2016年02月21日 神社の境内にお地蔵さんをお祀りすることはめったにありません。「神明地蔵尊」はその例外で、大変珍しいといわれています。永禄8(1565)年、このお宮は「高松神明宮宝性院」といい、神官はいません。最初… 続きを読む 高松神明社
史跡の種類: 地蔵
勝沼氏館跡
2014年07月12日 勝沼氏館跡内郭部と堀 勝沼氏は武田信虎の弟信友、その子信元の家系である。その行動は、『妙法寺記』『甲陽軍鑑』また石橋八幡、岩殿七社権現棟礼等により知られる。勝沼氏は御親類衆として武田軍団の一翼を担… 続きを読む 勝沼氏館跡
承知川橋
2014年05月18日 承知川橋の記この一枚石は長く甲州道中の承知川にかかっていた橋石である。輝石安山岩、重量約壱拾参屯。伝説によると永禄4年武田信玄が川中島の戦いの砌(みぎり)、諏訪大明神と千手観音に戦勝祈願を約し社殿… 続きを読む 承知川橋
腹切地蔵尊
2013年09月21日 小田野山の南麓にあり、大字西保中に通ずる県道西保線(旧秩父裏街道)にそって祀られている石仏である。土地のものは通称「腹切地蔵さん」と呼ぶ。甲斐源氏の一族で鎌倉初期この地を領した安田義定の生害の地と… 続きを読む 腹切地蔵尊
御君地蔵
2013年08月01日 永禄年間(1558~1570)、飯田城主の坂西長忠と松尾城主の小笠原信貴との領地争いに端を発した紛争が続いた。永禄5(1562)年、坂西長忠が武田勝頼に謀反したとこにより紛争に拍車がかかった。9月… 続きを読む 御君地蔵
輪鳴地蔵
2010年03月22日 ①勝坂は旧久那土村から旧富里村へ越す峠で、今は身延線一之瀬トンネルになっている。昔、武田信玄がこの峠で休息した時眠気を催し、夢の中に地蔵様の姿を拝した。信玄は目覚めると腰の矢立を取って、付近の石に… 続きを読む 輪鳴地蔵
いぼ地蔵
2009年08月11日 ここの松葉でイボをつつくと取れるということが地蔵の名前の由来です。下枝はほとんどむしり取られ、手の届くところにはなかったといいます。またこのお地蔵さんは「投石地蔵」とも呼ばれ、その昔、武田光和が武… 続きを読む いぼ地蔵
金堀地蔵
2009年05月04日 戦国時代の若武者が蓮台寺境内で昼寝をしていた折、夢枕に立った地蔵のお告げで大金を掘り当て、その礼にこの地蔵菩薩を造立したという。また天正10(1582)年武田氏滅亡後、この埋蔵金を知る武将格の落武… 続きを読む 金堀地蔵
将軍地蔵
2007年11月24日 将軍地蔵に立ち寄ってみました。地蔵堂はあったのですが中にあると思われるお地蔵様を見ることはでき無さそうでした。しかし車が駐車されていて、しかも中に人がいるようでしたので恐る恐る中をのぞいてみると、… 続きを読む 将軍地蔵
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