小畠山城守虎盛・小幡豊後守昌盛屋敷跡

2007年10月28日 小畠虎盛は、遠江国の出身で、幼少の折に父日浄とともに武田家に仕え、永正15(1518)年に父死去により家督を相続し、信虎から騎馬15騎、足軽75人を預かる足軽大将に任じられたという。信虎・信玄2代… 続きを読む 小畠山城守虎盛・小幡豊後守昌盛屋敷跡

武田典厩信繁屋敷跡

2007年10月28日 信虎の次男(実は三男)。生母は大井氏で、信玄・犬千代(早世)・信繁・信廉は同腹である。仮名は次郎(二郎)で、元服して信繁と名乗り、左馬助の官途を称した。この官途の唐名が典厩であり、左典厩とも呼ばれ… 続きを読む 武田典厩信繁屋敷跡

銭岩

2007年10月07日 <伝説>白樺湖の南岸、湖岸よりおよそ百メートルほど山にのぼったところに、銭岩がある。白樺湖がまだ造られなかった頃のことである(湖は温水留池として昭和20年度完成)。地元のある人が、炭焼… 続きを読む 銭岩

音無の滝

2007年10月07日 <伝説>武田信玄と音無川川の瀬音がうるさくて、軍議ができないので大声で「うるさい」とどなった。信玄のひと声で、川の瀬音がなくなったことから、この川を音無川と呼ぶようになったと言われてい… 続きを読む 音無の滝

音無川

2007年10月07日 <伝説>武田信玄と音無川戦国時代のすぐれた武将で知られる、甲斐の武田信玄が、越後の上杉謙信との北信濃の川中島での決戦のため、何万という大軍をひきつれて、諏訪へ入り、八ヶ岳のふもとの棒道… 続きを読む 音無川

またたび清水

2007年10月07日 農作業をしていた方にまたたび清水の場所を聞いてみたら私は少し下りすぎてしまったらしくもう少し上の方とのことでした。大門峠に向かって道路の右側下の方に青い風林火山の旗が立っているとのことでした。長野… 続きを読む またたび清水

強清水

2007年10月07日 強清水と書いて「こわしみず」と読むのだそうです。というのはまたたび清水を探している時に現地の方がそう呼んでいて初めて分かりました。予め地図で調査しておいた時には強清水というバス停があることは分かっ… 続きを読む 強清水

自成寺

2007年10月07日 余地峠は長野県と群馬県の間にある峠ですが、現代の余地峠の道路は長野県側にしかないので途中で行き止まりになってしまうとのことです。残念ながらまだ私は余地峠に行ったことがないので現代の余地峠の様子は分… 続きを読む 自成寺

昌龍寺

2007年05月20日 昌龍寺に大日方直長の墓があるとのことで立ち寄りました。大日方は「おびなた」と読むそうです。お寺の正面に向って右側に塔のような面白い建物がありました。これは鐘楼とのことでしたが資料が残っていないため… 続きを読む 昌龍寺

水内総社日吉大神社

2007年05月20日 水内総社日吉大神社は栗田鶴寿(永寿軒)の居城である栗田城であったとのことで今回立ち寄ってみました。場所はかなり分かりづらく狭い道を何度も行ったり来たりしてやっと見つけることができました。道を聞いた… 続きを読む 水内総社日吉大神社

髻山城

2007年05月20日 髻山城址ここ髻山城址は戦国時代数次の川中島合戦において、葛山・天峰山・旭山・横山・飯山の諸城と共に宿敵武田信玄の野望を粉砕するため越後(現新潟県)の勇将上杉謙信の重要な砦であった。当髻山城は、本陣… 続きを読む 髻山城

天宗寺

2007年05月20日 由衣姫(武田勝頼の母)の母の墓 大岡村の天宗寺に由衣姫(武田勝頼の母)の母の墓があるとのことでしたので今回寄ってみることにしました。千曲市の屋代から現地に向かったのですが大岡村というのはすでに無く… 続きを読む 天宗寺

真田信之供養塔

2007年05月20日 真田信之供養塔と高源寺跡(左)笠塔婆 大鋒院(真田信之)供養塔   万治元(1658)年建立(右)宝篋印塔 高源院(真田大学)二百回忌供養塔   天保15(1844)年建立この供養塔は、ここに明治… 続きを読む 真田信之供養塔

古峰神社

2007年05月20日 清野氏の館跡とのことで今回立ち寄ってみました。妻女山への入り口のあたりかと思って行ったのですが私の勘違いで妻女山への道は別のところでした。途中何度か場所を尋ねながら行きましたが皆親切に教えてくれま… 続きを読む 古峰神社