2007年11月24日 パンフレットによると、上杉謙信が栃尾にいたときにいたお寺とのことで、現在はその跡地に石碑がたっているとのことでした。現地周辺まで来たのですがなかなか場所が分からずあちこち行ったり来たりしました。ス… 続きを読む 瑞麟寺跡
史跡の種類: 碑
秋月神社
2007年11月18日 秋月院のご住職から秋山将監神社なるものの存在を教えてもらいました。大体の行き方も教えてもらいましたがなかなか見つけることができませんでした。神社があったので立ち寄ってみるとそこは諏訪神社でした。宮… 続きを読む 秋月神社
海野幸義戦死の地
2006年12月03日 1541(天文10)年に武田信虎・晴信父子、村上義清、諏訪頼重連合軍が小県に兵を進め、海野氏、禰津氏、望月氏などの滋野一族との間で合戦(神川合戦)が行われ、海野棟綱の子もしくは弟といわれている海野… 続きを読む 海野幸義戦死の地
江馬家家臣十三士之碑
2006年05月04日 最初に教えてくれた人の話では十三墓峠の近くにあるということでしたが、詳細は分かりませんでした。近くにある安国寺の住職に聞けば分かるはずであるとのことでしたので行ってみましたが、この日は法事で忙しそ… 続きを読む 江馬家家臣十三士之碑
草内の渡し場跡の碑
2005年08月04日 本能寺の変の際、徳川家康とともに堺にいた穴山梅雪は三河岡崎に戻る途中、木津川草内の渡し付近で一揆のために命を落としたといわれている。穴山梅雪が家康を疑っていたためであるとか、持病の痔が悪化したため… 続きを読む 草内の渡し場跡の碑
飯田河原合戦供養板碑
2005年01月09日 板碑(いたび)は板状の石を用いて頂を三角形にした石塔婆の一種で鎌倉時代から供養のため多く建立され碑の高さは1.05メートル、幅0.1メートル。材石は安山岩で台石の上に建ち、碑面の上部に伝の種子(し… 続きを読む 飯田河原合戦供養板碑
武田諸将訣盃ノ跡
2004年12月11日 前回訪れたときは、設楽原歴史資料館で聞いた話ではこの武田諸将訣盃之跡には清水が流れているということだったのですが、下の写真の看板のところから少し入ったところまで行ってみたのですが清水らしきものを見… 続きを読む 武田諸将訣盃ノ跡
夏目次郎左衛門吉信の碑
2004年04月30日 夏目次郎左衛門は三方原合戦で徳川家康の身代りとなって討ち死にした徳川軍の将です。おかげで家康は無事浜松城に逃げ帰ることができました。
本多肥後守忠真顕彰碑
2004年04月30日 この碑は、本多肥後守忠真の忠義を称えて、第17代本多子爵により明治24年に建立されました。本多忠真は徳川草創期を支えた徳川四天王の一人である本多忠勝の叔父にあたる武将です。本多忠真は三方原の戦いで… 続きを読む 本多肥後守忠真顕彰碑
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