2013年10月13日 甲斐国志に「曲淵氏ノ古跡片颪ニアリ、竪百間、横六十間許リ、東ヲ端門トス。西南ハ釜無川ノ険ニ臨ミ北ニ小深沢ト云フ河アリ、コレ会スル所彎曲シテ深潭トナル、曲淵ノ名此ニ出ズト云フ」とある。清泰寺の南、小… 続きを読む 曲淵氏屋敷跡
史跡の種類: 館跡
教来石民部館跡
2013年10月13日 教来石民部館跡の由来(馬場美濃守信春)この地鳥原には、昭和63年の発掘調査により、教来石民部館があったことが判っています。館主である教来石氏は、武田家支流の一条氏から派生した在地の武士団、いわゆる… 続きを読む 教来石民部館跡
慈徳院
2013年09月21日 武田信春公墓所 寺は大正2年7月の大火で本堂、庫裡等を焼失、寺の由来等を知る古文書類はまったく残っていません。伝えによれば、当寺は武田信玄公より7代前の信春公の館跡にして、応永(1400年代)年間… 続きを読む 慈徳院
大輪寺
2013年09月07日 大輪寺日蓮宗池上本門寺派甘利山大輪寺は、中世武田時代の甘利郷領主甘利氏の菩提寺である。大輪寺の開基は甘利左衛門尉昌忠、開山は慶受院日国、本尊は十界勧請大曼陀羅である。寺の境内は甘利氏の居館の跡で、… 続きを読む 大輪寺
武田信義館跡
2013年09月07日 武田の里は甲斐源氏惣領武田氏発祥の地である。今を去る八百余年の昔、源信義がここに居館を構えて武田太郎と号し、甲斐源氏一族を率いて強大な武力を誇った。治承4(1180)年高倉宮以仁王の令旨を奉じて平… 続きを読む 武田信義館跡
河尻塚
2013年09月01日 この地は織田信長の家臣河尻肥後守秀隆の首塚とも、また彼の屋敷跡とも伝えられている。織田信長が武田氏討伐の軍を起したとき(1582年)河尻秀隆は軍目付として活躍し、甲斐と信濃諏訪郡の領主となった。背… 続きを読む 河尻塚
武田神社(武田氏館跡、躑躅ヶ崎館跡)
2013年09月01日 国指定史跡武田氏館跡別名躑躅ヶ崎館跡と呼ばれる史跡武田氏館跡は、永正16(1519)年に武田信虎によって築かれ、信玄・勝頼と武田三代の本拠地として使用されました。二町(200m)四方の規模を誇る主… 続きを読む 武田神社(武田氏館跡、躑躅ヶ崎館跡)
小笠原家書院
2013年08月01日 旧小笠原家書院 この建築は伊豆木小笠原家の居館の一部です。伊豆木小笠原家は中世松尾に居城した松尾小笠原家の後裔です。慶長5(1600)年徳川家康より初代小笠原長巨が伊豆木において秣料千石を賜り、こ… 続きを読む 小笠原家書院
阿左美氏館
2013年01月04日 阿左美氏館は、日野沢川左岸の南面した山腹に立地しています。傾斜地に築いた石垣は今もみごとに残されており、二重、三重にめぐらされて、その角々には三箇所の「食違い門」が設けられていました。その門も礎石… 続きを読む 阿左美氏館
渡辺氏屋敷跡
2012年11月25日 本栖の城山から南方へおよそ1km、本栖湖畔に近いやや小高い所に屋敷跡が存在している。『甲斐国志』には「宅地ハ村並ニアリ、凡ソ方一町許リ」と見え、渡辺囚獄佑の屋敷跡と伝えている。現在は主に畑と山林で… 続きを読む 渡辺氏屋敷跡
内池館
2012年11月18日 この館跡は中世の武士の館跡であり、志久見集落の西の高台、内池と呼ばれる地にあります。館跡は平安時代末から戦国時代までこの地の領主であった市河氏に関係するものと伝えられています。田んぼの整備などによ… 続きを読む 内池館
豊田藤助屋敷跡
2012年05月04日 天正3(1575)年、奥平貞昌(後に信昌)が城兵五百で守る長篠城は、一万五千余の武田軍に包囲され落城の危機にさらされていた。この長篠城を救援するために織田・徳川連合軍三万八千が連吾川の右岸、弾正山… 続きを読む 豊田藤助屋敷跡
孕石館
2012年02月12日 掛川市の北部に蛇行する原野谷川が、孕石天神の北側にあたり、数十mの断崖を半円形に東側から南へ迂回して流れており、館跡はこの崖上にある。孕石氏は主水元泰の時に今川氏から駿府に屋敷を賜り在勤したが、永… 続きを読む 孕石館
武田信道および家臣供養塔並びに屋敷跡
2012年01月08日 武田信道及び家臣供養塔 都史跡武田信道および家臣供養塔並びに屋敷跡甲州武田信玄の孫信道夫妻およびその子信正は、元和元(1615)年大久保長安の罪に連座して大島に配流された。この時8人の家臣が主に従… 続きを読む 武田信道および家臣供養塔並びに屋敷跡
峰畑城居館跡
2011年12月31日 峰畑城は本格的な山城ではなく、城主の居館に接続する土地の一部を城として築いたもので、戦国時代にはこのような城塞を「掻き上げ」とか「砦」といった。主郭は御社宮司社の道を挟んで向かい側、天竜川を見下す… 続きを読む 峰畑城居館跡
常葉氏館跡
2010年03月22日 常葉氏は秋山光朝の別れといわれる。館跡といわれる場所の周辺には、城台・御城平・関口・城の下・城の道・木戸口などの関連地名が残されているが、館跡は現在小中学校敷地となっていて館の形態を留めていない。… 続きを読む 常葉氏館跡
妙園寺
2010年03月22日 祖師堂 妙円寺の境内は馬場丹後守忠次の屋敷跡といわれ、坊平からここに移ってきたと伝える。(山梨県の武田氏伝説より) 参道を登り、途中左側に本堂があって、更に先に進むと祖師堂がありました。桜が開花し… 続きを読む 妙園寺
黒田代官屋敷
2010年01月10日 小笠町下平川志茂組にあり、徳川家の直参旗本本多日向守の知行地、下平川、嶺田の一部および三沢の四千五百余石を支配する代官所跡である。この代官職は、今川氏以来この地を知行する黒田氏によって継続されてき… 続きを読む 黒田代官屋敷
浦野城
2009年10月04日 浦野氏の歴史と居館跡浦野氏は平安時代末期の1150年頃に祢津氏から分かれ、浦野字前沖内堀・下前沖などの土地を開発し、阿鳥川から水を引いて開田し、開発所領としました。鎌倉時代初頭1190年頃には「浦… 続きを読む 浦野城
熊谷氏の遺跡・土居屋敷跡
2009年08月12日 伊勢が坪城から高松城に本拠を進めた熊谷氏が、天正19(1591)年毛利氏に従って広島に移るまで、平生使用していた屋敷・政庁跡である。背後に高松城をひかえ、前面に根之谷川を天然の堀とした要害の地にあ… 続きを読む 熊谷氏の遺跡・土居屋敷跡
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