2017年04月08日 武田信玄の墓 不動明王 信玄公祭りに行く前に朝一番で立ち寄りました。この日は不動明王の近くまで立ち入ることができました。初めてのことです。 2013年09月21日 乾徳山恵林禅寺の沿革当山は臨済宗… 続きを読む 恵林寺
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猿橋
2014年09月14日 名勝 猿橋 猿橋架橋の始期については定かでないが、諸書によれば「昔、推古帝の頃百済の人、志羅呼(しらこ)、この所に至り猿王の藤蔓をよし、断崖を渡るを見て橋を造る」とあり、その名はあるいは「しらはた… 続きを読む 猿橋
医王寺城
2014年05月03日 「信陽雑誌」享禄元(1528)年の条に「当時佐久小県攻戦之地散在士」として数えあげられている中に、村上源五郎顕胤の名があり、その註に「不詳、或曰臼田城跡」としてある。これを受けて「南佐久郡古城址調… 続きを読む 医王寺城
笹尾塁跡
2013年10月13日 笹尾塁跡は、釜無川左岸七里岩の急崖上にあり、釜無川に注ぐ深い侵食谷のため自然の要害に恵まれたところである。本塁跡は、東西80m、南北260mほどの規模とみられ、周囲には、地名、小字名に、「馬場」、… 続きを読む 笹尾塁跡
谷戸城
2013年10月13日 「ほくと山城の里」大治5(1130)年、常陸国(茨城県)から甲斐国に配流となった源義清・清光親子の土着は、甲斐国に大きな歴史のうねりをもたらしました。甲斐源氏の誕生です。清光(1110~1168)… 続きを読む 谷戸城
雲峰寺
2013年09月21日 天平17(745)年行基菩薩を開山とする臨済宗妙心寺派の名刹で、武田家戦勝祈願寺として歴代領主の帰依が厚く、本堂、仁王門及び庫裡はすべて、武田信虎の再建した室町時代の建築で、すべて重要文化財である… 続きを読む 雲峰寺
天神社
2013年09月21日 本殿 天神社の創立についての詳細は不明ですが、中世には武田氏の崇敬をうけていました。この本殿は大永2(1522)年に武田信虎によって再建されたことが、山梨市大工の丸山家所蔵の古文書及び「甲斐国志」… 続きを読む 天神社
窪八幡神社
2013年09月21日 窪八幡神社鳥居(重要文化財) 鳥居は、神社境内から東方に離れた参道にあって、神門を望む位置に建てられています。建立年代は「王代記」の記載から天文9(1540)年と考えられています。木造鳥居としては… 続きを読む 窪八幡神社
武田八幡宮
2013年09月07日 二の鳥居 武田八幡宮は弘仁13(822)年勅命により土地の神、武田王の祠廟に九州宇佐八幡を勧請し併祀して創建されたという。武田王は日本武尊の御子で武田村の桜の御所でこの土地を治められた。さらに清和… 続きを読む 武田八幡宮
高源寺
2013年09月01日 当山は、室町時代の始め文安年間(1444~49)常光院日礼上人により草創され、中巨摩郡櫛形町上市之瀬の本山妙了寺の隠居寺と伝える。天正19(1591)年身延山末寺帳に二百八坪高はたけ高源寺とあり。… 続きを読む 高源寺
信立寺
2013年09月01日 信立寺は大永2(1552)年、身延山13世日傳上人が武田信虎の帰依を受けて建立した。上人はそのまま身延山には戻らずこの寺で亡くなったことから、久遠寺の隠居寺とも言われていた。寺の草創にはひとつの言… 続きを読む 信立寺
飯田河原古戦場慰霊碑
2013年09月01日 大永元(1521)年駿河今川家の臣福島正成は1万5千の大軍をもって甲斐に進入。9月16日西郡富田城を落としいれ、さらに北上の形勢を示した。武田信虎公は大井夫人を積翠寺要害山城に避難させ、2千の兵を… 続きを読む 飯田河原古戦場慰霊碑
興因寺
2013年09月01日 康和2(1100)年義業に開創され天台宗なり。文明2(1470)年中興開基武田信虎拈笑宗英大和尚を請し、曹洞宗に改む。大永年中拈笑一派三百有余ヶ寺の総本寺となり湘南最乗寺の輪番住持職を勤む法燈を継… 続きを読む 興因寺
甲斐奈神社
2013年09月01日 当社は、人皇第二代綏靖天皇の御代、甲斐国開拓に際し、甲斐奈山(現、愛宕山)の頂きに白山大神を祀ることに始まり以来延喜式神名帳に載る如く甲斐国鎮守の神として尊崇された。永正年間、武田信虎の築城に際し… 続きを読む 甲斐奈神社
大泉寺
2013年09月01日 大泉寺総門 この総門は永慶寺から移築されたと伝えられている。黄檗宗様式の門として建物細部の諸要素は宇治万福寺の総門に極めて近似している。永慶寺は宝永7(1710)年、甲府城主柳沢吉保が建立した菩提… 続きを読む 大泉寺
華光院
2013年09月01日 真言宗京都智積院の末寺で、真如山華光院良林寺といい、荒神堂の別当寺です。由緒によると本尊は弘法大師作と伝える三宝荒神で、大永年中(1521~28)に武田信虎が荒神堂を建て、堂守に山伏を置いたのがは… 続きを読む 華光院
武田神社(武田氏館跡、躑躅ヶ崎館跡)
2013年09月01日 国指定史跡武田氏館跡別名躑躅ヶ崎館跡と呼ばれる史跡武田氏館跡は、永正16(1519)年に武田信虎によって築かれ、信玄・勝頼と武田三代の本拠地として使用されました。二町(200m)四方の規模を誇る主… 続きを読む 武田神社(武田氏館跡、躑躅ヶ崎館跡)
入沢城
2010年01月31日 入沢城は関東山地から西に走る一支脈の末端、入沢村の南方山上にあり、南西斜面には吉祥寺(曹洞宗)、西方脚下に八幡社、北方には大宮諏訪社があり、その近辺を「北小屋」と称している。城に関する明確な記録は… 続きを読む 入沢城
勝山古戦場
2009年12月29日 ①天文7(1538)年7月18日に、ここで小笠原長時・諏訪頼重の連合軍と四度戦って、武田信虎が大勝を博したという。②宇津谷の枝村滝沢組の西南の狐山、東は神田境より南原の中を信玄の戦場と言い伝えてい… 続きを読む 勝山古戦場
韮崎合戦大坪古戦場碑
2009年12月29日 ①韮崎宿の東北の片山の下に位置し、今は田となっている。殿田・旗田(旗を立てた所で八段田と呼んでいる)・信玄平(片山の中段で少し平な所)・伊勢山(信玄平の上で神明を祀る)・大明神坂(穴の明神の跡であ… 続きを読む 韮崎合戦大坪古戦場碑
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