2004年09月20日 松平広忠の夫人伝通院於大の方が鳳来寺薬師如来に祈願して、家康が生まれたと伝えられ、その因縁により三代将軍家光が造営したもので、日本の三東照宮の一つとなっています。(看板資料より) 徳川三代将軍家光… 続きを読む 鳳来山東照宮
年: 2004年
鳳来寺
2004年09月20日 本堂 鳳来寺はおよそ千三百年前に、利修仙人によって開かれ、大宝3(703)年に文武天皇から鳳来寺の名を賜って建立されたと伝えられている。以来広い信仰圏を持って栄え、源頼朝も厚く信仰し、大伽藍堂を寄… 続きを読む 鳳来寺
信玄の狼煙台
2004年9月20日 浪合村役場で村内の史跡について教えてもらったところ村の観光パンフレットをもらいました。それによると平谷村との境の蛇峠山というところに信玄の狼煙台というものがあることを知りました。役場の方の話によれば… 続きを読む 信玄の狼煙台
山村代官屋敷
2004年09月19日 山村氏は鎌倉幕府の大学頭大江匡秀衡一族の流れを祖とし、木曽義元の食客となったことにはじまり、木曽氏の重臣として活躍しました。後に関ヶ原に向う徳川秀忠の先陣を承って活躍し、勝利を得たことから木曽谷の… 続きを読む 山村代官屋敷
葬沢
2004年09月19日 葬沢(ほうむりさわ)天正10(1582)年、木曽義昌が武田勝頼軍に大勝利を収めた古戦場。この時、ここに武田方の戦死者五百余名を葬ったそうです。(看板資料より) 本沢自然探勝園(葬沢)天正10(15… 続きを読む 葬沢
大福寺
2004年08月14日 浅利与一公の層塔と五輪群 中央の層塔は、田の字状に並列した基礎を最下位として、その上に方形の基盤があり、その上に龕洞のある円筒主軸を置き、更に方形の屋蓋を平円軸を交互に四回重ね最上部に宝珠をもつ、… 続きを読む 大福寺
妙法寺
2004年08月14日 妙法寺は「妙法寺記」で有名です。妙法寺記は文正元(1466)年から永禄4(1561)年までの間に書かれたもので貴重な歴史資料となっています。河口湖南岸から少し入ったところの小高い所にあり閑静なお寺… 続きを読む 妙法寺
勝山城
2004年08月14日 勝山城は甲府の南に位置しており、武田信虎の時代に今川氏親との戦いの際に舞台となったところである。永正12(1515)年頃、椿城の大井氏が武田信虎に叛いて駿河の今川氏親がこれに呼応して配下の武将を甲… 続きを読む 勝山城
武田信玄公之像
2004年08月14日 武田信玄は、大永元(1521)年11月3日甲斐守護信虎の嫡男として生まれた。幼名を太郎といい、天文5(1536)年で元服、将軍足利義晴の一字をもらって晴信と名乗る。入道して信玄を称するのは、永禄2… 続きを読む 武田信玄公之像
甲府城跡(舞鶴公園)
2004年08月14日 甲斐国は、天正10(1582)年武田家滅亡後は、織田信長・徳川家康(城代平岩親吉)の時代を経て、天正18(1590)年に豊臣秀吉の支配となり、羽柴秀勝、加藤光泰、浅野長政・幸長親子により治められま… 続きを読む 甲府城跡(舞鶴公園)
広厳院
2004年08月14日 妙亀山広厳院この寺は相州小田原最上寺14世雲岬宗竜を開祖、塩田長者降矢対馬守を開基とし、寛正元(1460)年に開山した。山号を妙亀山といい、寺地の池より霊亀が薬師像を背負って現われたことに由来する… 続きを読む 広厳院
甲斐国分寺跡
2004年08月14日 甲斐国分寺跡は、奈良時代に鎮護国家のため国毎に建立された国立の寺院の一つです。臨済宗妙心寺派護国山国分寺の境内及びその周辺が往時の寺域であり、大正11年10月12日付け内務省告示第270号で国の史… 続きを読む 甲斐国分寺跡
義清神社
2004年08月14日 源義清館跡と義清塚源義清は甲斐国に源氏の勢力を最初に扶植した人物である。大治5(1130)年の「清光濫行」(『長秋記』)を契機として、天承元(1131)年ごろ、義清・清光父子は常陸国那珂郡武田郷(… 続きを読む 義清神社
浅利与一之館址
2004年08月14日 大福寺から勝山城へ向う途中の走行中に偶然上記の看板を見つけました。この上の高台のところが館址なのだそうですが斜面が急で登るのが大変そうだったので今回は断念しました。
富士山本宮浅間大社
2004年07月10日 人皇第七代孝霊天皇の御代、富士山が噴火し、人民が離散し国内が荒れ果てたので、第11代垂仁天皇の御代に至り、富士の神霊を山足(山麓)の地に鎮座した。第12代景行天皇の皇子日本武尊が東征お際、浅間大神… 続きを読む 富士山本宮浅間大社
村井城(小屋城)
2004年06月19日 史跡 小屋城跡この館を創設した村井氏は官牧埴原牧の牧人埴原氏の系統といわれる。村井氏は鎌倉時代から戦国時代にかけて現在の松本市中山、内田、寿、芳川、塩尻市広丘、片丘にわたる一帯を支配した豪族である… 続きを読む 村井城(小屋城)
永井坂戦跡
2004年06月19日 塩尻峠の合戦の際の戦死者を祀ってある、首塚・胴塚の場所を探しているときに、旧中山道沿いを塩尻峠に登る方向に向って、長井坂戦跡という看板があったのですが、首塚・胴塚の場所を教えてくれた老人が、長井坂… 続きを読む 永井坂戦跡
真田邸
2004年05月22日 松代城跡のうち唯一残った建物です。この建物は文久2(1862)年の改革のおり、参勤交代制度が緩められ、江戸住まいを命じられていた9代藩主の母お貞の方が松代に帰ることとなり、その居宅としてつくられた… 続きを読む 真田邸
真田宝物館
2004年05月22日 ホームページ 真田氏について真田氏は信濃国小県郡真田町を発祥の地とし、豪族滋野氏の一族であるといわれている。天文年間、真田幸隆が武田信玄につかえ、北信濃・上州攻略に参加し勢力を伸ばした。幸隆の長男… 続きを読む 真田宝物館
諏訪原城
2004年05月01日 諏訪原城は天正元(1573)年武田勝頼の臣馬場美濃守氏勝を築城奉行として築かれた規模雄大な山城であり、当時の東海道武田領の最前線牧の原台地の東北角を占めた天然の要害であった。遺構は、本丸、二の丸、… 続きを読む 諏訪原城
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