中村城山砦

2013年12月30日 高天神城跡より東南方向約3㎞の掛川市中の標高約30mの台地上に所在する。北方には雑賀館跡や帝釈山砦跡が所在する丘陵が続き、南側は入り江で海運による兵糧運搬路としても重要な地域であったといわれている… 続きを読む 中村城山砦

火ヶ峰砦

2013年12月30日 高天神城跡の東北東約1.5㎞に位置し、掛川市中方・下土方・岩滑・中地区を境とする丘陵上にある。高天神六砦の中でも最も高天神城に近い位置にある。天正8(1580)年6月に築き、大須賀康高が守備したと… 続きを読む 火ヶ峰砦

三井山砦

2013年12月30日 高天神城跡より南へ約3㎞の掛川市大坂に所在する。ここは小笠山丘陵が南へ張り出す台地の先端部にあたり、西及び北側は尾根続きとなっているが、東には小笠平野が一望でき、南には遠州灘を望む地形である。この… 続きを読む 三井山砦

能ヶ坂砦

2013年12月30日 高天神城跡から北北東約2㎞、掛川市小貫の県道掛川大須賀線が通る西側丘陵上にある。ここは小貫と下土方地区の境にあたり、元々番所が置かれていたといわれている。ここに、家康が天正8(1580)年に砦を築… 続きを読む 能ヶ坂砦

小笠山砦

2013年12月30日 小笠山山塊の中心部が小笠山砦で、掛川・袋井両市と大東町との境に位置する。小笠山砦は、徳川家康が高天神城包囲攻撃のため構えた六砦の一つであり、『小笠郡誌』小笠神社の項に、家康がここに陣を数旬にわたっ… 続きを読む 小笠山砦

掛川城

2013年12月30日 掛川城は、文明年間(1469~1486)頃今川氏の家臣が掛川古城を築いたことに始まります。永正10年(1513)頃に現在の位置に移り、今川氏の遠江支配の拠点となりました。永禄12年(1569)徳川… 続きを読む 掛川城

阿弥陀橋跡

2013年07月07日 元亀3年12月三方原は武田徳川の両軍が合戦をしたが、徳川は武田に追われ小川に来てみると橋が焼けているので家康の臣が、中沢の常楽寺の仏像を持って来て橋をかけて難を逃れた。仏像は臣が常楽寺に返したが背… 続きを読む 阿弥陀橋跡

秩父神社

2013年01月04日 未だ群雄割拠の戦国時代、当社は甲斐の武田信玄公の手により、永禄12(1569)年に焼失の後、徳川家康公の力により現在のご社殿が再建されました。家康公は、寅の年、寅の日、寅の刻生まれということで、虎… 続きを読む 秩父神社

泉頭城

2010年01月23日 貴船神社 所在 清水町伏見泉頭古来より、泉川の清冽な湧水にちなみ京都市左京区貴船川上流の深山幽谷の地にある貴船神社から御霊分けされたものである。祭神はたかおかの神で水の神である。この神は折雨、止雨… 続きを読む 泉頭城

賀茂神社

2008年03月16日 本願寺の方に教えてもらったので寄ってみました。彼女の話ではここら辺では大きな神社で、武田信玄に敗れた徳川家康が逃げ込んだという伝説があるとのことでした。本来の駐車場とは別の小さな駐車場に車を止めて… 続きを読む 賀茂神社

竜華院

2007年12月01日 龍華院の略由緒当山は吉国山龍華院と言い、一宮町中山廣厳院の末寺で、常法幢七ヶ寺の一つであり、本尊は華厳釈迦如来、左右は文殊菩薩、普賢菩薩である。寺記には、いにしえは真言宗、前附山大祥寺と言い、弘法… 続きを読む 竜華院

岡崎城

2006年05月05日 岡崎城天守閣 岡崎公園散策マップ 15世紀中頃(室町時代)、西郷弾正左衛門頼嗣(稠頼)が現在の岡崎城の位置にはじめて城を築き、のちに家康の祖父である松平清康が入城し本格的な岡崎城を構えた。1542… 続きを読む 岡崎城

小国神社

2005年02月12日 小国神社は遠江国一宮だそうで、今回訪れる予定は無かったのですが、現地で真田城(一の宮城)を探索中に「武藤刑部亟氏定は武田信玄に属して小国神社にたてこもったので徳川家康に攻略された」との説明を読んで… 続きを読む 小国神社

鳳来山東照宮

2004年09月20日 松平広忠の夫人伝通院於大の方が鳳来寺薬師如来に祈願して、家康が生まれたと伝えられ、その因縁により三代将軍家光が造営したもので、日本の三東照宮の一つとなっています。(看板資料より) 徳川三代将軍家光… 続きを読む 鳳来山東照宮

駿府城

2001年10月08日 二の丸東御門 東御門は駿府城二の丸の東に位置する主要な出入口でした。この門は二の丸堀(中堀)に架かる東御門橋と高麗橋、櫓門、南および西の多聞櫓で構成される枡形門です。枡形門は要所に石落とし、鉄砲狭… 続きを読む 駿府城