2014年08月03日 保渡田城址は、箕輪城址の南東約3キロメートルの位置にあり、標高140メートル内外の平坦地にある。高台の上にあるのでないから目立たない。行政区画は群馬郡群馬町保渡田である(現在は高崎市)。空掘りは南… 続きを読む 保渡田城
年: 2014年
伝・箕輪城主長野業盛の墓
2014年08月03日 長野業盛は、戦国時代西上野の要であった箕輪城最後の城主であり、永禄9(1566)年武田信玄の攻撃を受け討ち死にした。その遺骸は当地の僧法如らによってここに葬られたと伝えられている。(看板資料より)… 続きを読む 伝・箕輪城主長野業盛の墓
内藤塚
2014年08月03日 善龍寺の内藤塚永禄9(1566)年箕輪城落城後、武田信玄は重臣である内藤修理之亮昌豊に領有一帯の統治を命じ戦災で焼失した善龍寺を満行山と改号させ再建に当らせた。昌豊は後に武田勝頼に従い、長篠の戦に… 続きを読む 内藤塚
箕輪城
2014年08月03日 歴史箕輪城は、明応、永正年間(1492~1521)に長野尚業(業尚)が築城し、子憲業、孫業政により強化された。長野氏は、武田信玄、北条氏康、上杉謙信の三雄が上野国を舞台にしてお互いに勢力を争った戦… 続きを読む 箕輪城
倉賀野城
2014年08月03日 治承年間武州児玉党の余流秩父三郎高俊この地に来り居館を構え以来倉賀野を氏となす。応永年中に至り室町幕府漸く衰え、戦雲諸国を掩ふ。為に倉賀野三郎光行防御急なるに迫られこれを改修し様が居となす斯くして… 続きを読む 倉賀野城
下之城
2014年08月03日 和田下之城和田城主和田業繁(吉景)は、出城として下之城を築き弟信景(正盛)を置いたが、永禄6(1563)年、兄弟とも武田信玄に属した。同12年信玄は北条氏に備えて、倉賀野領の一部を信景に与え、城を… 続きを読む 下之城
高岩
2014年07月20日 高岩「信玄堤」は、釜無川・御勅使川の洪水を防ぐために戦国時代に武田信玄の命によりつくられたといわれます。また「信玄堤」のほかにもいろいろな施設で釜無川・御勅使川の洪水を防いでいます。特に御勅使川の… 続きを読む 高岩
一番二番出し
2014年07月20日 一の出し、二の出し「信玄堤」は、釜無川・御勅使川の洪水を防ぐために戦国時代に武田信玄の命によりつくられたといわれます。また「信玄堤」のほかにもいろいろな施設で釜無川・御勅使川の洪水を防いでいます。… 続きを読む 一番二番出し
信玄堤
2014年07月20日 富士川は日本でも有名な急な流れの川です。このため大雨のときには、たびたび荒れ狂います。現在のようにコンクリートも機械も無い大昔に荒れ狂った川の洪水を防ぐ事は大変なことでした。この「聖牛」は、洪水の… 続きを読む 信玄堤
黄梅院
2014年07月20日 黄梅院跡黄梅院は、27歳で無くなった武田信玄の娘(名不詳、法名【黄梅院殿水鳳瑞尼】或いは【黄梅院殿春林宗芳大禅定尼】)の供養のため建立された寺院といわれています。娘は天文12(1543)年に信玄と… 続きを読む 黄梅院
泣石
2014年07月20日 下今井字鳴石のJR中央線と県道との間にあり、現在地より約100m南東にあった。高さ約3.8m、巾約2.7m、奥行約3.7mで中央部から水が流れ出ていたが、鉄道の開通により水脈が断たれてしまった。天… 続きを読む 泣石
天沢寺
2014年07月20日 天沢寺は文明4年亀沢郷の地頭飯富氏が鷹岳宗俊禅師を開山に請じて開基した禅刹で北岳禅林の名で知られている。開基檀那飯富氏は逸見光長の子飯富宗李を祖とする甲斐源氏で子孫は武田家の重臣として亀沢、西八幡… 続きを読む 天沢寺
慈照寺
2014年07月20日 有富山「慈照寺」は曹洞宗(禅宗)の別格地で24ヶ寺の本寺である。古くは真言の寺院であったが、室町時代の延徳元(1489)年8月開祖真翁宗見禅師(竜華院開祖桂節宗昌禅師の法嗣)によって禅寺に改めて開… 続きを読む 慈照寺
金桜神社
2014年07月20日 虫切鈴の由来武田信玄公の弟信繁は幼少の時癇の虫強く母の信虎夫人は深くこれを憂い、この鈴に願をこめて武田氏代々崇敬の厚い金桜神社に祈願しました。即ちたちどころに癇の虫おさまり、その後信繁は立派に成長… 続きを読む 金桜神社
将棋頭(白根将棋頭)
2014年07月20日 武田信玄公の治水事業想定図 御勅使川は、巨摩山地を水源として、甲府盆地に流下する急流河川で、山腹や渓岸を侵食し、大量の土砂を運び幾度となく氾濫を繰返し日本有数の大扇状地形を形成しました。戦国の時代… 続きを読む 将棋頭(白根将棋頭)
石積出し(三番堤)
2014年07月20日 御勅使川は、甲府盆地西側の巨摩産地に源を発し、侵食力の極めて大きな河川です。この御勅使川の氾濫によって、白根町(現南アルプス市)駒場を扇頂として、東西7.5km、南北10kmにも及ぶ日本屈指の大扇… 続きを読む 石積出し(三番堤)
石積出し(一番堤)
2014年07月20日 御勅使川は、甲府盆地西側の巨摩産地に源を発し、侵食力の極めて大きな河川です。この御勅使川の氾濫によって、白根町(現南アルプス市)駒場を扇頂として、東西7.5km、南北10kmにも及ぶ日本屈指の大扇… 続きを読む 石積出し(一番堤)
石積出し(二番堤)
2014年07月20日 御勅使川は、甲府盆地西側の巨摩産地に源を発し、侵食力の極めて大きな河川です。この御勅使川の氾濫によって、白根町(現南アルプス市)駒場を扇頂として、東西7.5km、南北10kmにも及ぶ日本屈指の大扇… 続きを読む 石積出し(二番堤)
石和八幡宮
2014年07月12日 第12代景行天皇の御弟、稚城瓊入彦命は東国視察からやがて甲斐の国に入られここに行宮を建て一年有余滞在された。命に随行しこの地を治めた和爾臣(わにおみ)氏は、のちに行宮跡に命と一族の始祖、天足彦国押… 続きを読む 石和八幡宮
板額塚
2014年07月12日 板額塚由来境川村小黒坂小字柳原のこの地は古くより板額塚と口伝されてきたところである。両側の里道は板額坂と呼ばれている古道である。この板額塚は浅利与一義成の妻板(坂)額の塚と言われている。板額女は鎌… 続きを読む 板額塚
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