謙信物見の岩

2016年05月01日 2004年05月22日 上杉謙信の物見の岩、物見の岩などともいうらしいが地元では謙信物見の岩といっているそうである。その名の通り上杉謙信がここから善光寺平を眺めたところだそうだが、確かに景観は絶景… 続きを読む 謙信物見の岩

池之平御座岩遺跡

2015年05月03日 池之平御座岩遺跡御座岩遺跡は、白樺湖北岸のほぼ中央から緩傾斜で湖心に突出した安山岩の岩塊群である。この地は標高1400mの高地であり、ここから東方の雨境峠を越えて佐久へのコースは古東山道の役の行者… 続きを読む 池之平御座岩遺跡

大蔵原思案石

2014年12月27日 武田勝頼公は、織田・徳川両軍の進撃により、天正10(1582)年3月10日天目山方面を目指してこの地(大蔵原)まで来たところ、謀反を起した小山田信茂の軍勢は、早くも郡内の真木から小金沢を経て、この… 続きを読む 大蔵原思案石

武田勝頼公腰掛石

2014年12月27日 勝頼公一族が鶴瀬、駒飼郷に滞陣のおり、この地で周囲の動静をうかがった所と言われています。(現地の案内棒に記載された文章より) 2005年05月29日 甲府から東京方面に向って国道20号線を進み、右… 続きを読む 武田勝頼公腰掛石

比丘尼石

2014年11月08日 苅屋原の山頂に、苅屋原に向って尼さんがお経を読んでいるような石が見えます。これが比丘尼石です。これは、村上義清公が葛尾城落城後、越後へ逃れた折、義清公の奥方は姫城を脱出して身の危険を感じ、苅屋原の… 続きを読む 比丘尼石

百六岩

2014年08月15日 愛知県鳳来町名号の、三輪川を隔てた向かいの山に百六岩というところがあった。そこに長篠合戦の武田方の落人が、百六人隠れていた。織田方の追及が厳しくて、切腹したり、三輪川の荒神場という淵に飛び込んで死… 続きを読む 百六岩

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カテゴリー: 新城市

泣石

2014年07月20日 下今井字鳴石のJR中央線と県道との間にあり、現在地より約100m南東にあった。高さ約3.8m、巾約2.7m、奥行約3.7mで中央部から水が流れ出ていたが、鉄道の開通により水脈が断たれてしまった。天… 続きを読む 泣石

長昌院

2014年07月12日 天正10(1582)年の春はまだ肌寒い風が吹いていました。甲斐国主武田勝頼公は、織田徳川の連合軍に追われて、韮崎に造ったばかりのお城を焼いて、わずかな供を連れて甲州街道を落ちていきました。落人の中… 続きを読む 長昌院

釜井庵

2014年05月24日 夜泣き石 伝説 夜泣き石洗馬一族主従が信玄に謀殺された頃から夜更にすすり泣く(棒杭に記載された文章より) 塩尻峠を制する者は信州を制するといわれ、その足がかりとして重要な峠である。武田信玄は塩尻峠… 続きを読む 釜井庵

承知川橋

2014年05月18日 承知川橋の記この一枚石は長く甲州道中の承知川にかかっていた橋石である。輝石安山岩、重量約壱拾参屯。伝説によると永禄4年武田信玄が川中島の戦いの砌(みぎり)、諏訪大明神と千手観音に戦勝祈願を約し社殿… 続きを読む 承知川橋

頼重院

2014年05月18日 諏訪市有形文化財 頼重院供養塔天文11(1542)年7月、諏訪頼重は武田信玄に攻められて桑原城に敗れ、甲府において自害した。墓は東光寺(甲府市)にあるが、この地に菩提寺として頼重院が建立され、境内… 続きを読む 頼重院

信玄の兜石

2014年05月03日 ①臼田町の勝間に信玄の兜石と呼ばれている、高さ三尺(約1m)ばかりの三角形の石がある。天文(1532~55)の頃、武田信玄が佐久に攻め入り、この地方の豪族と戦った時、ここを通りしばらく軍をとめて休… 続きを読む 信玄の兜石

赤坂稲荷社

2014年03月23日 勝頼公の腰かけ石天正3(1575)年5月、武田勝頼公は大軍を率いて、三州街道を南下。織田・徳川の連合軍と、長篠の設楽原(鳶巣山)で戦い、潰滅的な打撃を受けた。そしてただ一騎落ちてくるところを、坂部… 続きを読む 赤坂稲荷社

光明城(高明城)

2013年12月31日 光明城(高明城)光明城は「遠江国風土記伝」等によると、享禄年間(1528~1532)に、朝比奈時茂が築城し、又太郎泰方が継いで在城したとあるが、はっきりしたことは分からない。但し、元亀年間(157… 続きを読む 光明城(高明城)

小荒間古戦場跡

2013年10月13日 信玄公御座石 天文9(1540)年2月、信濃の村上義清方の軍勢3500余が小荒間に押し寄せ近郷を焼き払ったので、武田晴信(信玄)は旗本を率いてこれと合戦し、勝利を得た所といわれている。晴信が本陣を… 続きを読む 小荒間古戦場跡

印石

2010年03月22日 ①高田村源昌寺の境内に高さ三尺(約90センチ)ばかりの自然石があり、この石に掌の形を押した跡がついている。これを弘法大師がつけたともいい、また武田信玄だともいうが、このあたり3、40戸の集落には、… 続きを読む 印石

籠石

2010年01月31日 ①佐久市平賀の城山の西側に、籠石というところがある。そこには三間(約5m)に二間位(約4m)の大きな四角の石がある。武田信玄が平賀源心を攻めた時、信玄の籠石をその上にのせた。そこで籠石といい、今で… 続きを読む 籠石

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カテゴリー: 佐久市

牛つなぎ石

2008年12月30日 永禄11(1568)年1月12日、本町と伊勢町との辻角に建つ「牛つなぎ石」に越後の武将上杉謙信公の義侠心に依る塩を積んだ牛車が塩の道を通りたどりついたと伝承されて居ります。当寺松本地方は甲州の雄武… 続きを読む 牛つなぎ石

銭岩

2007年10月07日 <伝説>白樺湖の南岸、湖岸よりおよそ百メートルほど山にのぼったところに、銭岩がある。白樺湖がまだ造られなかった頃のことである(湖は温水留池として昭和20年度完成)。地元のある人が、炭焼… 続きを読む 銭岩