2014年11月23日 暦応3(1340)年に円覚寺30世・建長寺40世の大喜法忻(仏満禅師)を開山、足利尊氏を開基と伝えている。大喜は今川基国の子で、弟子には五山文学を代表する義堂周信・絶海中津・中岩円月などがいる。示… 続きを読む 崇徳寺
史跡一覧
不動寺
2014年11月23日 開山の慈猛上人により寛文元(1243)年に開創されたと伝えられる。江戸時代には朱印89石6斗余りを拝領し、脇寺9ヶ寺・末寺8ヶ寺を有していた。山号を龍本山、院号を松井田院と号しているのは、ある夜、… 続きを読む 不動寺
補陀寺
2014年11月23日 美濃国の大泉山補陀寺の住職無極慧徹は師の最乗寺(神奈川県南足柄市)住職了庵慧明に会うため、寺を弟子の月江正文に譲り、最乗寺を目指す途中、松井田で熱心な信者に出会い、ここに止まり草庵を開くことになっ… 続きを読む 補陀寺
板鼻城
2014年11月23日 鷹の巣出丸 碓氷川と九十九川の合流点より約1km下流の北岸台地上に位置し、板鼻には東山道や鎌倉街道が通り、交通の要所として、戦略的にも重要な拠点であった。築城については確実な史料が乏しく、箕輪城主… 続きを読む 板鼻城
安中市学習の森ふるさと館
2009年09月05日 山本勘助の存在を示唆する書状が群馬県で見つかり、安中市学習の森で展示されているとのことで今回立ち寄りました。資料は5点あって安中市の真下家から発見されたとのことでした。5点の文書は巻子になっている… 続きを読む 安中市学習の森ふるさと館
蔵人城
2009年09月05日 本城は蔵人城(くらんど城)という梯郭式の山城である。南部の主郭部は北半分より10m以上高い。主郭部は南北50m、幅20mの本丸と、その南に掘切りを隔てた方20mのささ郭から成り、ささ郭南側掘切りが… 続きを読む 蔵人城
愛宕山城
2009年09月05日 碓氷峠から子持山の尾根を通って東端の跳石に達し、そこから直下200mの急坂を下って坂本に出た。下りつめた所の小丘に愛宕山城が築かれている。位置の関係から、上野側の者の築城ではなく、信濃側からの橋頭… 続きを読む 愛宕山城
後閑城
2014年11月23日 九十九川と後閑川との合流地点の北岸舌状台地の丘陵先端部に立地する。現況は城址公園であるが、一部山林となっている。本丸(主郭)は標高は約276メートル、比高差約80メートルである。(安中市史より) … 続きを読む 後閑城
松井田城
2014年11月23日 堀切 舌状にのびる尾根や峰続きを断ち切る目的で、鉈で切ったように堀を切った空掘を堀切りという。堀の断面はV字型である。山城に多く用いられ、敵の進攻を阻止するための防御線である。(看板資料より) 歩… 続きを読む 松井田城
安中城
2014年11月23日 碓井川・九十九川に挟まれた高さ数mの台上に築かれ、近年国道17号線が東北部を貫通してしまった。南側には安中の旧宿場町が中山道を挟んで東西に続く。ここはもと野尻と呼び、永禄2年に安中忠政が窪庭図書を… 続きを読む 安中城
簗瀬八幡平の首塚
2014年11月23日 昭和6年に近くの小学生により古墳の墳丘中に多数の人の頭骨が埋められているのが発見された。その後昭和27年に東京大学人類学教室の鈴木教授による発掘調査が行われた。調査により埋められた時期は古墳時代以… 続きを読む 簗瀬八幡平の首塚
麻場城
2009年09月05日 麻場城は、戦国時代のこの地の豪族白倉氏の居城であり、東方約500mに存在する仁井屋城と併せて「白蔵城」と呼ばれ、典型的な別城一郭(双子城)であると言われている。当城は、戦国時代初期の築城とされ、豊… 続きを読む 麻場城
国峰城
2004年04月03日 国峰城は中世における大城郭である。他に類例を見ない特異な構造を示し、山城部・丘城部、平城部が南北2.5km、東西2kmの間に展開している。山城部は標高434mの城山山頂を本郭とし、西側の尾根上を掘… 続きを読む 国峰城
仙蔵城
2013年01月13日 内山城は中世の山城で、仙蔵城(要害)や千道の要害と呼ばれました。城は四万と沢渡の分岐地点東、崖上の尾根にあり、守り堅固な天然の要害で、嵩山城の外郭として重要な砦でした。当地が追手で、本丸最高地点ま… 続きを読む 仙蔵城
岩下城
2013年01月13日 岩櫃城の西3kmにある支城で、吾妻川南側の三島根小屋城と共に吾妻川を挟んでいる。岩櫃城は山頂を縄張りに取り入れていないので、西の守りに不可欠である。この城は斎藤氏の築城だが、斎藤憲次が大野氏を滅ぼ… 続きを読む 岩下城
植栗城
2013年01月13日 吾妻川南岸崖上にあり、応仁2(1468)年、植栗安芸守の伯母婿柳沢直安が斎藤行弘に襲われてここに逃れた。植栗元吉討伐を命ぜられた斎藤憲次が叛し、大野憲直を滅ぼして岩櫃城主となった時、元吉は憲次に従… 続きを読む 植栗城
顕徳寺
2005年04月30日 天正10(1582)年、武田勝頼が織田、徳川、北条などに攻められた時に、真田昌幸が武田勝頼を岩櫃城に迎え入れるために岩櫃城搦手付近にあたる場所に御殿を建てました。しかし武田勝頼は岩櫃城に来ることな… 続きを読む 顕徳寺
岩櫃城
2016年08月13日 岩櫃城は岩櫃山(標高802m)の中腹東面に築かれた典型的な中世の城であり、山頂より約200m低い場所に本丸・二の丸・中城があり、これらを中心に広い範囲で竪堀や曲輪が点在します。岩櫃城はその築城時期… 続きを読む 岩櫃城
海野長門守の墓
2013年01月13日 墓碑は宝篋印塔で、総高2メートル、墓碑の三方に碑文が刻まれている。右側、上野州我妻郡羽尾城主海野長門守同舎弟能登守従往者雖有遺跡没為水災故改之正面、雲林院殿前長州洞雲全龍居士左側、干時元文三年戌午… 続きを読む 海野長門守の墓
羽根尾城
2013年01月13日 戦国時代に信濃源氏、滋野氏の末裔羽尾幸全入道は羽尾城を根拠として勢力を振るった。幸全の舎弟海野幸光(長門守)、輝幸(能登守)兄弟、ともに武勇を謳われた豪の者で、永禄9(1566)年真田幸隆により幸… 続きを読む 羽根尾城