2014年07月12日 穴山伊予守と一族郎党の廟所 童女のてまり歌にうたわれた「一に花鳥ニに小山三につらいは常楽寺」は、小山城主穴山伊予の悲運を今に伝えています。穴山伊予守は甲斐源氏で南部領主(南巨摩郡)穴山信懸の次男で… 続きを読む 常楽寺
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広禅院
2012年04月15日 穴山宗九郎の墓 穴山宗九郎は小山城主穴山氏を嗣いだ穴山伊予守信永をあてる説が有力である。彼は文書に登場する唯一の庶流の人物で、穴山信君が西島の広禅院に廟所を移転させ、供養を行っている。穴山信永は小… 続きを読む 広禅院
小山城
2005年08月27日 小山城は浅川扇状地北端の小丘を利用して構築された面積12.046平方メートルの規模を有する武田時代の城である。城の南辺の土塁は一部削平されているが、他は良く遺されている。土塁は底辺が約15メートル… 続きを読む 小山城
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