2004年12月30日 武田信玄公が治水に力を入れたのは有名だが、まだ晴信といわれた天文12、3年頃年々荒れる釜無川の水害から河原部村(現韮崎町)を守るため、今の一ツ谷に治水工事を行った。その堤防の根固めに並べ据えた巨大… 続きを読む 十六石
年: 2004年
武田不動尊
2004年12月30日 武田不動尊永禄年間武田信玄公は穂坂の牧の一部であった地蔵ヶ原の開拓を志し附近の住民をこの地に集め屋敷を与え租税を免除して新田を開発し竜地宿をつくった。当時武田家からの朱印状は石柩に長く保存されてい… 続きを読む 武田不動尊
中津森館跡
2004年12月26日 桂林寺にて中津森館の場所を尋ねたところ、桂林寺の駐車場から見渡して鉄塔の先のところがちょうど中津森館跡だったといわれているのだそうです。甲斐国志によれば「用津院の東にあり、里人は今も御屋敷と呼ぶ、… 続きを読む 中津森館跡
金山
2004年12月26日 カブトムシ村(介護事業所) 甲州街道(国道20号線)を走行中、四方津(しおつ)付近にて突然『武田金山遺跡発見 金山鍾乳洞穴 ここより20km 大月市賑岡町金山』という看板を発見しました。その後岩殿… 続きを読む 金山
十々里古戦場(廿里古戦場)
2004年12月25日 十々里古戦場永禄12(1569)年10月1日、武田信玄の武将小山田信茂と滝山城主北條氏照の重臣横地監物とが一大血戦を行ったところである。この年、甲州の武田信玄は北條氏康の小田原城を攻めんとして甲州… 続きを読む 十々里古戦場(廿里古戦場)
信松院
2004年12月25日 松姫尼公墓 市史跡 松姫尼公の墓松姫尼公は武田信玄の四女(六女とも言う)で、信松院の開基です。姫は永禄4(1561)年に生まれ、7才のとき織田信長の長男信忠と婚約したが、その後、武田・織田の両家が… 続きを読む 信松院
稲荷神社
2004年12月19日 八幡神社跡地 大谷崩に向う途中に鳥居を発見することができます。ここは日影沢金山で看板を見たときに八幡神社が移設されたと書いてあったので寄ってみることにしたのです。鳥居の横に車を止めるスペースがあっ… 続きを読む 稲荷神社
梅ヶ島温泉
2004年12月19日 梅ヶ島温泉のこと梅ヶ島温泉の発見は約1300年前にさかのぼると伝えられている。昔からこの湯は「黄金の湯」と呼ばれていたが、これは近くの山から産出された砂金を朝廷に献上し天皇から、金に関係の深い湯で… 続きを読む 梅ヶ島温泉
日影沢金山(安倍金山)
2004年12月19日 梅ヶ島に金山があるということは知っていましたが、安倍金山という名前で探していても発見できませんでした。地元では日影沢金山というらしく、日影沢金山=安倍金山なのかどうかも聞いてみましたが安倍金山とは… 続きを読む 日影沢金山(安倍金山)
信玄坑(津具金山)
2004年12月12日 元亀三年の頃より甲州武田信玄の勢力がこの地にも及びました。信玄は津具川に砂金の産することを知り採掘をしましたが、この山に金鉱脈を発見して、いくつかの坑道を掘りました。この坑道はその一つで総延長は1… 続きを読む 信玄坑(津具金山)
松永寺
2004年12月11日 烈士鳥居強右衛門勝商公 御木像 牛久保には鳥居強右衛門が磔にされている姿の木像が安置されているところがあるとのことでしたので寄ってみました。お寺から出てきた老婆に鳥居強右衛門の磔を見たい!と伝える… 続きを読む 松永寺
大聖寺
2004年12月11日 今川義元公墓所 市指定史跡戦国時代の駿河・遠江・三河の領主今川義元は永禄3(1560)年5月19日、尾張桶狭間の合戦で織田信長の奇襲にあって討死しました。その時、首をとられた義元の胴体を家臣が背負… 続きを読む 大聖寺
虎之助の墓
2004年12月11日 人質 虎之助の墓(萩城主奥平周防勝次の男)作手亀山城主奥平貞能が、武田氏に属した時、貞能の二男仙丸、日近城主奥平貞友の女於フウと共に人質として甲州に差遺はされたが、天正元(1573)年、貞能親子が… 続きを読む 虎之助の墓
於フウの墓
2004年12月11日 人質 於フウの墓(日近城主奥平貞友の女)作手亀山城主奥平貞能が、武田氏に属した時、貞能の次男仙丸、萩城主周防勝次の男虎之助と共に人質として甲州に差遺はされたが、天正元(1573)年、貞能親子が徳川… 続きを読む 於フウの墓
奥平仙千代の墓
2004年12月11日 奥平貞能とその子貞昌(後の長篠城主)は元亀2(1571)年武田信玄に降伏したので、仙千代を武田方へ人質に出すことになった。天正元(1573)年になって貞能父子は武田氏にそむいて徳川家康についたので… 続きを読む 奥平仙千代の墓
武田諸将訣盃ノ跡
2004年12月11日 前回訪れたときは、設楽原歴史資料館で聞いた話ではこの武田諸将訣盃之跡には清水が流れているということだったのですが、下の写真の看板のところから少し入ったところまで行ってみたのですが清水らしきものを見… 続きを読む 武田諸将訣盃ノ跡
早雲寺
2004年11月13日 早雲寺は、大永元(1521)年、北条早雲の遺命により、その子氏綱によって建立された寺であり、以来北條氏一門の香火所としてその盛衰をともにし現在に至っています。この寺には北條文化の香りを伝える数多く… 続きを読む 早雲寺
北条氏政・氏照の墓所
2004年11月13日 小田原市指定史跡 北条氏政・氏照の墓所北条氏政は、北条氏四代の領主。氏照は氏政の弟で八王子城など5つの支城の城主でした。天正18(1590)年豊臣秀吉の小田原攻めにより小田原城が落城すると、五代領… 続きを読む 北条氏政・氏照の墓所
弥三郎権現
2004年10月24日 弥三郎権現のお話しこの羅漢寺山弥三郎岳の名称は…その昔、甲斐国、御岳(今の昇仙峡)にある名刹羅漢寺に弥三郎という酒造りの名人が寺男として住んでいました。この弥三郎は、武田家の勝ち戦の祝い酒などを造… 続きを読む 弥三郎権現
戸隠神社(奥社、中社、宝光社)
2004年10月17日 ■ 奥社 ■ 長野県史跡 戸隠神社信仰遺跡戸隠神社は、奥社、中社・宝光社の三社からなっている。平安時代から修験道が行われ、日本有数の霊地として知られていた。縁起によると学問行者が修験を始めた年代を… 続きを読む 戸隠神社(奥社、中社、宝光社)
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