2006年05月06日 と「樋田にて退路をたちし設楽貞通」(設楽原古戦場いろはかるた看板資料より) 設楽貞通は川路城主ですが、川路城はちょうど設楽原古戦場にある城です。長篠・設楽原古戦場の地元の武将ということですね。設楽… 続きを読む 設楽越中守陣地
月: 2006年5月
伝武田諸将訣盃ノ池
2006年05月06日 ご夫人がやかんの水を冷しに来ていたのでお話を聞くことができました。伝武田諸将訣盃ノ池とは、設楽原での決戦の前に武田方の武将である馬場信春、山県昌景、内藤昌豊、土屋昌次の4人が最後の盃を交わしたとこ… 続きを読む 伝武田諸将訣盃ノ池
小屋久保
2006年05月05日 む「村人はいくさをさけて小屋久保」(設楽原古戦場いろはかるた看板資料より) かるたでつづる設楽原古戦場によれば、織田・徳川軍が設楽原に進出してきた際、設楽原の住民には5人組でまとまって… 続きを読む 小屋久保
岡崎城
2006年05月05日 岡崎城天守閣 岡崎公園散策マップ 15世紀中頃(室町時代)、西郷弾正左衛門頼嗣(稠頼)が現在の岡崎城の位置にはじめて城を築き、のちに家康の祖父である松平清康が入城し本格的な岡崎城を構えた。1542… 続きを読む 岡崎城
雁望山登り口
2006年05月05日 す「強右衛門のろしをあげし雁峰山」(設楽原古戦場いろはかるた看板資料より) 雁望山は鳥居強右衛門が狼煙をあげた山です。上の俳句の設楽原古戦場いろはかるた看板資料は丸山砦の北側と、羽柴秀… 続きを読む 雁望山登り口
松倉城
2006年05月04日 富山さくらの名所松倉城跡松倉城跡は魚津市の南部、標高430mの鹿熊にある県内最大級の山城跡です。松倉城跡のサクラは、昭和の初めに植えられたヤマザクラ111本が始まりです。城跡へつづく階段を登りきる… 続きを読む 松倉城
桜洞城
2006年05月04日 桜洞城主三木良親は、広瀬高堂城の広瀬宗城と対立していた。高原諏訪城の江馬時盛は広瀬宗城とともに武田に援助を乞うた。永禄7(1564)年1月、武田軍は山県昌景を総大将としてに飛騨南部の桜洞城に迫り、… 続きを読む 桜洞城
江馬家家臣十三士之碑
2006年05月04日 最初に教えてくれた人の話では十三墓峠の近くにあるということでしたが、詳細は分かりませんでした。近くにある安国寺の住職に聞けば分かるはずであるとのことでしたので行ってみましたが、この日は法事で忙しそ… 続きを読む 江馬家家臣十三士之碑
江馬輝盛の墓
2006年05月04日 江馬輝盛の墓 京都における応仁の乱(1467年)以降日本全国は戦国時代となり、各地に戦乱が広がっていくが飛騨地方においても北部(高原郷)には江馬氏、中部(古川盆地)には姉小路氏、広瀬氏、小島氏、南… 続きを読む 江馬輝盛の墓
尾崎城
2006年05月04日 平成6年から3ヵ年にわたり行なわれた尾崎城の発掘結果は、全国的にも大きな関心を集めた。江馬氏下館跡の発掘成果とあわせて、京や鎌倉から遠く離れた中世の飛騨に、想像を越える遺物が出てきた。江馬氏下館跡… 続きを読む 尾崎城
三仏寺城
2006年05月04日 飛騨最古の城 三仏寺城跡保延、永治(1135~1141)の頃に平時輔が飛騨の守としてこの城に在城した。三代目の景則の頃から飛騨は平家の領国となった。四代目景家は四人の子息と共に京へ上っていたが、治… 続きを読む 三仏寺城
松倉城
2006年05月04日 松倉城絵図 ずいぶん高いところにありましたが、突然現れる立派な石垣に驚かされました。岐阜の山城は立派な石垣の城が多いですね。見学に来ていた人たちも何組かいました。麓には飛騨の里というところがあって… 続きを読む 松倉城
神岡城
2006年05月04日 永禄の昔、飛騨・越中侵攻を企てた武田信玄が、麾下の武将、山県三郎兵衛昌景の手勢を飛騨に派兵、この地を征した際、当時高原郷一帯を支配していた豪族、江馬時盛・輝盛父子に命じて構築させ、越中・飛騨攻略の… 続きを読む 神岡城
高原諏訪城
2006年05月04日 遊歩道入口 先に神岡城に寄ったのですがまだ時間が早かったので先に高原諏訪城に行くことにしました。神岡城の管理人に高原諏訪城のことを聞いたのですが残念ながらその名前すら知らなかったようでした。鉱山資… 続きを読む 高原諏訪城
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