2012年11月25日 本栖口留番所は、甲駿を結ぶ中道往還の要衝駿州との国境本栖湖畔にあったとされる。口留番所のあった場所は、その後幾星霜を重ね、長い歴史の経過と共に様変わり、近年に至り国道139号線の拡張工事によって大… 続きを読む 本栖口留番所跡
史跡の種類: その他
鳴子網架設地
2012年05月04日 鳥居強右衛門と鈴木金七は5月14日の夜、城の西、岩石を伝わって滝川へ入った。武田勢は幾重にも取り巻き、瀬ごとに番人を置いた。大野川(宇連川)・滝川(豊川)に鳴子をかけて置いたので、通り様がない。然… 続きを読む 鳴子網架設地
加々須の茶臼山
2011年12月31日 昔は今のように電話やラジオなどの通信機関が発達していなかったので、山の上で狼煙を上げたり、夜火を焚いたりして連絡を取り合った。戦国時代、武田信玄は各地の見晴らしのよい所に連絡を取るための山を用意し… 続きを読む 加々須の茶臼山
綱切橋
2011年12月29日 綱切り橋の由来越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄は拾年にわたる争を一挙に決しようと永禄4年9月拾日川中島に相対した。世に言う川中島の大合戦である。戦記によるとこの戦は前半は上杉方の優勢、後半は武田方の… 続きを読む 綱切橋
割石峠
2010年03月22日 割石峠は勝坂峠と共に駿河に備える要害で、峰には一つ陣が築かれ、烽火台もあった。むかし信玄が駿河に向かう途次この峠で休息し、太刀を抜いて樹木を切り道を開いた。その際傍らの百貫石が、御威光に恐れて二つ… 続きを読む 割石峠
竜地の楊枝梅
2009年12月29日 山梨県指定天然記念物竜地の楊子梅「ウメ」といわれているが「アンズ」である。武田信玄が信濃へ出陣の際、この地で休息し、梅干を楊子に刺して食べ、その種子から発芽したという言い伝えがある。そして実った果… 続きを読む 竜地の楊枝梅
御水堂
2009年08月12日 此の井戸は、銀山城主武田氏が北門鎮護の祈願所として建立した宇那木神社に献上するために掘ったと伝えられ、古くより浅い井戸ながらも水の涸れることが無く、此の水を戴き病気が治癒した人々も数多く、不思議な… 続きを読む 御水堂
大藪の彼岸桜
2008年05月04日 武田勝頼が土佐に落ち延びて大崎玄蕃に名を変えたという伝説が残っています。大藪の彼岸桜はその大崎玄蕃によって植えられたと言われているそうです。大藪の彼岸桜はまたの名をひょうたん桜ともいうそうです。大… 続きを読む 大藪の彼岸桜
風林火山館
2008年04月05日 主殿内部 以下はボランティアの説明を参考としています。風林火山館は2007年のNHK大河ドラマ「風林火山」のロケ現場となったところです。私は今回ここに来てボランティアの説明を聞くまで、中井貴一が武… 続きを読む 風林火山館
見渡し御朱印
2008年03月22日 森町 戦国夢街道パンフレット 昔、ここ三倉という部落には、久右衛門という百姓がいました。その頃、徳川家康は、武田信玄との戦いに敗れ、ただ一人この三倉村に逃げてきました。大軍に追われて疲れ果てていた… 続きを読む 見渡し御朱印
山本勘助晴幸生誕地
2008年03月16日 山本勘助の生誕地があるとのことで今回立ち寄りました。最初は狭い道に車で乗り入れて現地に到着したのですが、車を止めておくスペースが無かったので「山本勘助生誕の地」の案内板のところに車を止めて現地まで… 続きを読む 山本勘助晴幸生誕地
市川団十郎発祥の地
2007年11月17日 市川三郷町歌舞伎文化公園の中に、市川団十郎発祥の地というものがありました。説明板の文章を読んでいたら、ちょうど奥の民族資料館から出てきた文化館説明員の方が声をかけてくれて丁寧に説明してくれました。… 続きを読む 市川団十郎発祥の地
音無の滝
2007年10月07日 <伝説>武田信玄と音無川川の瀬音がうるさくて、軍議ができないので大声で「うるさい」とどなった。信玄のひと声で、川の瀬音がなくなったことから、この川を音無川と呼ぶようになったと言われてい… 続きを読む 音無の滝
音無川
2007年10月07日 <伝説>武田信玄と音無川戦国時代のすぐれた武将で知られる、甲斐の武田信玄が、越後の上杉謙信との北信濃の川中島での決戦のため、何万という大軍をひきつれて、諏訪へ入り、八ヶ岳のふもとの棒道… 続きを読む 音無川
またたび清水
2007年10月07日 農作業をしていた方にまたたび清水の場所を聞いてみたら私は少し下りすぎてしまったらしくもう少し上の方とのことでした。大門峠に向かって道路の右側下の方に青い風林火山の旗が立っているとのことでした。長野… 続きを読む またたび清水
強清水
2007年10月07日 強清水と書いて「こわしみず」と読むのだそうです。というのはまたたび清水を探している時に現地の方がそう呼んでいて初めて分かりました。予め地図で調査しておいた時には強清水というバス停があることは分かっ… 続きを読む 強清水
伝武田諸将訣盃ノ池
2006年05月06日 ご夫人がやかんの水を冷しに来ていたのでお話を聞くことができました。伝武田諸将訣盃ノ池とは、設楽原での決戦の前に武田方の武将である馬場信春、山県昌景、内藤昌豊、土屋昌次の4人が最後の盃を交わしたとこ… 続きを読む 伝武田諸将訣盃ノ池
小屋久保
2006年05月05日 む「村人はいくさをさけて小屋久保」(設楽原古戦場いろはかるた看板資料より) かるたでつづる設楽原古戦場によれば、織田・徳川軍が設楽原に進出してきた際、設楽原の住民には5人組でまとまって… 続きを読む 小屋久保
金沢峠
2005年08月27日 金沢峠への入口 上伊那郡高遠町と茅野市金沢(旧金沢宿)を結ぶ峠で、松倉峠ともいう。標高1315mである。この峠は中世以来、諏訪と上・下伊那を結ぶ重要な交通路で、鎌倉幕府に仕えた伊那の藤沢氏一門は、… 続きを読む 金沢峠
新羅善神堂
2005年08月04日 堂は三間四方の流れ造り。屋根は桧皮葺きの美しい建物で、国宝に指定されている。暦応3(1339)年に足利尊氏が再建した。新羅明神は園城寺開祖智証大師の守護神で、本尊新羅明神坐像も国宝。源頼義の子義光… 続きを読む 新羅善神堂
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