三光寺

2005年02月12日 曹洞宗満家山 三光寺京都天竜寺開山夢窓国師の開闢の地である。長く廃絶していたが、約380年前中川根町上長尾智満寺5世才岩存芸大和尚が再興して、曹洞宗寺院となる。3世察伝和尚の代に家光公より朱印6石… 続きを読む 三光寺

刑部城

2005年02月11日 刑部城址阿王山紫城とも呼ばれるこの城は、三方を都田川で囲まれた要害の地に築かれました。戦国時代の永禄11(1568)12月、この地の人々がここに城柵を築いて立てこもり、徳川家康の軍と戦い敗れました… 続きを読む 刑部城

武田不動尊

2004年12月30日 武田不動尊永禄年間武田信玄公は穂坂の牧の一部であった地蔵ヶ原の開拓を志し附近の住民をこの地に集め屋敷を与え租税を免除して新田を開発し竜地宿をつくった。当時武田家からの朱印状は石柩に長く保存されてい… 続きを読む 武田不動尊

梅ヶ島温泉

2004年12月19日 梅ヶ島温泉のこと梅ヶ島温泉の発見は約1300年前にさかのぼると伝えられている。昔からこの湯は「黄金の湯」と呼ばれていたが、これは近くの山から産出された砂金を朝廷に献上し天皇から、金に関係の深い湯で… 続きを読む 梅ヶ島温泉

信玄坑(津具金山)

2004年12月12日 元亀三年の頃より甲州武田信玄の勢力がこの地にも及びました。信玄は津具川に砂金の産することを知り採掘をしましたが、この山に金鉱脈を発見して、いくつかの坑道を掘りました。この坑道はその一つで総延長は1… 続きを読む 信玄坑(津具金山)

鳳来寺

2004年09月20日 本堂 鳳来寺はおよそ千三百年前に、利修仙人によって開かれ、大宝3(703)年に文武天皇から鳳来寺の名を賜って建立されたと伝えられている。以来広い信仰圏を持って栄え、源頼朝も厚く信仰し、大伽藍堂を寄… 続きを読む 鳳来寺

信玄の狼煙台

2004年9月20日 浪合村役場で村内の史跡について教えてもらったところ村の観光パンフレットをもらいました。それによると平谷村との境の蛇峠山というところに信玄の狼煙台というものがあることを知りました。役場の方の話によれば… 続きを読む 信玄の狼煙台

武田信玄公之像

2004年08月14日 武田信玄は、大永元(1521)年11月3日甲斐守護信虎の嫡男として生まれた。幼名を太郎といい、天文5(1536)年で元服、将軍足利義晴の一字をもらって晴信と名乗る。入道して信玄を称するのは、永禄2… 続きを読む 武田信玄公之像

永井坂戦跡

2004年06月19日 塩尻峠の合戦の際の戦死者を祀ってある、首塚・胴塚の場所を探しているときに、旧中山道沿いを塩尻峠に登る方向に向って、長井坂戦跡という看板があったのですが、首塚・胴塚の場所を教えてくれた老人が、長井坂… 続きを読む 永井坂戦跡

信玄芝原

2003年11月22日 永禄12(1569)年、武田信玄が小田原攻めを行う時、戦勝祈願のため寒川神社に立ち寄り、兵を休めたところと伝えられています。この時奉納された、天文6(1537)年明珍房宗作の六十二間筋兜は寒川神社… 続きを読む 信玄芝原

小岩嶽城

2003年07月05日 小岩嶽城址について当城は、中世の古厩郷の領主古厩氏の宿城と考えられ、城域は、今の小岩岳集落も含めた広範囲とされ、現在も集落内には空掘の一部と地割が見られます。また本郭は約1平方キロメートル、その平… 続きを読む 小岩嶽城

犬越路

2003年05月28日 上の写真は津久井町青根から犬越路に向かう神ノ川林道を進んで一般車通行止めになっている場所です。ゲートが閉められていて入ることはできません。通行止めになっていることは分かっていたのですが後日PSアド… 続きを読む 犬越路

信玄道

2003年05月24日 愛川町役場の前を走っている道は、小田原城を囲んでいた武田軍が平塚から北上して三増峠へ向かって進んだ道で信玄道と言われているそうです。上の写真の場所は愛川町役場から少し南に行ったところです。

永勝寺

もともと天台宗であったが親鸞が立ち寄ったのをきっかけに浄土真宗になりその後衰えたが戦国時代に武田信玄によって再建されたとのことです。武田氏滅亡後は北条氏ににらまれ寺は荒廃しました。そこで本尊阿弥陀如来は威厳をあらわし、馬… 続きを読む 永勝寺

妙心寺

正法山と号し、臨済宗妙心寺派の大本山である。深く禅に帰依された花園法皇が関山慧玄を開山とし離宮荻原殿を改めて寺とされたのが当寺の起りで室町初期に一時中断し再興後応仁の乱で再び焼失したが、乱後雪江宗深が再建、弟子にも名僧が… 続きを読む 妙心寺