2014年07月12日 笛吹市指定文化財諏訪南宮神社扉絵この扉絵は金箔押しの板戸に濃彩で杉や松、雲形も描かれている。また裏は桜絵となっている。甲斐国志に「扉は逍遥軒信綱寄附ニテ松杉桜等四季ノ草花ヲ描ク。一社分ノ扉ハ今下曽… 続きを読む 諏訪南宮神社
年: 2014年
常楽寺
2014年07月12日 穴山伊予守と一族郎党の廟所 童女のてまり歌にうたわれた「一に花鳥ニに小山三につらいは常楽寺」は、小山城主穴山伊予の悲運を今に伝えています。穴山伊予守は甲斐源氏で南部領主(南巨摩郡)穴山信懸の次男で… 続きを読む 常楽寺
蓮朝寺
2014年07月12日 原加賀守昌俊公の墓 原加賀守は、甲斐の国主・武田家の譜代家老として信虎、信玄の2代に仕えた武田家の重臣で、ことに陣場奉行としてその重責を果す。天文18(1549)年に身延山より蓮朝の法名を受け、当… 続きを読む 蓮朝寺
長昌院
2014年07月12日 天正10(1582)年の春はまだ肌寒い風が吹いていました。甲斐国主武田勝頼公は、織田徳川の連合軍に追われて、韮崎に造ったばかりのお城を焼いて、わずかな供を連れて甲州街道を落ちていきました。落人の中… 続きを読む 長昌院
泉龍寺
2014年07月12日 油川山泉龍寺宗派 曹洞宗本尊 十一面観世音菩薩開創 永正11甲戌(1514)年開基 油川入道加賀守信友 戒名 泉龍寺殿新應長壽大居士開山 顧山恵鑑大和尚(三星院第7世) 油川の由来中世は油川庄… 続きを読む 泉龍寺
清道院
2014年07月12日 武田信成公館跡 黒印地 竜沙山清道院寺記当山ハ武田11代刑部太輔信成公ノ夫人清道院殿ノ菩提寺ニシテ境内ハ信成公ノ居城「赤甲城」ナリ。信成公信州へ出陣中落城夫人城内ノ井戸ニ身ヲ投ジ自害ス時ニ応永5年… 続きを読む 清道院
芍薬塚(伝・武田勝頼遺児の墓)
2014年07月12日 天正10(1582)年3月武田勝頼は新府城から岩殿山目指して落ちていった。この時武田の臣渡辺加兵衛久郡は主君勝頼の命により一族を率い、ひそかに2歳になる幼主(男子)を自分の在所である鎮目村にかくま… 続きを読む 芍薬塚(伝・武田勝頼遺児の墓)
大蔵経寺
2014年07月12日 松本山大蔵経寺当山は、養老年間行基菩薩の創建になると伝えられ、青獅山松本寺と称した。応安3(1370)年甲斐国守武田信成が伽藍を修造し、足利義満の庶子観道上人を講じて中興開山とし、真言宗に改め、そ… 続きを読む 大蔵経寺
山梨岡神社
2014年07月12日 鎮座地春日居町大字鎮目字宮の前1696番地由緒延喜式神名帳に載る古社で、旧社格は郷社である。人皇10代宗神天皇のとき、国内に疫病が流行し災害も多い故、勅命により御室山頂に創祀され、その後、成務天皇… 続きを読む 山梨岡神社
浅間神社
2014年07月12日 浅間神社拝殿 この建物は東向きに建てられていて、桁行7間、梁間3間の一重入母屋造で、正面中央1間に唐破風造の向拝が付き、屋根は檜皮葺の上に銅版をかぶせている。正面を意識した美しい造りの平安時代風の… 続きを読む 浅間神社
慈眼寺
2014年07月12日 金剛山慈眼寺は真言宗智山派に属する寺院である。寺の創立は詳らかではないが、文明年間に宥日上人によって開創され、その後は武田家代々の祈願所として庇護を受けた。天正10(1582)年武田家滅亡のおりに… 続きを読む 慈眼寺
美和神社
2014年07月12日 美和神社由緒当美和神社は景行天皇の御宇日本武尊により甲斐国造塩足尼が大和の大三輪神社から勧請し奉った甲斐国内での古社である。祭神は大物主命で木造衣冠立姿の御神体は平安時代の様式をもち重要文化財に指… 続きを読む 美和神社
成就院
2014年07月12日 六角山成就院(浄土宗)当寺院は新羅三郎義光の孫逸見清光が久寿年間(1155年頃)に開創した真言宗の寺で清光院と称した。応永25(1418)年、武田信元が甲斐守護職として入国以来武田伊豆千代丸、続い… 続きを読む 成就院
八田家書院
2014年07月12日 八田家書院と表門八田家は昔武田氏の蔵前奉行として、年貢の収納、軍糧の輸送を司どっていたため、天正10(1582)年3月織田軍の兵火に罹り居宅その他を悉く焼失した。同年7月徳川家康入国の際、徳川家に… 続きを読む 八田家書院
正宗寺
2014年07月12日 祐谷山正宗寺、浄土真宗。寺記によれば元享年間(1321~23)に鎌倉の五郎入道正宗により開かれた真言宗道源山真教寺を始まりとし、岩崎氏の祈願所であったが、廃跡となり武田信春の子左馬助信継により再興… 続きを読む 正宗寺
勝沼氏館跡
2014年07月12日 勝沼氏館跡内郭部と堀 勝沼氏は武田信虎の弟信友、その子信元の家系である。その行動は、『妙法寺記』『甲陽軍鑑』また石橋八幡、岩殿七社権現棟礼等により知られる。勝沼氏は御親類衆として武田軍団の一翼を担… 続きを読む 勝沼氏館跡
大翁寺
2014年07月12日 栗原氏と栗原氏屋敷跡について栗原氏の発祥は清和源氏武田氏から分流した親族であり、武田の祖信義から7代の孫甲斐守護職武田刑部大輔信成の子、武田十郎武続が東郡栗原郷を領して栗原を称したことから始まって… 続きを読む 大翁寺
養安寺
2014年07月12日 浄土宗 養安寺本尊阿弥陀如来由緒當寺儀ハ清和天皇ヨリ六代伊豫守頼義三男新羅三郎義光ヨリ11代武田刑部大輔信成四男栗原十郎武續五代栗原伊豆守信友開基開山ハ晃譽然公ト申ス天文21年4月21日信友卒ス。… 続きを読む 養安寺
金松寺
2014年05月25日 弘治2(1556)年に武田信玄が再興した。(長野県の武田信玄伝説より) 2008年12月30日 弘治2(1556)年に武田信玄が再興した。(長野県の武田信玄伝説より) 金松寺は金松寺山の麓にあって… 続きを読む 金松寺
黒沢不動尊
2014年05月25日 武田信玄が金を掘った時、その穴封じにお不動様を祀ったものだという。そのため、南小倉の不動様は穴不動とも呼ばれている。また信玄が中塔城を攻めた際、この不動様に落城を祈願したといわれている。(長野県の… 続きを読む 黒沢不動尊
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