松平伊忠戦死之地

2014年08月15日 「松平伊忠戦死之地」の碑は、昭和50年5月に、「三州長篠合戦記」により、有海字作神の257号道路の傍に建立された。戦勝した連合軍の中で、城主級武将で戦死したのは松平伊忠ただ一人である。家系を見ると… 続きを読む 松平伊忠戦死之地

山本信供戦死之地

2014年08月15日 平成7年9月、新城市大海字下林の旧伊那街道右道端に、設楽原をまもる会による高さ130センチ、幅20センチの「山本信供戦死之地」の石標が建ち、この地の奥に高さ76センチ、幅20センチの「山本勘介信供… 続きを読む 山本信供戦死之地

滝川源右衛門助義・笠井肥後守満秀相討の地・橋詰さんばし跡(鵜の首)

2014年08月15日 橋詰さんばし跡 わ「わが主君の身がわりとげし笠井肥後」(設楽原古戦場いろはかるた看板資料より) 天正3年5月21日長篠の役・設楽原の合戦は武田方に利なく日が西に傾くにつれ武田方は殿戦へと押されてい… 続きを読む 滝川源右衛門助義・笠井肥後守満秀相討の地・橋詰さんばし跡(鵜の首)

橋詰殿戦場

2014年08月15日 武田軍総崩れとなり、殿(しんがり)をつとめた馬場信房らは、勝頼が落ち延びていく姿を確認してこの地で最後の戦いを行った。 2003年10月12日 武田軍総崩れとなり、殿(しんがり)をつとめた馬場信房… 続きを読む 橋詰殿戦場

馬場美濃守討死之地

2014年08月15日 緒巻桜馬場美濃守は当地に於いて主君勝頼を見送った後、この緒巻桜の下にて首を与えたという。道標「ふぢう道」は対岸より設楽原決戦におもむく武田軍がこの道を通り、出沢、浅谷を経て行った道であることを示す… 続きを読む 馬場美濃守討死之地

石筒ヶ根古戦場

2014年03月29日 作手亀山城主奥平貞能は、お家存続のために武田方・徳川方の両方に揺れ動いていた。天正元(1573)年8月20日夜、徳川方に味方することにした一族は、武田勢力の強い作手を脱出し、戦いに有利な宮崎滝山城… 続きを読む 石筒ヶ根古戦場

田原坂旧道

2014年03月29日 額田町史によると、1573(天正元)年に奥平軍は滝山合戦で敗れた武田軍を田原坂まで追って戦った。武田方は奥平定包を殿軍としたがこの戦いで戦死したとのこと。奥平定包は奥平貞勝の伯父にあたる人である。… 続きを読む 田原坂旧道

遠山塚

2014年03月23日 元亀3(1573)年12月、武田信玄が甲信兵約3千人をもって岩村城を攻略するため、根羽方面より侵攻した。これに対して明智、苗木、飯羽、串原を主力として、足助、名倉、武節など東三地方の連合軍約5千人… 続きを読む 遠山塚

三増合戦場

2014年01月04日 三増合戦のあらまし永禄12(1569)年10月、甲斐(今の山梨県)の武田信玄は、2万の将兵をしたがえて、小田原城の北条氏康らを攻め、その帰り道に三増峠を選んだ。これを察した氏康は、息子の氏照、氏邦… 続きを読む 三増合戦場

祝田坂

2013年12月31日 三方原の戦いから現在までにすでに420年の歳月が流れている。三方原の戦いでは武田軍三万に対し、徳川軍は援軍を含めても一万一千、三分の一の兵力で、しかも老練な戦術家の信玄に立ち向かうことは極めて不利… 続きを読む 祝田坂

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カテゴリー: 浜松市

三方原古戦場

2013年12月31日 元亀3(1572)年12月22日、徳川家康は武田信玄の上洛を阻止せんと、武田軍およそ二万五千の兵力に対し徳川軍はおよそ一万一千の兵力を以って戦いを挑み、戦闘約二時間といわれるも、結果は大敗に終わっ… 続きを読む 三方原古戦場

挑燈野

2013年12月31日 今から400年以上前の戦国時代の終わりの頃のことです。戦いに敗れ退却した徳川軍は、当時万能村といったこの辺りで、武田軍に追いつかれそうになりました。そこで、周囲の地形に詳しかった徳川家康は、夜にな… 続きを読む 挑燈野

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カテゴリー: 磐田市

一言坂の戦跡

2013年12月31日 一言坂の戦いこの坂を「一言坂」といいます。元亀3(1572)年甲斐国(山梨県)から攻め込んできた武田信玄と遠江国(静岡県西部)の領主であった徳川家康との間に戦いが起こりました。袋井市の三箇野川の戦… 続きを読む 一言坂の戦跡

万歳坂

2013年12月31日 森町 戦国夢街道パンフレット この地域一帯は、浜松城の徳川軍と犬居城の天野軍(武田軍)の戦った古戦場である。戦いを優勢に展開した天野軍がこの付近で勝どきをあげたのでここを「万歳坂」と呼ぶようになっ… 続きを読む 万歳坂

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カテゴリー: 森町

一ノ瀬古戦場

2013年12月31日 森町 戦国夢街道パンフレット 古戦場 一ノ瀬の戦い今からおよそ400年の昔、東海一の武将と言われた徳川家康は、天正2(1574)年4月6日浜松城を出馬して、武田信玄の属将で犬居城主の天野宮内右衛門… 続きを読む 一ノ瀬古戦場

鵜殿渕

2013年12月31日 森町 戦国夢街道パンフレット 天正2(1574)年4月、徳川家康は兵2千を率い、犬居城を指して信州街道を北上した。一の瀬より大久保、田能を経て、気田川のほとり、犬居の瑞雲寺に本陣を張った。たまたま… 続きを読む 鵜殿渕

三ヶ野坂古戦場

2013年12月30日 戦国時代のはじめ頃は、遠江地方は駿河の今川氏の支配下におさめられていたが、今川氏滅亡後は今川氏に代って家康によって治められた。ところが、元亀3(1572)年上洛を目指す甲斐の武田信玄が遠江へ進出し… 続きを読む 三ヶ野坂古戦場