2017年04月23日 2007年04月29日 新城(盛信)神社・藤原神社 4月29日に桂泉院および高遠城址公園内の藤原神社で行われた慰霊祭および例大祭に参加させていただきました。当日は朝9時に桂泉院に集合することになっ… 続きを読む 高遠城
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提灯ずるね
2015年10月12日 提灯ずるね(尾根)つつじ公園武田軍は大軍がいるかの如く見せかけるため、提灯を掲げかがり火を焚き、山本勘助が一本松(史跡天然記念木山本勘助物見の松)に登り、神之峰床山城の状況を偵察、一気に夜間改め入… 続きを読む 提灯ずるね
山本勘助物見の松
2015年10月12日 山本勘助物見の松は一本松、ジタジタ松ともいう。知久氏攻略に進んできた武田の武将山本勘助は、喬木村富田を経て、柏原に侵入、この松によじ登り南正面に見える神之峰床山城を遠望すると、天然要害の地に立つ城… 続きを読む 山本勘助物見の松
ジタジタ峠
2015年10月12日 天文23(1554)年武田信玄の率いる武田軍は小笠原氏の鈴岡城を攻め落し、その勢いをもって下久堅の文永寺を焼き払い、竜東の雄、諏訪氏の流れの知久頼元の居城神の峯攻略のためここに立った。時に8月中旬… 続きを読む ジタジタ峠
小諸城
2015年05月03日 三の門 重要文化財 小諸城三の門(平成5年12月9日国指定)小諸城は慶長元和年間(関ヶ原役前後)にわたって時の城主仙石氏が築城しました。三の門も大手門と同様に一連の造営の中で創建されたものです。し… 続きを読む 小諸城
平出一里塚(平出の乳松)
2014年05月24日 一里塚は、慶長9(1604)年より徳川秀忠の命により各街道に築かれ同12年にほぼ完成をみた。秀忠は、永井白元、本多光重等を一里塚奉行に任命して、中仙道筋の幕府領、私領を問わず人足を徴発して道を整備… 続きを読む 平出一里塚(平出の乳松)
山本勘助誕生地
2014年01月18日 「山本勘助誕生地」碑武田信玄に仕えた軍師山本勘助は、山本の吉野に生まれた人であるといわれ、同家の門前に「山本勘助誕生地」の碑が建てられた。吉野家は南北朝時代に当地に居住したといわれる旧家で、勘助は… 続きを読む 山本勘助誕生地
医王寺
2014年01月18日 山本勘助のお墓生誕地は富士市山本、明応2年吉野貞幸、安女の三男源助として生まれ、12才で三河国牛窪、大林左衛門の養子となり名前を勘助と改めた。しかし実子が生まれたため、35才の時に離縁し山本勘助と… 続きを読む 医王寺
山本勘助不動尊
2013年09月21日 山本勘助不動尊の由来山本勘助不動尊のお堂は三日市場と小屋敷の人たち20数戸の家が4戸1組の輪番制で守り、祭りの当番を行っている。堂内には総高40cmの勘助を模した不動明王像と矜羯羅・勢多迦の2童子… 続きを読む 山本勘助不動尊
宗泉院
2013年09月07日 本堂 山本勘助の供養塔 2004年12月30日 山本勘助の供養塔 山本勘助の墓と言われているところが韮崎にあるとのことでしたので来てみました。最初に宇波刀神社というところに行ったのですがそれらしい… 続きを読む 宗泉院
山本勘助の墓
2013年07月21日 山本勘助(道鬼)墓山本勘助は、三河国(愛知県)の出身。26歳より諸国を巡り修業し、天文・兵法・剣術・築城術等武芸百般を体得。44歳にして武田信玄の軍師となり数々の策略を立て、上杉謙信の攻撃に備えて… 続きを読む 山本勘助の墓
内池館
2012年11月18日 この館跡は中世の武士の館跡であり、志久見集落の西の高台、内池と呼ばれる地にあります。館跡は平安時代末から戦国時代までこの地の領主であった市河氏に関係するものと伝えられています。田んぼの整備などによ… 続きを読む 内池館
若杉家の屋敷跡
2008年03月22日 森町 戦国夢街道パンフレット 万歳坂から更に奥に進んで行くと花立茶屋、いぼ取り地蔵、八幡神社と続き、その後普通の道路となり商店もあってその先に若杉家の屋敷跡の看板を見つけました。茶畑になっていて静… 続きを読む 若杉家の屋敷跡
西明寺
2008年03月16日 豊川市の西明寺というところに山本勘助の墓があるとのことで立ち寄りました。お寺の本堂前まで行きましたが案内板などがないので場所が分からず、お寺の人に声をかけてみました。足を悪くされている老婦人が対応… 続きを読む 西明寺
長谷寺
2008年03月16日 長谷寺には以前にも寄りましたが、去年のNHK大河ドラマを終えてその後どうなっているのか確認したかったので立ち寄ってみました。境内の隣の敷地は駐車場になっていて境内には大きな説明用の資料が展示されて… 続きを読む 長谷寺
山本勘助晴幸生誕地
2008年03月16日 山本勘助の生誕地があるとのことで今回立ち寄りました。最初は狭い道に車で乗り入れて現地に到着したのですが、車を止めておくスペースが無かったので「山本勘助生誕の地」の案内板のところに車を止めて現地まで… 続きを読む 山本勘助晴幸生誕地
山本勘助晴幸屋敷跡
2007年10月28日 三河国牛窪出身の浪人で、諸国を遍歴し兵法や築城術を会得したが、隻眼となり、片足も不自由になったという。天文5(1536)年に、駿河国今川義元に仕官しようとするが、実現しなかった。天文12(1543… 続きを読む 山本勘助晴幸屋敷跡
山本勘助屋敷墓
2006年12月03日 山本勘助屋敷跡の案内図 事前の調査によると、須玉インターチェンジを降りて北のほうに向かっていくと高根クラインガルテンの北のあたりに山本勘助の墓があるとのことでしたので今回立ち寄ることにしました。長… 続きを読む 山本勘助屋敷墓
勘助坂
2005年07月03日 祖父貞久は、長男貞宗に家督を譲り、吉野本家の近くの石の宮に次男貞幸を連れて隠居したといわれています。ここは勘助が子供の頃遊んだ「勘助坂」と言い伝えられている急坂であります。竹馬に乗った勘助が近所の… 続きを読む 勘助坂
勘助宮
2003年08月15日 勘助宮跡は、この地より北東約100メートルの位置にあった。勘助宮はもともとは北小森集落の氏神で、建御名方神を祭る諏訪社であった。遠い戦国の世、上杉・武田両軍の数度にわたる戦いがあり中でも永禄4(1… 続きを読む 勘助宮
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