2012年11月18日 今回はお寺の方にお会いすることができました。武田氏の墓などがあるのか確認したところ、こちらのお寺の住職が武田という苗字とのことで、住職の墓はあるとのことでした。この日はお寺の行事が行われていて忙し… 続きを読む 光蓮寺
年: 2012年
鳴子網架設地
2012年05月04日 鳥居強右衛門と鈴木金七は5月14日の夜、城の西、岩石を伝わって滝川へ入った。武田勢は幾重にも取り巻き、瀬ごとに番人を置いた。大野川(宇連川)・滝川(豊川)に鳴子をかけて置いたので、通り様がない。然… 続きを読む 鳴子網架設地
滝川助義の墓
2012年05月04日 滝川助義の墓設楽原の合戦においては、織田信長麾下瀧川一益の旗本として左翼最前線で奮戦。また澤の尻の殿戦に於いては武田方笠井肥後守を討取り、信長公より感状、賜盃、銘照重の太刀を拝領するなど抜群の戦功… 続きを読む 滝川助義の墓
岩手左馬之助の墓
2012年05月04日 『長篇長篠軍記』〈東弾正山の激戦、武田軍岡部盛久岩手胤秀戦死す〉より東弾正山へ押し寄せた徳川勢大須賀五郎左エ門康高、菅沼藤蔵定政、三宅惣左エ門康定、菅沼小大膳定利、戸田三郎右エ門忠次、高力権左エ門… 続きを読む 岩手左馬之助の墓
岡部竹雲斎の墓
2012年05月04日 首洗い池の西北、道一つ離れた小高い丘の中裾に、向かって左手に岡部竹雲斎、右手に岩手左馬之助胤秀之墓が新たに設楽原をまもる会により建立された。岡部竹雲斎の戦死の地については、色々な説がある。『長篠戦… 続きを読む 岡部竹雲斎の墓
高森恵光寺快川の墓
2012年05月04日 現地には2つの墓碑があり、左のものは平成9年夏に作られたもので安山岩でできている。右のものは平成のはじめ、付近の田の中から出てきた花崗岩の不思議な石である。長い年月を経て、彫られた文字が消えている… 続きを読む 高森恵光寺快川の墓
鳶ヶ巣山奇襲隊の松山越え
2012年05月04日 鳶ヶ巣山奇襲隊の松山越え「よ」吉川より豊田藤助先に立ち 天正3(1575)年、長篠の戦い設楽原決戦の前夜、信長の命を受けた酒井忠次は三千人の兵で豊川を渡り、この吉川から松山峠を越えて長篠城の背後迄… 続きを読む 鳶ヶ巣山奇襲隊の松山越え
豊田藤助屋敷跡
2012年05月04日 天正3(1575)年、奥平貞昌(後に信昌)が城兵五百で守る長篠城は、一万五千余の武田軍に包囲され落城の危機にさらされていた。この長篠城を救援するために織田・徳川連合軍三万八千が連吾川の右岸、弾正山… 続きを読む 豊田藤助屋敷跡
君が臥床(和田兵部陣地)
2012年05月04日 飯田線長篠城駅を東に向かいすぐに右に曲がって川を渡り左折した後、更に橋を渡ってすぐに右折して町道大栗線を南下。すぐに左に上っていく道があるのでそこを進んで行ったところで人がいたので君が臥所の場所を… 続きを読む 君が臥床(和田兵部陣地)
熊城
2012年04月30日 目印の吸殻入れ 4月15日に一度熊城に挑戦したのですが、その時は要害城で知り合った安中市の方と一緒に要害城の裏手から熊城を目指しました。最初の案内板の所では右に進みしばらく歩くと上の写真の所に出ま… 続きを読む 熊城
松岳院
2012年04月15日 追分山松岳院穴山氏は武田十代目の信武の子、義武が逸見筋穴山(韮崎市)において、穴山を苗字としたことにはじまる。当院の開基乙若丸は、穴山第3代武田兵部小輔信介の嫡男で、穴山第4代信懸(のぶとお:建忠… 続きを読む 松岳院
広禅院
2012年04月15日 穴山宗九郎の墓 穴山宗九郎は小山城主穴山氏を嗣いだ穴山伊予守信永をあてる説が有力である。彼は文書に登場する唯一の庶流の人物で、穴山信君が西島の広禅院に廟所を移転させ、供養を行っている。穴山信永は小… 続きを読む 広禅院
天輪寺跡
2012年04月15日 穴山信介の墓 穴山信介は武田信重の子で武田信守の弟。兵部少輔を称し、穴山氏を嗣ぐ。下山天輪寺にあった碑子によれば、父信重に先立って宝徳2(1450)年3月19日に逝去したという。法名天輪寺英中俊公… 続きを読む 天輪寺跡
高浜砦
2012年02月24日 永禄9(1566)年、武田信玄の箕輪攻撃はこの砦の奇襲から開始された。箕輪・鷹留間の防衛主軸を分断すべく、那波無理之助宗安は250の兵を率いて夜間、雉郷・里見の防衛網を隠密通過し暁の烏川を越えて高… 続きを読む 高浜砦
長谷寺
2012年02月24日 白岩の長谷寺、通称「白岩観音」は、朱鳥年間(686-696)に開基されたことが「長谷寺縁起絵巻」に伝えられている。本尊の十一面観音立像は、総高230cm、像高180cmで、かや材の一木割矧造で素木… 続きを読む 長谷寺
長純寺
2012年02月24日 長野業政公 供養塔 信濃山 長野業政公 供養塔中央が長野業政公の墓、左が万霊菩提の為に大乗妙典1千部を誦された記念塔、右が業政公令室の墓と伝えられている。業政公は長野氏60年間の箕輪城主の中でも最… 続きを読む 長純寺
鷹留城
2012年02月24日 鷹留城は、中世永禄期(1558-69)の中規模山城の典型であり、本丸以下の曲輪、虎口、大手口、搦手口、井戸、掘切等の各種遺構が原形に近く残っている点では県内希な城跡である。明応年間(1492-15… 続きを読む 鷹留城
長年寺
2012年02月24日 長年寺長野氏の墓 中央が初代鷹留城主で、長年寺開基、長野業尚の墓である。左右に3基づつ歴代の墓が並んでいる。五輪塔墓石の最下段である方形石の地輪正面に、それぞれ戒名が刻まれている。慶岩長善庵主:長… 続きを読む 長年寺
富田城
2012年02月19日 富田城址は、菊川町富田字吉沢にある。城地は菊川の流れが狭い谷間を流れて平野部に入る移行部にあたり、北方には富田川が丘裾を洗い、北東から南へ流れる菊川に合流している。富田川を北堀、菊川を東堀に用いた… 続きを読む 富田城
竜眼山城
2012年02月19日 城址は、高根山丘陵南端から東方駿河湾に張り出す丘陵の先端、標高80mにあって東西2郭から構成され、榛原公園の地が主要部で、北西と南西隅に土塁の一部が残存するが、公園として早くから整地された結果、ほ… 続きを読む 竜眼山城
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