平井神社

2014年08月16日 天正3年5月18日、信長は長篠城から5km半ほど手前の、ここ極楽寺山から平井神社にかけて本陣を置いた。・信長の記録に「志多羅之郷極楽寺山に御陣」とある。・当時、極楽寺はすでに無かった。(看板資料よ… 続きを読む 平井神社

お菊大明神

2014年08月15日 長篠合戦の時、武田方に縁故があるお菊という若くて美しい娘がいた。お菊の恋人は戦いに敗れて、落ち延びたのでその後を追って、池場坂までやって来たが追いつけず、武田軍が再び三河に来ることを信じて、わび住… 続きを読む お菊大明神

石和八幡宮

2014年07月12日 第12代景行天皇の御弟、稚城瓊入彦命は東国視察からやがて甲斐の国に入られここに行宮を建て一年有余滞在された。命に随行しこの地を治めた和爾臣(わにおみ)氏は、のちに行宮跡に命と一族の始祖、天足彦国押… 続きを読む 石和八幡宮

諏訪南宮神社

2014年07月12日 笛吹市指定文化財諏訪南宮神社扉絵この扉絵は金箔押しの板戸に濃彩で杉や松、雲形も描かれている。また裏は桜絵となっている。甲斐国志に「扉は逍遥軒信綱寄附ニテ松杉桜等四季ノ草花ヲ描ク。一社分ノ扉ハ今下曽… 続きを読む 諏訪南宮神社

山梨岡神社

2014年07月12日 鎮座地春日居町大字鎮目字宮の前1696番地由緒延喜式神名帳に載る古社で、旧社格は郷社である。人皇10代宗神天皇のとき、国内に疫病が流行し災害も多い故、勅命により御室山頂に創祀され、その後、成務天皇… 続きを読む 山梨岡神社

浅間神社

2014年07月12日 浅間神社拝殿 この建物は東向きに建てられていて、桁行7間、梁間3間の一重入母屋造で、正面中央1間に唐破風造の向拝が付き、屋根は檜皮葺の上に銅版をかぶせている。正面を意識した美しい造りの平安時代風の… 続きを読む 浅間神社

美和神社

2014年07月12日 美和神社由緒当美和神社は景行天皇の御宇日本武尊により甲斐国造塩足尼が大和の大三輪神社から勧請し奉った甲斐国内での古社である。祭神は大物主命で木造衣冠立姿の御神体は平安時代の様式をもち重要文化財に指… 続きを読む 美和神社

岡宮神社

2014年05月25日 城下町形成以前の古い神社で、城の東北に位置するところから鬼門鎮護の社として、さらには城主はじめ藩士や地域の人々が共に氏神と仰ぐ北深志の総鎮守として広く崇敬を集め、社殿造営祭典等には特別な御奉仕寄進… 続きを読む 岡宮神社

耳塚神社

2014年05月24日 伝説耳塚様と呼ばれ昔は耳の病気の直ることを祈った。桔梗ヶ原の戦いとか安曇族王に関係ありとも言われる。明治29年先祖が野ざらしになっていた塚に祠を建て2本の剣を御神体として祀った。耳の形に似た素焼き… 続きを読む 耳塚神社

大宮八幡

2014年05月24日 所在地:塩尻市大字片丘6889番地所有者:大宮八幡宮イチイ(イチイ科)は別名アンコ、アララギ、スオウノキ南信ではミネゾウと呼ばれ雌雄異株の常緑高木で中部地方以北の温帯林から亜寒帯林に分布する陰樹で… 続きを読む 大宮八幡

諏訪大社上社前宮

2014年05月18日 溝神社 祭神は高志奴奈河比賣命といわれ御射山へ出発する際にまず参詣された社であった。水眼の清流をたたえた「みそぎ池」の中にあり、西の方に「神の足跡石」があった。この社は武田支配時代には山浦の南大塩… 続きを読む 諏訪大社上社前宮

諏訪大社下社春宮

2014年05月18日 諏訪大社は建御名方富命と八坂刀売命を祀り、上社は建御名方富命(彦神)を、下社は八坂刀売命(女神)を主祭神としている。下社の祭神は、2月から7月まで春宮に鎮座し、8月1日の御舟祭で秋宮に遷座し、翌2… 続きを読む 諏訪大社下社春宮

諏訪大社下社秋宮

2014年05月18日 諏訪大社下社秋宮神楽殿 この神楽殿は二代立川和四郎富昌の作である。彼は技をすべて父に受け、天稟の才能と異常な努力で立川流の最高を極め幕府から内匠の称号を許されたほどの名匠である。この神楽殿は天保6… 続きを読む 諏訪大社下社秋宮

諏訪大社上社本宮

2014年05月18日 信濃国一之宮 諏訪大社 上社本宮我国最古の神社の一つであり、信濃国の国造りをなされたのち、日本国土の守護神としてこの地にお鎮りになり、信濃国一之宮として皇室武門および一般の信仰が厚く、全国一万有余… 続きを読む 諏訪大社上社本宮

新海三社神社

2014年05月03日 拝殿 当社は佐久地方開拓の祖神である、「興波岐命」と御父神「建御名方命」(諏訪さま)、御伯父神「事代主命」(恵比寿さま)、「誉田別命」(八幡さま)の四神をまつる佐久三庄三十六郷の総社である。古来、… 続きを読む 新海三社神社

赤坂稲荷社

2014年03月23日 勝頼公の腰かけ石天正3(1575)年5月、武田勝頼公は大軍を率いて、三州街道を南下。織田・徳川の連合軍と、長篠の設楽原(鳶巣山)で戦い、潰滅的な打撃を受けた。そしてただ一騎落ちてくるところを、坂部… 続きを読む 赤坂稲荷社

八幡神社

2014年03月21日 甘利八幡と称し、甘利氏代々の氏神といわれる。:「甲斐国志」甘利庄は、甲斐源氏武田信義が武田に居館をおいてからその勢力下に入り、その子一条忠頼についてその子行忠に伝えた。行忠は甘利庄に居館を構え甘利… 続きを読む 八幡神社

山本八幡宮

2014年01月18日 八幡宮で、祭神は応神天皇だが、この神社の社叢を多田の森といい、祭神は多田満仲(源満仲)だともいわれる。山本氏神社である。(看板資料より)

バアバア宮

2014年01月04日 都留の城主、小山田信茂の一族、小山田六左エ門は武田滅亡の後、大月市岩殿城より小田原北条氏をたより落ちて行きました。その途上焼山登山口、青野原で六左エ門は討たれました。今でもその場所には河原石に甲州… 続きを読む バアバア宮