小畠山城守虎盛・小幡豊後守昌盛屋敷跡

2007年10月28日 小畠虎盛は、遠江国の出身で、幼少の折に父日浄とともに武田家に仕え、永正15(1518)年に父死去により家督を相続し、信虎から騎馬15騎、足軽75人を預かる足軽大将に任じられたという。信虎・信玄2代… 続きを読む 小畠山城守虎盛・小幡豊後守昌盛屋敷跡

お聖道さま

2013年09月01日 ここは、武田信玄の二男竜宝(母は三條夫人)の墓と伝えられています。近在の人たちは古くからここを「おしょうどうさん」といって大切に保存してきました。竜宝は生まれつき目が不自由であったため、早くから仏… 続きを読む お聖道さま

川田館跡

2007年04月25日 川田館跡は、武田信玄の父信虎が永正16(1519)年につつじヶ崎(現在の武田神社一帯)に館を移すまで、甲斐国統治の中心であった。15世紀後半、信虎の祖父信昌がこの館を築いたといわれる(甲斐国志)が… 続きを読む 川田館跡

勝山城

2004年08月14日 勝山城は甲府の南に位置しており、武田信虎の時代に今川氏親との戦いの際に舞台となったところである。永正12(1515)年頃、椿城の大井氏が武田信虎に叛いて駿河の今川氏親がこれに呼応して配下の武将を甲… 続きを読む 勝山城

逍遥禅院

2005年09月11日 武田逍遥軒信綱公之祠 本堂の左奥に入ってすぐのところに武田信廉の祠がありました。住職と思われる方の話によれば、武田信廉は武田家が滅んだ後の織田・徳川軍による武田の残党狩りで殺されたため、墓は存在し… 続きを読む 逍遥禅院

攀桂寺

2005年09月11日 曹洞宗遊月山攀桂寺当山は開山宗祖道元14世法孫道威元亀2年5月跡部伊賀守信秋の創立で、はじめ穀蔵寺と称したが後に信秋の舎号攀桂斎をとって攀桂寺と改めた。跡部氏は甲斐源氏小笠原長清の長男伴野六郎時長… 続きを読む 攀桂寺

信玄堤(荒川)

2005年01月09日 信玄堤案内板 信玄堤とは、16世紀の武田信虎、信玄の治世下に築造されたと伝えられる堤防のことです。釜無川と御勅使川の合流点の竜王町(現在甲斐市)高岩付近のものが有名であるが、荒川でも甲府市山宮町付… 続きを読む 信玄堤(荒川)

弥三郎権現

2004年10月24日 弥三郎権現のお話しこの羅漢寺山弥三郎岳の名称は…その昔、甲斐国、御岳(今の昇仙峡)にある名刹羅漢寺に弥三郎という酒造りの名人が寺男として住んでいました。この弥三郎は、武田家の勝ち戦の祝い酒などを造… 続きを読む 弥三郎権現

金桜神社

2014年07月20日 虫切鈴の由来武田信玄公の弟信繁は幼少の時癇の虫強く母の信虎夫人は深くこれを憂い、この鈴に願をこめて武田氏代々崇敬の厚い金桜神社に祈願しました。即ちたちどころに癇の虫おさまり、その後信繁は立派に成長… 続きを読む 金桜神社

能成寺

2013年09月01日 定林寺能成寺は、臨済宗妙心寺派に属し、甲府五山の一つに数えられている名刹です。開基は、甲斐の守護武田信守、開山は名僧業海本浄で南北朝時代に小石和筋八代村(現在の八代町)に創建されたと言われ、今は八… 続きを読む 能成寺