2020年06月20日~21日 天正9年に武田氏の当主武田勝頼が新たに府中の中核として築造した新府城は、韮崎市を貫通する釜無川と塩川の2大河川の開削によって形作られた七里岩台地上にあり、その西崖を活かした要害の地に築城さ… 続きを読む 新府城
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岩櫃城
2016年08月13日 岩櫃城は岩櫃山(標高802m)の中腹東面に築かれた典型的な中世の城であり、山頂より約200m低い場所に本丸・二の丸・中城があり、これらを中心に広い範囲で竪堀や曲輪が点在します。岩櫃城はその築城時期… 続きを読む 岩櫃城
長井坂城
2016年08月13日 二の丸 勢多・利根の郡界で、西は利根川の断崖、北は昭和村永井の深い谷、東南は赤城原野に続いて、沼田街道、「長井坂」の要所にある。極めて要害堅固の地に築かれた、戦国時代の代表的な崖端城で、永禄年間(… 続きを読む 長井坂城
沼田城
2016年08月13日 天文元(1532)年沼田氏12代の沼田顕泰が築城し柳町の幕岩城から移る。【上杉氏支配】永禄9(1566)年、顕泰は子の朝憲に城主を譲り、側室とその子平八郎を連れて川場村天神城へ隠居したが、平八郎を… 続きを読む 沼田城
上田城
2014年11月08日 2003年11月03日 けやき並木の遊歩道 この日は雨でしたが上田城の紅葉がちょうど見頃でした。雨のおかげ?で人がまったくいなく静かに見学することができました。上田城は徳川の大軍を2度も撃退した城… 続きを読む 上田城
長谷寺
2014年09月28日 真田山長谷寺当寺は往古「種月庵」という無住の小寺に、天文16(1547)年に真田幸隆公が上州安中の長源寺より晃運和尚を招いて「真田山種月院長谷寺」として創建された。天正16(1588)年真田昌幸公… 続きを読む 長谷寺
鵜殿渕
2013年12月31日 森町 戦国夢街道パンフレット 天正2(1574)年4月、徳川家康は兵2千を率い、犬居城を指して信州街道を北上した。一の瀬より大久保、田能を経て、気田川のほとり、犬居の瑞雲寺に本陣を張った。たまたま… 続きを読む 鵜殿渕
明徳寺城
2013年01月12日 明徳寺城は南北朝時代、会津の葦名氏の来攻に備えて荘田城の沼田氏が築いた天神山砦を改築したものと考えられ、明徳年間(1390~4)僧の松庵が城郭の下に明徳寺を開山したことから、現在の名称が一般的にな… 続きを読む 明徳寺城
富士浅間の砦
2013年01月12日 真田昌幸が築いたといわれる。名胡桃城の狼煙台か。遺構は腰郭・石宮(昌幸くんおすすめ みなかみ町歴史マップより) 名胡桃城の無料休憩所で入手した資料に「富士浅間の砦」というものがあり、場所を教えても… 続きを読む 富士浅間の砦
名胡桃城
2013年01月12日 南に赤城山、北に谷川連峰、東西を山に囲まれたこの利根・沼田地方は、鎌倉時代より戦国時代にかけて沼田氏が支配していた。沼田氏の全盛期には一族や重臣たちを各地に配して勢力の拡大を図った。名胡桃氏・小川… 続きを読む 名胡桃城
見立城
2012年12月24日 不動山城跡渋川市赤城町立見二城にあって白井城と利根川を隔ててその重要な支城であった。白井城が攻められた時二度も白井城主を迎えた事実があり、戦国の世には上杉武田の諸軍と戦ったこともあったが、天正18… 続きを読む 見立城
津久田城
2012年12月24日 渋川市赤城町津久田(旧字寄居)に所在する並郭式の崖端城です。北は沼尾川、西は利根川を臨む急崖上に広がる東西約3百メートル、南北約130メートルの平城で、北西隅に本丸、その南に二の丸、東に三の丸、外… 続きを読む 津久田城
森下城
2012年12月24日 天神城、鎌田城とも呼ばれ沼田城団の一つとして作られたといわれる。後に真田、北条氏によって前衛の砦として利用された。天正10(1582)年北条氏に攻められ、加藤丹波守が奮戦した模様は沼田元祖記に詳し… 続きを読む 森下城
阿岨城
2012年12月24日 阿岨城跡信越地方と関東を結ぶ要衝の地である上野(群馬県)は、戦国時代には北からの上杉氏、南からの北条氏、西からの武田氏と三つ巴の争覇の地であった。利根沼田は上杉方の越後と関東を結ぶ拠点的通路であっ… 続きを読む 阿岨城
中山城
2012年12月23日 中山城跡群馬県史通史編3中世は「16世紀に入ると、上野内の築城は第3期を迎え…中世築城の最盛期となる」とし、「主な城を挙げると、金山城・箕輪城…長井坂城・中山城…などである」と記している。そして、… 続きを読む 中山城
小川城
2012年12月23日 小川城由来足利時代、此の地は小川郷として呉胡桃郷と共に村落が開け奥利根ひいては裏日本を扼す戦略上の拠点として重要なところであった。北上州の雄沼田荘田城主沼田景久が西の備えとして此処に築城したのは明… 続きを読む 小川城
諏訪の木城
2012年12月23日 三国街道の北側台上に築かれ、東半は兵力の多寡により取捨する「捨て郭」である。天正9(1581)年6月、真田昌幸は塩原源太左衛門を置き、同17年、北条氏の手に移って望月主計・塩原清左衛門が守った。本… 続きを読む 諏訪の木城
丸子城
2010年01月31日 丸子合戦(丸子表の戦い)天正13(1585)年8月2日、真田昌幸は沼田城(群馬県)の明渡しを拒み、徳川家康の大軍と神川の辺りで合戦しこれを撃退しました。その後、徳川軍は丸子城に矛先を変え、八重原に… 続きを読む 丸子城
長国寺
2005年09月24日 国指定史跡 旧松代藩主墓所歴代藩主墓所初代藩主霊屋[重要文化財]四代藩主霊屋[県宝]開山堂[県宝]墓域の一部をのぞく長国寺の全域が国の史跡に指定されている。(看板資料より) 拝観料を支払うとお寺の… 続きを読む 長国寺
真田庵(善名称院)
2005年08月03日 県指定文化財 真田屋敷跡戦国の武将、真田昌幸・真田幸村父子は慶長5(1600)年関ヶ原の戦で西軍に味方して敗れ、高野山に配流の身となったが、後九度山のこの地で蟄居生活をした。昌幸は、慶長6(161… 続きを読む 真田庵(善名称院)
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