2014年05月25日 林小城は、里山辺林集落東側の尾根上に位置し東側に大嵩崎集落を流れる薄川は防備の役目を果たしており、信濃国守護小笠原氏の本城に相応しい構えである。林城の築城は「小笠原氏系図」によれば小笠原清宗の時代… 続きを読む 林城(小城)
カテゴリー: 長野県
林城(大城)
2014年05月25日 林城(大城)全景 林城(小城)から見た林城(大城) 小笠原氏城跡・林城1.大城(金華山城)2.小城(福山城)指定昭和45年10月22日長野県文化財保護条例第二条により長野県史跡に指定。規模この城跡… 続きを読む 林城(大城)
蓮華寺
2014年05月24日 武田信玄の開基で、永禄2(1559)年に僧玄契和尚が開基した道場である。(長野県の武田信玄伝説より) 2008年12月30日 武田信玄の開基で、永禄2(1559)年に僧玄契和尚が開基した道場である… 続きを読む 蓮華寺
埴原城
2014年05月24日 小笠原氏城跡 埴原城埴原城は、城に関する文献資料が残っていないため、詳細は定かではないがもともとは埴原牧を背景として勢力のあった埴原氏が築城したといわれている。しかし現在の埴原城の遺構は厳重な防御… 続きを読む 埴原城
西福寺
2014年05月24日 清林宗泉なる者が明応2(1493)年8月に草庵を造った。5代目の圭獄珠白禅師は博識碩徳で人望があった。このために武田氏の帰依を受けて、永禄8(1565)年11月15日に堂宇造営の助成として一貫二百… 続きを読む 西福寺
長興寺
2014年05月24日 本堂 洗馬氏の開基という。天文23(1554)年に洗馬氏は滅んで武田氏の管轄となった。ここに小笠原氏の旗下の三村肥後入道が西洗馬に住んで、小笠原氏と武田氏の戦争の機に臨んで、密かに武田氏に通じて親… 続きを読む 長興寺
耳塚神社
2014年05月24日 伝説耳塚様と呼ばれ昔は耳の病気の直ることを祈った。桔梗ヶ原の戦いとか安曇族王に関係ありとも言われる。明治29年先祖が野ざらしになっていた塚に祠を建て2本の剣を御神体として祀った。耳の形に似た素焼き… 続きを読む 耳塚神社
釜井庵
2014年05月24日 夜泣き石 伝説 夜泣き石洗馬一族主従が信玄に謀殺された頃から夜更にすすり泣く(棒杭に記載された文章より) 塩尻峠を制する者は信州を制するといわれ、その足がかりとして重要な峠である。武田信玄は塩尻峠… 続きを読む 釜井庵
北熊井城
2014年05月24日 形式主郭は戦国時代の早い時期にでき、だんだん追加されていったが、戦国末期の一連の平山城と思われるので包括的に記す。熊井城のような平山城は新しいという見方もあるが、主郭の周りの土塁が高く、人馬の出入… 続きを読む 北熊井城
大宮八幡
2014年05月24日 所在地:塩尻市大字片丘6889番地所有者:大宮八幡宮イチイ(イチイ科)は別名アンコ、アララギ、スオウノキ南信ではミネゾウと呼ばれ雌雄異株の常緑高木で中部地方以北の温帯林から亜寒帯林に分布する陰樹で… 続きを読む 大宮八幡
平出一里塚(平出の乳松)
2014年05月24日 一里塚は、慶長9(1604)年より徳川秀忠の命により各街道に築かれ同12年にほぼ完成をみた。秀忠は、永井白元、本多光重等を一里塚奉行に任命して、中仙道筋の幕府領、私領を問わず人足を徴発して道を整備… 続きを読む 平出一里塚(平出の乳松)
首塚・胴塚
2014年05月24日 首塚 首塚・胴塚の由来今を遡る事、434年前、歴史上戦国時代と言われる天文17年7月19日甲斐の武田信玄軍と松本林城主小笠原長時軍とが永井坂において交戦し数時間に及ぶ激戦の末、戦いは小笠原軍の破れ… 続きを読む 首塚・胴塚
塩尻峠・勝弦峠
2014年05月24日 塩尻峠 塩尻峠の合戦跡地 天文年間、信濃侵略をめざす武田勢と信濃の武将とは幾度となく合戦を繰り返したが、特に天文17(1548)年7月19日の武田信玄と小笠原長時(本拠地松本)との塩尻峠での合戦は… 続きを読む 塩尻峠・勝弦峠
諏訪氏安国寺御廟所
2014年05月18日 諏訪頼重が天文11(1542)年に武田氏に滅ぼされて以来、諏訪は武田の統治するところとなった。頼重の叔父諏訪満隣は剃髪して僧体となり、竺渓斉と号して安国寺に諏訪氏の系図と位牌を託し、安国寺や湖南の… 続きを読む 諏訪氏安国寺御廟所
干沢城
2014年05月18日 樋沢城址(干沢城)上原城・桑原城と上川沖積地をはさんで鼎立し、安国寺城とも呼ばれて、宮川を裾にひかえた極めて要害な山城である。諏訪大祝の居館であった前宮を扼し、古くから前宮を守るための重要な砦とし… 続きを読む 干沢城
安国寺院墓所
2014年05月18日 天下を平定し足利幕府の大将軍となった尊氏は、当時の名僧夢窓国師のすすめにより、興国6(1345)年にいたって光厳上皇に奏上して全国66ヶ国に安国寺利生塔を造立した。信濃国における安国寺はこの地にお… 続きを読む 安国寺院墓所
安国寺門前古戦場
2014年05月18日 武田晴信(信玄)は天文11(1542)年に諏訪を攻略し、妹婿の諏訪惣領家頼重を自刃させ滅亡させた後、宮川を境に東は武田が直領とし、西は晴信とひそかに通じていた高遠頼継が領するところとなった。しかし… 続きを読む 安国寺門前古戦場
安国禅寺
2014年05月18日 泰平山 安国禅寺の由来延元3(1338)年に天下を平定し、征夷大将軍となった足利尊氏は当時の名僧夢窓国師の勧めに後醍醐天皇はじめ元弘以来の戦乱によって死傷した人々の菩提を弔い、あわせて足利幕府の威… 続きを読む 安国禅寺
諏訪大社上社前宮
2014年05月18日 溝神社 祭神は高志奴奈河比賣命といわれ御射山へ出発する際にまず参詣された社であった。水眼の清流をたたえた「みそぎ池」の中にあり、西の方に「神の足跡石」があった。この社は武田支配時代には山浦の南大塩… 続きを読む 諏訪大社上社前宮
上原城諏訪氏館跡(板垣平)
2014年05月18日 上原城諏訪氏館跡(字板垣平)の案内このクルマ道を登れば、長野県指定諏訪氏城跡「上原城」に行きます。右手の石碑から南方平坦地一帯は室町時代後期からの上原城諏訪氏館跡(面積約1ヘクタール)で、戦国時代… 続きを読む 上原城諏訪氏館跡(板垣平)
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