2013年07月06日 長篠城は豊川の上流、寒狭川(滝川)と大野川(三輪川)とが合流する地点の断崖絶壁の上にある。城址は現在愛知県南設楽郡鳳来町字長篠に存し東西およそ327メートル、南北約254メートルある。城の機構は「… 続きを読む 長篠城
年: 2013年
小幡上総介信貞の墓
2013年07月06日 金子藷山の『藷山随筆』に、墓は「新間東弾正山中に古塚あり是なり」とある。小幡信貞は上野国甘楽郡国峰城主憲重の子6人兄弟の長男であり、連吾川や馬防柵前で奮戦討死した。設楽原をまもる会は、平成9年3月… 続きを読む 小幡上総介信貞の墓
積翠寺
2013年06月29日 積翠寺と要害山 甲斐国志によると開山は行基、夢窓国師の弟子竺峰が中興したという。慶安元(1648)年、仰厳恵高の時代に妙心寺派に転派する。境内に泉が湧き出ていて巨岩から滝になっていたところから、も… 続きを読む 積翠寺
要害城
2013年06月29日 要害城全景 川田の館から甲斐府中への移転を決めた武田信虎は永正16(1519)年夏頃から新館の建設に取り掛かり12月に入居しているが、自らが移転するだけではなく服属する国人達にも移住を強要した。こ… 続きを読む 要害城
太刀洗の池
2013年01月27日 太刀洗いの池は、この南10m位のところにあった。このあたり一帯は藪におおわれ、約50平方メートルほどの池であった。徳川家康の正室は今川義元の家臣関口刑部少輔義慶の娘で、岡崎の山にちなんで築山御前と… 続きを読む 太刀洗の池
西来院
2013年01月27日 洞宗、高松山と号し、寒巌十三派中月窓派と称した。月窓義運禅師が正長元(1428)年に自力開創し、本尊は釈迦牟尼仏。長藤の寺として親しまれている。墓苑には徳川家康の正室築山御前の廟堂(月窟廟)をはじ… 続きを読む 西来院
犀ヶ崖
2013年01月27日 犀ヶ崖資料館 前回訪問した時には夕方だったこともあって中に入ることができなかったのですが、今回は開館中でしたので中に入ることができました。資料館の管理人の方が中を案内してくれて、三方原の地形の立体… 続きを読む 犀ヶ崖
光源院
2013年01月04日 開創以来四百五十有余年の法城として、今にその伝統を伝えている萬松山光源院は、山梨市永昌院開基武田信昌公五世敬翁性遵禅師によって享禄元(1528)年に開かれ、新羅三郎義光公の後裔甲斐源氏逸見若狭守義… 続きを読む 光源院
仙蔵城
2013年01月13日 内山城は中世の山城で、仙蔵城(要害)や千道の要害と呼ばれました。城は四万と沢渡の分岐地点東、崖上の尾根にあり、守り堅固な天然の要害で、嵩山城の外郭として重要な砦でした。当地が追手で、本丸最高地点ま… 続きを読む 仙蔵城
岩下城
2013年01月13日 岩櫃城の西3kmにある支城で、吾妻川南側の三島根小屋城と共に吾妻川を挟んでいる。岩櫃城は山頂を縄張りに取り入れていないので、西の守りに不可欠である。この城は斎藤氏の築城だが、斎藤憲次が大野氏を滅ぼ… 続きを読む 岩下城
植栗城
2013年01月13日 吾妻川南岸崖上にあり、応仁2(1468)年、植栗安芸守の伯母婿柳沢直安が斎藤行弘に襲われてここに逃れた。植栗元吉討伐を命ぜられた斎藤憲次が叛し、大野憲直を滅ぼして岩櫃城主となった時、元吉は憲次に従… 続きを読む 植栗城
海野長門守の墓
2013年01月13日 墓碑は宝篋印塔で、総高2メートル、墓碑の三方に碑文が刻まれている。右側、上野州我妻郡羽尾城主海野長門守同舎弟能登守従往者雖有遺跡没為水災故改之正面、雲林院殿前長州洞雲全龍居士左側、干時元文三年戌午… 続きを読む 海野長門守の墓
羽根尾城
2013年01月13日 戦国時代に信濃源氏、滋野氏の末裔羽尾幸全入道は羽尾城を根拠として勢力を振るった。幸全の舎弟海野幸光(長門守)、輝幸(能登守)兄弟、ともに武勇を謳われた豪の者で、永禄9(1566)年真田幸隆により幸… 続きを読む 羽根尾城
長野原城
2013年01月13日 長野原城本丸址 長野原城跡長野原街並みの北側の尾根、東西約7百メートルに細長く位置している。本丸、出丸、箱岩で丸、物見台、水の手からなり、それぞれ虎口、堀切り、腰曲輪等で守られている。箱岩出丸は、… 続きを読む 長野原城
下小屋城
2013年01月13日 伊香保町の北端、湯中子の沼尾川を越える渡河地点の南岸にある城で、元亀3年武田勢の侵攻に際し、伊香保地衆が築いたもので、二つの岳の噴出物の累層を20m以上深々とえぐった沼尾川とその一支流に挟まれてい… 続きを読む 下小屋城
加藤丹波守切腹石
2013年01月12日 天正10(1582)年10月20日、北条氏邦によってこの南西500メートル付近にある森下城が攻められ、城を守っていた加藤丹波守はよく防戦につとめたが北条の大軍に抗しきれず、城を出て最後の一戦を試み… 続きを読む 加藤丹波守切腹石
如意寺
2013年01月12日 上杉謙信供養塔 古代インド仏教を起源とするこの塔は、平安時代末に中国から伝わり、鎌倉時代中期から石造物として盛んに広まった。基本的な造りは、下から基檀、基礎、塔身、笠、相輪が積み重ねられる。本来、… 続きを読む 如意寺
明徳寺城
2013年01月12日 明徳寺城は南北朝時代、会津の葦名氏の来攻に備えて荘田城の沼田氏が築いた天神山砦を改築したものと考えられ、明徳年間(1390~4)僧の松庵が城郭の下に明徳寺を開山したことから、現在の名称が一般的にな… 続きを読む 明徳寺城
富士浅間の砦
2013年01月12日 真田昌幸が築いたといわれる。名胡桃城の狼煙台か。遺構は腰郭・石宮(昌幸くんおすすめ みなかみ町歴史マップより) 名胡桃城の無料休憩所で入手した資料に「富士浅間の砦」というものがあり、場所を教えても… 続きを読む 富士浅間の砦
名胡桃城
2013年01月12日 南に赤城山、北に谷川連峰、東西を山に囲まれたこの利根・沼田地方は、鎌倉時代より戦国時代にかけて沼田氏が支配していた。沼田氏の全盛期には一族や重臣たちを各地に配して勢力の拡大を図った。名胡桃氏・小川… 続きを読む 名胡桃城
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