2013年01月04日 武田信玄に焼かれたお寺として菊水寺を探しました。現地の正面に立ってみると菊水寺という名前は小さく彫られていて、大きく長福寺と彫られていました。本堂の中に入ってみるとお坊さんがいたので聞いてみました… 続きを読む 菊水寺
史跡の種類: 寺
広見寺
2013年01月04日 惣門は、桁行2.54m、梁間2.12m、切妻造、茅葺型銅板葺の禅宗様四脚門で、17世紀の造営と考えられる。この門は、随所に中世の手法を用い、門に調和した妻飾り、茅葺型屋根の堂々とした外観は、県下で… 続きを読む 広見寺
江岸寺
2012年11月25日 曹洞宗の寺院で、甲府市上曾根町に所在する龍華院の末寺である。寺号の龍海山は竜ヶ岳に関係し、江岸寺は湖岸に創築されたことに由来するといわれる。伝承によると、中世・戦国時代に甲駿の国境防備のため、江岸… 続きを読む 江岸寺
常慶院
2012年11月18日 インターネットの情報等で市河氏の菩提寺として紹介されていた常慶院に寄りました。NHK大河ドラマ「風林火山」の番組の最後に放映される史跡紀行でもこの常慶院が紹介されたとのことでした。お寺の方に会うこ… 続きを読む 常慶院
西敬寺
2012年11月18日 当寺の開基である下総の岩倉刑部親経は親鸞聖人が善光寺に参拝した際弟子となり釈善巧と称し、建長7(1255)年更埴市倉科に一寺を建立し西敬寺と称した。その後、永禄年間(1560年頃)中野市牛出に移る… 続きを読む 西敬寺
光蓮寺
2012年11月18日 今回はお寺の方にお会いすることができました。武田氏の墓などがあるのか確認したところ、こちらのお寺の住職が武田という苗字とのことで、住職の墓はあるとのことでした。この日はお寺の行事が行われていて忙し… 続きを読む 光蓮寺
松岳院
2012年04月15日 追分山松岳院穴山氏は武田十代目の信武の子、義武が逸見筋穴山(韮崎市)において、穴山を苗字としたことにはじまる。当院の開基乙若丸は、穴山第3代武田兵部小輔信介の嫡男で、穴山第4代信懸(のぶとお:建忠… 続きを読む 松岳院
広禅院
2012年04月15日 穴山宗九郎の墓 穴山宗九郎は小山城主穴山氏を嗣いだ穴山伊予守信永をあてる説が有力である。彼は文書に登場する唯一の庶流の人物で、穴山信君が西島の広禅院に廟所を移転させ、供養を行っている。穴山信永は小… 続きを読む 広禅院
天輪寺跡
2012年04月15日 穴山信介の墓 穴山信介は武田信重の子で武田信守の弟。兵部少輔を称し、穴山氏を嗣ぐ。下山天輪寺にあった碑子によれば、父信重に先立って宝徳2(1450)年3月19日に逝去したという。法名天輪寺英中俊公… 続きを読む 天輪寺跡
長谷寺
2012年02月24日 白岩の長谷寺、通称「白岩観音」は、朱鳥年間(686-696)に開基されたことが「長谷寺縁起絵巻」に伝えられている。本尊の十一面観音立像は、総高230cm、像高180cmで、かや材の一木割矧造で素木… 続きを読む 長谷寺
長純寺
2012年02月24日 長野業政公 供養塔 信濃山 長野業政公 供養塔中央が長野業政公の墓、左が万霊菩提の為に大乗妙典1千部を誦された記念塔、右が業政公令室の墓と伝えられている。業政公は長野氏60年間の箕輪城主の中でも最… 続きを読む 長純寺
長年寺
2012年02月24日 長年寺長野氏の墓 中央が初代鷹留城主で、長年寺開基、長野業尚の墓である。左右に3基づつ歴代の墓が並んでいる。五輪塔墓石の最下段である方形石の地輪正面に、それぞれ戒名が刻まれている。慶岩長善庵主:長… 続きを読む 長年寺
可睡斎
2012年02月19日 可睡斎の由来可睡斎は600年前(応永8年)、如仲天誾禅師によって開創された曹洞宗屈指の名刹です。11代住職仙麟等膳大和尚は、幼い家康を戦乱から救ったことがあり、後に家康が浜松城主になった折、報恩の… 続きを読む 可睡斎
崇信寺
2012年02月19日 築城の年代は明らかではないが、室町時代の初期(約600年前)に山内道美(対馬守)が築いたといわれている。永禄の末か元亀の初め頃(約400年前)山内通泰(大和守)の時に徳川家康に攻められて落城し以降… 続きを読む 崇信寺
全龍寺
2012年01月09日 武田信実(信虎七男)の長男である信俊は幕府旗本となったが、分家は川窪を称した。全龍寺は信俊六男の信通家の菩提寺で墓碑が四基残る。(甲斐の虎信玄と武田一族より)
本土寺
2012年01月09日 長谷山本土寺は、建治3(1277)年豪族平賀忠晴の屋敷内に、日蓮上人の弟子日朗を導師として招き、開堂したのが起こりです。本土寺は池上の「長栄山本門寺」、鎌倉の「長興山妙本寺」とともに「朗門の三長三… 続きを読む 本土寺
尼寺遺跡
2011年12月31日 この地を字名で尼寺窪とよんでいる。古老の話によると茅葺のお堂があったと話してくれた。堂平に日輪寺があったとされているが、おそらくこの寺に女性が住めなかったと思われる。そこで寺から離れたこの土地に尼… 続きを読む 尼寺遺跡
文永寺
2011年12月31日 阿弥陀堂 堂内の御本尊、無量寿如来(阿弥陀如来)像は足利時代の有名仏師春日の作と伝えられ、総高245糎の寄木造りの木造仏である。屋根棟にある白色十六弁菊型は皇室の御紋章で当寺が勅願寺の故である。(… 続きを読む 文永寺
萬法寺
2011年12月30日 この寺の宝物に、武田信玄の守り本尊と称する阿弥陀如来がある。(長野県の武田信玄伝説より) 松代のお寺である万法寺に寄りました。お寺の人に会うことができず、また案内板などもなく詳細については分かりま… 続きを読む 萬法寺
光林寺
2011年12月30日 僧春虎が善光寺へ参詣の帰路、その霊験を聞き当地にとどまった折、武田氏の命により天文16(1547)年に現在地へ移し、光林寺を改築したという。永禄4(1561)年に川中島の激戦が止むに及んで、信玄は… 続きを読む 光林寺
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