ばしました。戦国時代になって、奥平九八郎貞勝が当主になったころは、今川、織田、武田、徳川の強豪に囲まれていて、家の存続をはか… 続きを読む 奥平九八郎貞勝の墓

広祥院

2014年03月29日 住昔往古は真言密乗の宗旨で深恩院総持寺と称し、創建は吉野朝時代建武年中(約640年前)足利源尊氏公征夷大将軍となり、執権高師重に台命し当地に八幡の社と合併せし堂宇伽藍を建立し、大日如来を本尊として… 続きを読む 広祥院

日近城

2014年03月29日 本丸 日近城の歴史日近城は標高約270メートル、比高70メートルの尾根の先端に築かれ、守りを意識した山城で、砦、詰城として利用した。広祥院由緒書によれば、奥平三代目貞昌が文明10(1478)年日近… 続きを読む 日近城

華蔵院

2014年03月29日 戦国時代奥平氏は、今川、織田、武田、徳川の覇者に囲まれた中で、三河作手に拠点を置き勢力の拡大を図ってきた。元亀元(1570)年武田方であった時、本家奥平貞能は次男仙丸(10歳)と日近の奥平貞直の娘… 続きを読む 華蔵院

遊仙寺

2014年03月29日 仙丸の墓 戦国時代奥平氏は、今川、織田、武田、徳川の覇者に囲まれた中で、三河作手に拠点を置き勢力の拡大を図ってきた。元亀元(1570)年武田方であった時、本家奥平貞能は次男仙丸(10歳)と日近の奥… 続きを読む 遊仙寺

七人塚

2014年03月29日 戦国時代のお話です。武田氏と徳川氏に挟まれたこの地方の豪族奥平氏は、家の存続を計るためいろいろと苦労をしました。武田方についていた奥平氏は、一族の仙丸、おふう、虎之助等を武田方に人質として出してい… 続きを読む 七人塚

岡崎城

2006年05月05日 岡崎城天守閣 岡崎公園散策マップ 15世紀中頃(室町時代)、西郷弾正左衛門頼嗣(稠頼)が現在の岡崎城の位置にはじめて城を築き、のちに家康の祖父である松平清康が入城し本格的な岡崎城を構えた。1542… 続きを読む 岡崎城