2013年12月30日 久野城の築城時期は、駿河に本拠を持っていた今川氏が遠江へ侵攻するための拠点として、明応年間(1492~1501)頃に造ったと考えられている。歴代城主は、久野宗隆-元宗-宗能、松下之綱-重綱、久野宗… 続きを読む 久野城
史跡の種類: 城跡
各和城
2013年12月30日 永源寺本堂 各和城の正確な位置は詳らかではないが、木戸口・堀ノ内と呼ばれる水田地帯西側の丘陵に、館跡と思われる各和氏の菩提所永源寺がある。永源寺は南下する宇刈丘陵が国道1号線の近くで東に張り出して… 続きを読む 各和城
掛川城
2013年12月30日 掛川城は、文明年間(1469~1486)頃今川氏の家臣が掛川古城を築いたことに始まります。永正10年(1513)頃に現在の位置に移り、今川氏の遠江支配の拠点となりました。永禄12年(1569)徳川… 続きを読む 掛川城
椿城
2013年12月22日 本重寺本堂 この城は小笠原次郎長清の孫、上野六郎盛長がここ上野の地に築いたもので、上野城といったが附近に椿が多いところから椿城と呼ぶようになった。その後、武田十世信武の二男信明が観応年間(南北朝時… 続きを読む 椿城
本国寺(下山城)
2013年12月22日 長栄山本国寺甲斐源氏・加賀美遠光の孫光重は建仁年間(1201~4)下山に入部し下山小太郎光重と称した。光重の子・兵庫介光基は文応元(1260)年、館の傍に一寺を創し、平泉寺と称し弥陀を安置した。光… 続きを読む 本国寺(下山城)
若神子城
2013年10月13日 若神子城は「古城」あるいは「大城」とよばれる遺構を中心に、東に北城、湯沢の西に南城の三ヶ所からなる山城の総称である。連郭式といわれる中世の古い形態を残す山城で、新羅三郎義光によって築かれたと云伝え… 続きを読む 若神子城
笹尾塁跡
2013年10月13日 笹尾塁跡は、釜無川左岸七里岩の急崖上にあり、釜無川に注ぐ深い侵食谷のため自然の要害に恵まれたところである。本塁跡は、東西80m、南北260mほどの規模とみられ、周囲には、地名、小字名に、「馬場」、… 続きを読む 笹尾塁跡
谷戸城
2013年10月13日 「ほくと山城の里」大治5(1130)年、常陸国(茨城県)から甲斐国に配流となった源義清・清光親子の土着は、甲斐国に大きな歴史のうねりをもたらしました。甲斐源氏の誕生です。清光(1110~1168)… 続きを読む 谷戸城
獅子吼城
2013年10月13日 別名「江草城」。地域では、「城山」と呼んでいる中世の山城。山頂の広くて平坦な主郭(本丸)を中心に斜面には、平らな石を積み上げた石垣と、それらを用いて区画した多数の曲輪。斜面を縦断する縦堀りが配置さ… 続きを読む 獅子吼城
福島城
2013年08月02日 本丸 木曽福島町の北側、木曽川と支流黒川に挟まれた東西に走る山は城山と呼ばれている。現在大部分が国有林で樹木が生い茂っている。東端に権現滝の沢によって削られた谷があり、その東側は御城山頂よりも低く… 続きを読む 福島城
松代城(海津城)
2013年07月21日 史跡松代城跡松代城は、甲斐の武田信玄が越後の上杉謙信との「川中島の合戦」の際に、武田方の前進基地として築かれた海津城がその始まりといわれており、永禄3(1560)年頃に普請が完了したものと伝えられ… 続きを読む 松代城(海津城)
長篠城
2013年07月06日 長篠城は豊川の上流、寒狭川(滝川)と大野川(三輪川)とが合流する地点の断崖絶壁の上にある。城址は現在愛知県南設楽郡鳳来町字長篠に存し東西およそ327メートル、南北約254メートルある。城の機構は「… 続きを読む 長篠城
要害城
2013年06月29日 要害城全景 川田の館から甲斐府中への移転を決めた武田信虎は永正16(1519)年夏頃から新館の建設に取り掛かり12月に入居しているが、自らが移転するだけではなく服属する国人達にも移住を強要した。こ… 続きを読む 要害城
仙蔵城
2013年01月13日 内山城は中世の山城で、仙蔵城(要害)や千道の要害と呼ばれました。城は四万と沢渡の分岐地点東、崖上の尾根にあり、守り堅固な天然の要害で、嵩山城の外郭として重要な砦でした。当地が追手で、本丸最高地点ま… 続きを読む 仙蔵城
岩下城
2013年01月13日 岩櫃城の西3kmにある支城で、吾妻川南側の三島根小屋城と共に吾妻川を挟んでいる。岩櫃城は山頂を縄張りに取り入れていないので、西の守りに不可欠である。この城は斎藤氏の築城だが、斎藤憲次が大野氏を滅ぼ… 続きを読む 岩下城
植栗城
2013年01月13日 吾妻川南岸崖上にあり、応仁2(1468)年、植栗安芸守の伯母婿柳沢直安が斎藤行弘に襲われてここに逃れた。植栗元吉討伐を命ぜられた斎藤憲次が叛し、大野憲直を滅ぼして岩櫃城主となった時、元吉は憲次に従… 続きを読む 植栗城
羽根尾城
2013年01月13日 戦国時代に信濃源氏、滋野氏の末裔羽尾幸全入道は羽尾城を根拠として勢力を振るった。幸全の舎弟海野幸光(長門守)、輝幸(能登守)兄弟、ともに武勇を謳われた豪の者で、永禄9(1566)年真田幸隆により幸… 続きを読む 羽根尾城
長野原城
2013年01月13日 長野原城本丸址 長野原城跡長野原街並みの北側の尾根、東西約7百メートルに細長く位置している。本丸、出丸、箱岩で丸、物見台、水の手からなり、それぞれ虎口、堀切り、腰曲輪等で守られている。箱岩出丸は、… 続きを読む 長野原城
下小屋城
2013年01月13日 伊香保町の北端、湯中子の沼尾川を越える渡河地点の南岸にある城で、元亀3年武田勢の侵攻に際し、伊香保地衆が築いたもので、二つの岳の噴出物の累層を20m以上深々とえぐった沼尾川とその一支流に挟まれてい… 続きを読む 下小屋城
明徳寺城
2013年01月12日 明徳寺城は南北朝時代、会津の葦名氏の来攻に備えて荘田城の沼田氏が築いた天神山砦を改築したものと考えられ、明徳年間(1390~4)僧の松庵が城郭の下に明徳寺を開山したことから、現在の名称が一般的にな… 続きを読む 明徳寺城
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