甲斐善光寺

ホームページ 2013年09月01日 善光寺山門付棟札 5間3戸の楼門で、入母屋造の構造を示すこの山門は、江戸時代中頃の宝暦4(1754)年の大火により、本堂とともに焼失したが、本堂に先立って再建され、明和4(1766)… 続きを読む 甲斐善光寺

華光院

2013年09月01日 真言宗京都智積院の末寺で、真如山華光院良林寺といい、荒神堂の別当寺です。由緒によると本尊は弘法大師作と伝える三宝荒神で、大永年中(1521~28)に武田信虎が荒神堂を建て、堂守に山伏を置いたのがは… 続きを読む 華光院

河尻塚

2013年09月01日 この地は織田信長の家臣河尻肥後守秀隆の首塚とも、また彼の屋敷跡とも伝えられている。織田信長が武田氏討伐の軍を起したとき(1582年)河尻秀隆は軍目付として活躍し、甲斐と信濃諏訪郡の領主となった。背… 続きを読む 河尻塚

武田神社(武田氏館跡、躑躅ヶ崎館跡)

2013年09月01日 国指定史跡武田氏館跡別名躑躅ヶ崎館跡と呼ばれる史跡武田氏館跡は、永正16(1519)年に武田信虎によって築かれ、信玄・勝頼と武田三代の本拠地として使用されました。二町(200m)四方の規模を誇る主… 続きを読む 武田神社(武田氏館跡、躑躅ヶ崎館跡)

信玄火葬塚

2013年09月01日 甲斐国主武田信玄公御墓所について天正元(1573)年4月12日、信州伊那駒場で53歳を一期として、波乱の生涯を閉じた英雄信玄公はその臨終に際し三年間の秘喪を命じた。嫡子勝頼公はこれに従い、信玄公の… 続きを読む 信玄火葬塚

積翠寺

2013年06月29日 積翠寺と要害山 甲斐国志によると開山は行基、夢窓国師の弟子竺峰が中興したという。慶安元(1648)年、仰厳恵高の時代に妙心寺派に転派する。境内に泉が湧き出ていて巨岩から滝になっていたところから、も… 続きを読む 積翠寺

要害城

2013年06月29日 要害城全景 川田の館から甲斐府中への移転を決めた武田信虎は永正16(1519)年夏頃から新館の建設に取り掛かり12月に入居しているが、自らが移転するだけではなく服属する国人達にも移住を強要した。こ… 続きを読む 要害城

渡辺囚獄佑の墓

2012年11月25日 渡辺囚獄佑。実名守。源五郎を名乗り、囚獄佑を称した。ちなみに、囚獄佑は官職名であり職務の実体はない。渡辺氏は囚獄佑の祖父知(さとる)の時から武田に仕え甲駿両国の境本栖に住して忠節を尽くしたといわれ… 続きを読む 渡辺囚獄佑の墓

渡辺氏屋敷跡

2012年11月25日 本栖の城山から南方へおよそ1km、本栖湖畔に近いやや小高い所に屋敷跡が存在している。『甲斐国志』には「宅地ハ村並ニアリ、凡ソ方一町許リ」と見え、渡辺囚獄佑の屋敷跡と伝えている。現在は主に畑と山林で… 続きを読む 渡辺氏屋敷跡

本栖口留番所跡

2012年11月25日 本栖口留番所は、甲駿を結ぶ中道往還の要衝駿州との国境本栖湖畔にあったとされる。口留番所のあった場所は、その後幾星霜を重ね、長い歴史の経過と共に様変わり、近年に至り国道139号線の拡張工事によって大… 続きを読む 本栖口留番所跡

武田信玄公石碑

2012年11月25日 武田信玄公石碑 徳川幕府も太平の時代となり村人達も尊敬する信玄公を悪病退散の神様として祀り信仰し昭和初期まで「種痘」した人達の無病息災を祈り、六斉講が毎年6月ホウソ神送り念仏の行事を行っていた。中… 続きを読む 武田信玄公石碑

江岸寺

2012年11月25日 曹洞宗の寺院で、甲府市上曾根町に所在する龍華院の末寺である。寺号の龍海山は竜ヶ岳に関係し、江岸寺は湖岸に創築されたことに由来するといわれる。伝承によると、中世・戦国時代に甲駿の国境防備のため、江岸… 続きを読む 江岸寺

本栖石塁

2012年11月25日 本栖の城山周辺樹海のなか、上九一色中学校入口付近から城山の北側までの山裾に、いくつかの溶岩の石積みが残っている。樹海内を通ずる道路によって一部破壊された部分もあるが、往時はその間を中道往還が通って… 続きを読む 本栖石塁

熊城

2012年04月30日 目印の吸殻入れ 4月15日に一度熊城に挑戦したのですが、その時は要害城で知り合った安中市の方と一緒に要害城の裏手から熊城を目指しました。最初の案内板の所では右に進みしばらく歩くと上の写真の所に出ま… 続きを読む 熊城

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カテゴリー: 甲府市

松岳院

2012年04月15日 追分山松岳院穴山氏は武田十代目の信武の子、義武が逸見筋穴山(韮崎市)において、穴山を苗字としたことにはじまる。当院の開基乙若丸は、穴山第3代武田兵部小輔信介の嫡男で、穴山第4代信懸(のぶとお:建忠… 続きを読む 松岳院

広禅院

2012年04月15日 穴山宗九郎の墓 穴山宗九郎は小山城主穴山氏を嗣いだ穴山伊予守信永をあてる説が有力である。彼は文書に登場する唯一の庶流の人物で、穴山信君が西島の広禅院に廟所を移転させ、供養を行っている。穴山信永は小… 続きを読む 広禅院

天輪寺跡

2012年04月15日 穴山信介の墓 穴山信介は武田信重の子で武田信守の弟。兵部少輔を称し、穴山氏を嗣ぐ。下山天輪寺にあった碑子によれば、父信重に先立って宝徳2(1450)年3月19日に逝去したという。法名天輪寺英中俊公… 続きを読む 天輪寺跡

葛谷城の旧跡

2010年03月22日 武田信玄の供養塔 南部町教育委員会は、ここ葛谷峠に戦国時代の狼煙場や武田信玄の供養塔があったことから、昭和52年に「葛谷峠狼煙場跡」として町の文化財に指定した。その後、この周辺全体が静甲工業株式会… 続きを読む 葛谷城の旧跡

福士城山

2010年03月22日 烽火台ともいう。また原大隅守の警護の地ともいう。(山梨県の武田氏伝説より) 麓にある最恩寺の近くから登れる道を発見することができました。途中に仏像が沢山ある所がありました。そんなに時間をかけること… 続きを読む 福士城山

妙浄寺

2010年03月22日 妙浄寺は、大日山妙楽時と称し、元は真言宗であったが、日蓮上人が身延へ入山する際即ち文永11(1274)5月16日この寺に一泊し、住持大輪法印は日蓮に帰依して改宗し日寿と改名したと云う。このため甲州… 続きを読む 妙浄寺