2012年04月15日 追分山松岳院穴山氏は武田十代目の信武の子、義武が逸見筋穴山(韮崎市)において、穴山を苗字としたことにはじまる。当院の開基乙若丸は、穴山第3代武田兵部小輔信介の嫡男で、穴山第4代信懸(のぶとお:建忠… 続きを読む 松岳院
史跡の種類: 墓
広禅院
2012年04月15日 穴山宗九郎の墓 穴山宗九郎は小山城主穴山氏を嗣いだ穴山伊予守信永をあてる説が有力である。彼は文書に登場する唯一の庶流の人物で、穴山信君が西島の広禅院に廟所を移転させ、供養を行っている。穴山信永は小… 続きを読む 広禅院
天輪寺跡
2012年04月15日 穴山信介の墓 穴山信介は武田信重の子で武田信守の弟。兵部少輔を称し、穴山氏を嗣ぐ。下山天輪寺にあった碑子によれば、父信重に先立って宝徳2(1450)年3月19日に逝去したという。法名天輪寺英中俊公… 続きを読む 天輪寺跡
長年寺
2012年02月24日 長年寺長野氏の墓 中央が初代鷹留城主で、長年寺開基、長野業尚の墓である。左右に3基づつ歴代の墓が並んでいる。五輪塔墓石の最下段である方形石の地輪正面に、それぞれ戒名が刻まれている。慶岩長善庵主:長… 続きを読む 長年寺
崇信寺
2012年02月19日 築城の年代は明らかではないが、室町時代の初期(約600年前)に山内道美(対馬守)が築いたといわれている。永禄の末か元亀の初め頃(約400年前)山内通泰(大和守)の時に徳川家康に攻められて落城し以降… 続きを読む 崇信寺
若子城
2012年02月12日 大洞沢から少し登った所に本丸があり、「遠江国風土記伝」には、「大洞は地名、若子は城名なり、奥山加賀守定吉之を築く、領地は奥山の半分並に雲名、信濃国遠山宇津宇連、三河国奥村郷、都合三千五百貫なり、兄… 続きを読む 若子城
本土寺
2012年01月09日 長谷山本土寺は、建治3(1277)年豪族平賀忠晴の屋敷内に、日蓮上人の弟子日朗を導師として招き、開堂したのが起こりです。本土寺は池上の「長栄山本門寺」、鎌倉の「長興山妙本寺」とともに「朗門の三長三… 続きを読む 本土寺
五輪塚
2011年12月31日 下辰野のお宮の裏手に三坪ほどの塚があり、武田信玄がここで討ち死にした墓だと伝えている。信玄は桔梗の花が大変好きだったので塚の周りには今でも桔梗の花が咲く。もともと石だけ残っていたものを、明治の頃近… 続きを読む 五輪塚
伝・飯富兵部の墓
2010年03月22日 古屋弥右衛門昌時の供養塔 宝篋印塔飯富兵部少輔虎昌の遺子古屋弥右衛門昌時(坊磨呂)の供養塔。土中に埋没していたものを再築保存した。(看板資料より) 今回飯富に飯富兵部の墓があるという情報をメールで… 続きを読む 伝・飯富兵部の墓
信光寺
2010年01月23日 信光寺はもと中伊豆町宮上の最勝院の末寺であり、改宗前は真言宗であったと記す。本尊は秘佛十一面観世音菩薩を安置し、境内には太子堂(弘法大師の小像を祀る)があり「空海」の加持井と称する井戸が残ることな… 続きを読む 信光寺
真如寺
2009年09月20日 当寺は520年余前、室町時代中期・当時上総の国一円を支配した真里谷城主武田信興(甲斐武田氏の同族)が開基となり密山正厳禅師を開山として寛正5(1464)年に創建された千葉県における曹洞宗の古刹であ… 続きを読む 真如寺
大林寺
2009年09月20日 長南武田氏の墓は、曹洞宗醫王山大林寺の境内にある。長南武田氏は、甲斐の国(現山梨県)武田氏の出で、戦国時代の康正2年より天正18年長南城落城までの約140年間上総に根を下ろした。武田氏の菩提寺とし… 続きを読む 大林寺
長福寺
2009年08月13日 一色氏の若狭支配は、貞治5年の範光入部以来、詮範、満範、義範(のち義貫)と続くが、永享12(1440)年5月15日、義貫は大和の陣において安芸守護武田信栄に謀殺された。足利将軍6代義教の命によるも… 続きを読む 長福寺
発心寺
2009年08月13日 武田元信の代までは名門の守護大名として一応の面目は保っていたが丹後での敗戦、一族逸見氏の叛乱など元光の相続した頃は国内外ともに不安定な情況となっていた。守護館は一色氏以来西津にあったと考えられるが… 続きを読む 発心寺
佛国寺
2009年08月13日 武田元信は父武田国信以上に公家と交わり、飛鳥井兄弟をはじめ、三条西実隆らとの交流があった。文亀2(1502)年6月20日、段銭賦課などの重圧に耐えかねた国衆・百姓らはついに蜂起し武田氏館を攻撃、一… 続きを読む 佛国寺
宝憧院
2009年08月13日 真言宗智山派宝憧院薬師寺といい、本尊は薬師如来座像である。山門は峯山の最勝寺跡に残っていたものを明治31年に移築した。寺伝によると、天平2(730)年に泰澄大師が一宇を建立し仏地院と称した。その後… 続きを読む 宝憧院
不動院
2009年08月12日 不動院の歴史新日山安国寺不動院は江戸時代の「新山雑記」では、当寺の開基は僧空窓であると伝えられていますが、創建の時代や由緒については判然としていません。ただ金堂内に安置されている本尊薬師如来座像が… 続きを読む 不動院
武田氏の墓
2009年08月11日 ここの「銀山城武田の墓」と記した、石標は皇紀2千6百年の記念事業として、武田山顕彰会によって建てられたものです。ここには、松と桜と竹があり、小石を沢山集めて造った小山が三ヶ所あります。五輪の塔もあ… 続きを読む 武田氏の墓
周防源氏武田家屋敷跡
2009年08月10日 戦国時代の天文9(1540)年11月、安芸源氏の武田小三郎公は毛利元就公の援助により欽明路に移り、周防源氏の祖となり刑部少輔と称しました。その後、織田・豊臣時代を経て、徳川時代に至り、代々功績をあ… 続きを読む 周防源氏武田家屋敷跡
玄江院
2009年05月05日 玄江院は、文正元(1466)年の創立にして、耳取白合の地にあり、臨済宗天竜山萬福寺と称し開基は鷹取城主大井貞隆、平賀城主大井貞親の2氏の建立による。天文21(1552)年、兵火の為焼亡せり。弘治元… 続きを読む 玄江院
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