2012年12月23日 三国街道の北側台上に築かれ、東半は兵力の多寡により取捨する「捨て郭」である。天正9(1581)年6月、真田昌幸は塩原源太左衛門を置き、同17年、北条氏の手に移って望月主計・塩原清左衛門が守った。本… 続きを読む 諏訪の木城
史跡の種類: 城跡
宮野城
2012年12月23日 永禄3(1560)年、長尾政虎(謙信)がここに一泊した時、8本の歯が抜けて掌に落ちた夢を見て不興がったのを、直江実綱が「関八州を手に入れる吉兆」と説いた。謙信は申年生まれ、この年も申年だったので、… 続きを読む 宮野城
本栖石塁
2012年11月25日 本栖の城山周辺樹海のなか、上九一色中学校入口付近から城山の北側までの山裾に、いくつかの溶岩の石積みが残っている。樹海内を通ずる道路によって一部破壊された部分もあるが、往時はその間を中道往還が通って… 続きを読む 本栖石塁
熊城
2012年04月30日 目印の吸殻入れ 4月15日に一度熊城に挑戦したのですが、その時は要害城で知り合った安中市の方と一緒に要害城の裏手から熊城を目指しました。最初の案内板の所では右に進みしばらく歩くと上の写真の所に出ま… 続きを読む 熊城
鷹留城
2012年02月24日 鷹留城は、中世永禄期(1558-69)の中規模山城の典型であり、本丸以下の曲輪、虎口、大手口、搦手口、井戸、掘切等の各種遺構が原形に近く残っている点では県内希な城跡である。明応年間(1492-15… 続きを読む 鷹留城
富田城
2012年02月19日 富田城址は、菊川町富田字吉沢にある。城地は菊川の流れが狭い谷間を流れて平野部に入る移行部にあたり、北方には富田川が丘裾を洗い、北東から南へ流れる菊川に合流している。富田川を北堀、菊川を東堀に用いた… 続きを読む 富田城
竜眼山城
2012年02月19日 城址は、高根山丘陵南端から東方駿河湾に張り出す丘陵の先端、標高80mにあって東西2郭から構成され、榛原公園の地が主要部で、北西と南西隅に土塁の一部が残存するが、公園として早くから整地された結果、ほ… 続きを読む 竜眼山城
勝間田城
2012年02月19日 勝間田城は後に、今川氏や武田氏により改築されたと考えられており、特に多くは武田氏によるものと考えられ武田式の手法、及び規模が各所で見出される。この勝間田城は全域に特色ある明瞭な遺構を残し、種々の時… 続きを読む 勝間田城
田中城
2012年02月19日 田中城本丸跡田中城は同心円形に四重の堀と土塁で造られていたが、本丸は四角で480坪(1580㎡)と小さく、本丸内には御殿やお亭のみで天守閣のような建物はなかった。(看板資料より) 田中城案内図 田… 続きを読む 田中城
飯田城
2012年02月19日 築城の年代は定かではないが応永の初め頃、天方城主の山内対馬守が武略をもって飯田の荘を取り、この地に城を築いてここに移り天方城は弟の山城守に譲った。永禄年代、対馬守の子孫、通泰の代に徳川家康に攻めら… 続きを読む 飯田城
勝坂城
2012年02月12日 勝坂城砦は、気田川に囲繞され、西南嶺は鹿ヶ鼻から峰伝いに信州街道に接続しており龍頭山、秋葉山を経て犬居本城と往来した天野氏が、軍略上最も頼みとした堅固な砦であった。その起源は定かではないが、元弘元… 続きを読む 勝坂城
笹峰城
2012年02月12日 城址は三方を大きく気田川に囲まれた尾根上にあって、この尾根は気田の北方赤岡方面の高地から気田川と杉川に挟まれて南下し、両川の合流地の金川から西に折れて深く延びる尾根で、城址はその尾根の端に所在し、… 続きを読む 笹峰城
若子城
2012年02月12日 大洞沢から少し登った所に本丸があり、「遠江国風土記伝」には、「大洞は地名、若子は城名なり、奥山加賀守定吉之を築く、領地は奥山の半分並に雲名、信濃国遠山宇津宇連、三河国奥村郷、都合三千五百貫なり、兄… 続きを読む 若子城
高根城
2012年02月12日 高根城概略図 高根城公園案内図 高根城は遠江最北端に位置する山城で、標高420m・比高150mの通称三角山の山頂部を中心に築かれている。城址からは水窪町中心部及び北遠江と南信濃を結ぶ主要街道を見下… 続きを読む 高根城
足柄城
2012年01月14日 足柄城は国境の城としての性格を持ち、本格的に築城工事が行われ、城としての形態が整えられたのは後北条氏の治世下である。その時期がいつかは不明だが、「相州古文書」に足柄城普請についての記事(天文24年… 続きを読む 足柄城
駒場城
2012年01月01日 本城は中世に構築されたと言われる、戦国時代の遺構を残す「山城」である。城域は狭いが小高い独立線峰で、西側を除く三方向を遠方まで望見できる。また、交通の要所「駒場」を眼下に見る、戦略的に重要な位置を… 続きを読む 駒場城
古式部城
2011年12月31日 古式部城は、ここから西方に伸びる山道を200mほど登った峰の頂上に位置している。東方から連続する山々から西方に伸びる峰の突出した高台にあり、箕輪町北小河内と辰野町樋口との境界にあたる。また標高は1… 続きを読む 古式部城
峰畑城
2011年12月31日 この場所は城跡で、天正年中(1573~92)に武田氏に仕えた駒沢新左衛門がここに拠っていた。地元の人がこの地を掘って陶器の破片を得ることがある。駒沢氏は諏訪50騎の一人である。(長野県の武田信玄伝… 続きを読む 峰畑城
羽場城
2011年12月31日 羽場城の由来内堀、中堀、外堀の址が今も残っている羽場城址は今からおよそ450年前、天文のはじめに下伊那松尾の城主小笠原貞宗の四男、小笠原重次郎がこれを北の沢を濠として建てたといわれている。その後武… 続きを読む 羽場城
葛谷城の旧跡
2010年03月22日 武田信玄の供養塔 南部町教育委員会は、ここ葛谷峠に戦国時代の狼煙場や武田信玄の供養塔があったことから、昭和52年に「葛谷峠狼煙場跡」として町の文化財に指定した。その後、この周辺全体が静甲工業株式会… 続きを読む 葛谷城の旧跡
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