葛谷城の旧跡

2010年03月22日 武田信玄の供養塔 南部町教育委員会は、ここ葛谷峠に戦国時代の狼煙場や武田信玄の供養塔があったことから、昭和52年に「葛谷峠狼煙場跡」として町の文化財に指定した。その後、この周辺全体が静甲工業株式会… 続きを読む 葛谷城の旧跡

福士城山

2010年03月22日 烽火台ともいう。また原大隅守の警護の地ともいう。(山梨県の武田氏伝説より) 麓にある最恩寺の近くから登れる道を発見することができました。途中に仏像が沢山ある所がありました。そんなに時間をかけること… 続きを読む 福士城山

妙浄寺

2010年03月22日 妙浄寺は、大日山妙楽時と称し、元は真言宗であったが、日蓮上人が身延へ入山する際即ち文永11(1274)5月16日この寺に一泊し、住持大輪法印は日蓮に帰依して改宗し日寿と改名したと云う。このため甲州… 続きを読む 妙浄寺

慈眼寺

2010年03月22日 この寺は永禄年中(1558~70)に穴山伊豆守が開創した。(山梨県の武田氏伝説より) お寺の方が対応してくれて周辺の史跡などについてお話をお聞きすることができました。お寺の後方では中部横断道の工事… 続きを読む 慈眼寺

法寿寺

2010年03月22日 竹重の法寿寺は山号を妙延山といい、今は日蓮宗であるがもと真言宗で明王寺の別院であったといわれる。その境内に寺の鎮守として八幡堂が祀られているが、これは大井源三郎信豊が霊夢のお告げによって祀ったもの… 続きを読む 法寿寺

割石峠

2010年03月22日 割石峠は勝坂峠と共に駿河に備える要害で、峰には一つ陣が築かれ、烽火台もあった。むかし信玄が駿河に向かう途次この峠で休息し、太刀を抜いて樹木を切り道を開いた。その際傍らの百貫石が、御威光に恐れて二つ… 続きを読む 割石峠

印石

2010年03月22日 ①高田村源昌寺の境内に高さ三尺(約90センチ)ばかりの自然石があり、この石に掌の形を押した跡がついている。これを弘法大師がつけたともいい、また武田信玄だともいうが、このあたり3、40戸の集落には、… 続きを読む 印石

大島の古戦場

2010年03月22日 ここは大永元(1521)年今川の将福島正成が侵入し、武田勢と戦った所と伝え、戦死者の供養塔という五輪塔一基が残る。(山梨県の武田氏伝説より) 個人の土地であるとのことで今回特別に許可をもらって撮影… 続きを読む 大島の古戦場

伝・飯富兵部の墓

2010年03月22日 古屋弥右衛門昌時の供養塔 宝篋印塔飯富兵部少輔虎昌の遺子古屋弥右衛門昌時(坊磨呂)の供養塔。土中に埋没していたものを再築保存した。(看板資料より) 今回飯富に飯富兵部の墓があるという情報をメールで… 続きを読む 伝・飯富兵部の墓

常葉氏館跡

2010年03月22日 常葉氏は秋山光朝の別れといわれる。館跡といわれる場所の周辺には、城台・御城平・関口・城の下・城の道・木戸口などの関連地名が残されているが、館跡は現在小中学校敷地となっていて館の形態を留めていない。… 続きを読む 常葉氏館跡

東前寺

2010年03月22日 信玄の嫡子義信が父に謀反を起こしたとされる事件の時、常葉氏は飯富兵部に内通していたとして処分された。その供養のために穴山氏の臣馬場氏が、元亀年間(1570~73)にこの寺を創建したと伝えられている… 続きを読む 東前寺

妙園寺

2010年03月22日 祖師堂 妙円寺の境内は馬場丹後守忠次の屋敷跡といわれ、坊平からここに移ってきたと伝える。(山梨県の武田氏伝説より) 参道を登り、途中左側に本堂があって、更に先に進むと祖師堂がありました。桜が開花し… 続きを読む 妙園寺

輪鳴地蔵

2010年03月22日 ①勝坂は旧久那土村から旧富里村へ越す峠で、今は身延線一之瀬トンネルになっている。昔、武田信玄がこの峠で休息した時眠気を催し、夢の中に地蔵様の姿を拝した。信玄は目覚めると腰の矢立を取って、付近の石に… 続きを読む 輪鳴地蔵