2005年08月27日 金鶏金山付近略図 由来金鶏金山は金の鉱脈が鶏の形で埋蔵されているとの伝承で名付けられ発掘は永禄の頃(1558)、武田信玄公の時代で甲州金24万両の金山のひとつである。今までに鶏の片羽の部分のみが掘… 続きを読む 金鶏金山
月: 2005年8月
金沢峠
2005年08月27日 金沢峠への入口 上伊那郡高遠町と茅野市金沢(旧金沢宿)を結ぶ峠で、松倉峠ともいう。標高1315mである。この峠は中世以来、諏訪と上・下伊那を結ぶ重要な交通路で、鎌倉幕府に仕えた伊那の藤沢氏一門は、… 続きを読む 金沢峠
小山城
2005年08月27日 小山城は浅川扇状地北端の小丘を利用して構築された面積12.046平方メートルの規模を有する武田時代の城である。城の南辺の土塁は一部削平されているが、他は良く遺されている。土塁は底辺が約15メートル… 続きを読む 小山城
照陽寺
2005年08月06日 関東管領上杉憲政の墓 上杉憲政は関東管領であったが戦国争乱の世、北条氏康に攻められ援を謙信にもとめ、永禄4年管領の職として上杉の姓を謙信に譲った。照陽寺が越後から移るときこの墓もここに移した。(看… 続きを読む 照陽寺
法音寺
2005年08月06日 天文22(1554)年の第1回川中島合戦の折、信濃善光寺大御堂の如来三尊・什器等は越後へ移り、謙信は春日山城下に御堂を建てて安置した。のち上杉氏の移封に伴い慶長年間、本尊、什器は謙信の遺骸と共に米… 続きを読む 法音寺
上杉家廟所
2005年08月06日 上杉家歴代藩主の廟所で、藩祖謙信公を中央にしてその両側に12代までの藩主の廟が並んでいます。廟は2代から8代までは社造りで、材質もケヤキを用い、柱は丸柱となっています。9代から12代までの廟は10… 続きを読む 上杉家廟所
林泉寺
2005年08月06日 春日山林泉寺上杉謙信公の祖父長尾能景が、父重景の菩提を弔い勲業を顕彰しようと、明応5(1496)年越後高田(現新潟県上越市)に開基建立した曹洞宗の寺院です。寺号「林泉寺」は長尾重景の法名、山号「春… 続きを読む 林泉寺
上杉神社
2005年08月06日 上杉神社は、米沢城本丸跡地で米沢市内のちょうど中央付近に位置しています。敷地内には上杉謙信公に像や、移設された上杉謙信公の墓があった場所である上杉謙信公祀堂(御堂)跡、伊達政宗誕生之地の碑などがあ… 続きを読む 上杉神社
新羅善神堂
2005年08月04日 堂は三間四方の流れ造り。屋根は桧皮葺きの美しい建物で、国宝に指定されている。暦応3(1339)年に足利尊氏が再建した。新羅明神は園城寺開祖智証大師の守護神で、本尊新羅明神坐像も国宝。源頼義の子義光… 続きを読む 新羅善神堂
草内の渡し場跡の碑
2005年08月04日 本能寺の変の際、徳川家康とともに堺にいた穴山梅雪は三河岡崎に戻る途中、木津川草内の渡し付近で一揆のために命を落としたといわれている。穴山梅雪が家康を疑っていたためであるとか、持病の痔が悪化したため… 続きを読む 草内の渡し場跡の碑
飯岡共同墓地(穴山梅雪墓)
2005年08月04日 穴山梅雪墓 天正10(1582)年に、織田信長が明智光秀に殺された本能寺の変が起こったとき、泉州堺(大阪府堺市)に滞在していた徳川家康は、京都を避けて急いで居城の三河(愛知県)の岡崎城に帰るため、… 続きを読む 飯岡共同墓地(穴山梅雪墓)
新羅三郎義光の墓
2005年08月04日 新羅三郎義光の墓 新羅三郎は、源義光のことで源頼義の子にあたります。兄に源義家、源義綱がいます。新羅三郎というのは園城寺の北院の鎮守新羅明神をまつる新羅善神堂の神前において元服したことにちなむもの… 続きを読む 新羅三郎義光の墓
真田庵(善名称院)
2005年08月03日 県指定文化財 真田屋敷跡戦国の武将、真田昌幸・真田幸村父子は慶長5(1600)年関ヶ原の戦で西軍に味方して敗れ、高野山に配流の身となったが、後九度山のこの地で蟄居生活をした。昌幸は、慶長6(161… 続きを読む 真田庵(善名称院)
上杉謙信・景勝霊屋
2005年08月03日 高野山奥の院の参道には上杉謙信の墓もありました。奥の院入口の案内板には上杉謙信・景勝霊屋と書かれていましたが、場所は武田信玄・勝頼供養塔をすぎてすぐに反対側あたりのはずでした。注意深く探しながら歩… 続きを読む 上杉謙信・景勝霊屋
小田原北条家墓所
2005年08月03日 小田原北條氏の興亡(1495~1590)小田原北條氏は、伊豆韮山城主伊勢新九郎早雲が明応4(1495)年箱根山を東に越え、小田原城に大森氏を逐って西相模に進出し、その子氏綱が小田原を根城としたのが… 続きを読む 小田原北条家墓所
武田信玄・勝頼供養塔
2005年08月03日 和歌山県指定文化財史跡 武田信玄・勝頼の墓指定年月 昭和43年4月16日武田信玄は上杉謙信とともに乱世を生きた戦国武将であるが、性格直情の中にも文を学び神仏に帰依してその墓所を奥の院の一隅に求めた… 続きを読む 武田信玄・勝頼供養塔
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