木戸口神社

2016年01月31日 木戸口神社の由来木戸口とは昔の関所の代役をして居た所で此の口を通りて木戸坂、赤渋平、我党場に至り、此の地より二手に別れ一筋は逆さの平から大石峠を経て、松原湖より今の南佐久方面に至り、他の一筋は我党… 続きを読む 木戸口神社

歓喜院

2015年05月03日 永禄4(1561)年9月、武田信玄が川中島合戦に出陣するに際して、この寺に宿泊して、戦勝を祈念するため、本堂の裏面に天照皇大神宮を奉安し鎮守したという。なお、陣鐘一個をも奉納した。この由緒によって… 続きを読む 歓喜院

功徳寺

2015年05月03日 天文15(1546)年栄海上人の草創で湯川山功徳寺と号した。武田信玄が甲州から越後へ往復した際、この寺に宿を取り、湯川山を改めて金台山と名づけた。武田信玄が長野より善光寺の本尊を甲府に移した時、こ… 続きを読む 功徳寺

銭岩

2007年10月07日 <伝説>白樺湖の南岸、湖岸よりおよそ百メートルほど山にのぼったところに、銭岩がある。白樺湖がまだ造られなかった頃のことである(湖は温水留池として昭和20年度完成)。地元のある人が、炭焼… 続きを読む 銭岩

音無の滝

2007年10月07日 <伝説>武田信玄と音無川川の瀬音がうるさくて、軍議ができないので大声で「うるさい」とどなった。信玄のひと声で、川の瀬音がなくなったことから、この川を音無川と呼ぶようになったと言われてい… 続きを読む 音無の滝

音無川

2007年10月07日 <伝説>武田信玄と音無川戦国時代のすぐれた武将で知られる、甲斐の武田信玄が、越後の上杉謙信との北信濃の川中島での決戦のため、何万という大軍をひきつれて、諏訪へ入り、八ヶ岳のふもとの棒道… 続きを読む 音無川

金鶏金山

2005年08月27日 金鶏金山付近略図 由来金鶏金山は金の鉱脈が鶏の形で埋蔵されているとの伝承で名付けられ発掘は永禄の頃(1558)、武田信玄公の時代で甲州金24万両の金山のひとつである。今までに鶏の片羽の部分のみが掘… 続きを読む 金鶏金山

金沢峠

2005年08月27日 金沢峠への入口 上伊那郡高遠町と茅野市金沢(旧金沢宿)を結ぶ峠で、松倉峠ともいう。標高1315mである。この峠は中世以来、諏訪と上・下伊那を結ぶ重要な交通路で、鎌倉幕府に仕えた伊那の藤沢氏一門は、… 続きを読む 金沢峠

干沢城

2014年05月18日 樋沢城址(干沢城)上原城・桑原城と上川沖積地をはさんで鼎立し、安国寺城とも呼ばれて、宮川を裾にひかえた極めて要害な山城である。諏訪大祝の居館であった前宮を扼し、古くから前宮を守るための重要な砦とし… 続きを読む 干沢城

安国寺院墓所

2014年05月18日 天下を平定し足利幕府の大将軍となった尊氏は、当時の名僧夢窓国師のすすめにより、興国6(1345)年にいたって光厳上皇に奏上して全国66ヶ国に安国寺利生塔を造立した。信濃国における安国寺はこの地にお… 続きを読む 安国寺院墓所

安国禅寺

2014年05月18日 泰平山 安国禅寺の由来延元3(1338)年に天下を平定し、征夷大将軍となった足利尊氏は当時の名僧夢窓国師の勧めに後醍醐天皇はじめ元弘以来の戦乱によって死傷した人々の菩提を弔い、あわせて足利幕府の威… 続きを読む 安国禅寺

塩沢寺

2015年05月03日 右霊位は塩沢区森元秋恵家に永く祀られありしも森元家としても院号の法名を有する心当たりもなく謎として今日に至る。たまたまNHKのテレビドラマ「武田信玄」により武田家滅亡の経緯について研究も進み今迄高… 続きを読む 塩沢寺

朝倉城

2015年05月03日 朝倉城の絵図 朝倉城は塩沢城とも云えり、天文年間、塩沢安兵衛なるもの、武田信玄に従い信州大門の合戦に特功あり、朝倉城押仰付けらる。その子将監もまた城主となる。朝倉山は、小県、佐久の二郡に対する重要… 続きを読む 朝倉城

中の棒道

2015年05月03日 中の棒道は、甲州の大井ヶ森から諏訪に入り、乙事、立沢、中新田、八ツ手、山田、南大塩、芹ヶ沢、湯川、柏原を経て大門峠から小県の大門に達している。(看板資料より) 2004年06月19日 中の棒道は、… 続きを読む 中の棒道

お茶清水

2015年05月03日 信玄のお茶清水このお茶清水は、江戸時代には信玄のお茶の水とも呼ばれ、信玄が建設したといわれる軍用道路のいわゆる「中の棒道」沿いにあって、信玄が北信濃攻略の途次、お茶を飲んだといわれる泉である。この… 続きを読む お茶清水