2014年09月14日 文明6(1474)年、開山鷹岳宗俊によって創建された向富山用津院の開基は、小山田耕雲と伝わる。これは森嶋本『甲斐国志草稿』の記述と一致する。実際、「耕雲」という人物が、用津院開山の時代に寺領寄進を… 続きを読む 用津院
史跡一覧
中津森館跡
2004年12月26日 桂林寺にて中津森館の場所を尋ねたところ、桂林寺の駐車場から見渡して鉄塔の先のところがちょうど中津森館跡だったといわれているのだそうです。甲斐国志によれば「用津院の東にあり、里人は今も御屋敷と呼ぶ、… 続きを読む 中津森館跡
諏訪番所跡
2009年12月29日 一、名称諏訪番所(甲斐二四関の一)、境川番所・境川口留番所とも呼ぶ。一、所在地上野原町諏訪木のはけ20番地・宝永4(1707)年諏訪神社東より番所坂上に移転一、土地番所屋敷 一畝二十八歩 高二斗三… 続きを読む 諏訪番所跡
上野原城
2009年12月29日 この城址に最初、館を築いたのは古郡氏です。古郡氏は小野篁の系統である武蔵七統の一統で、八王子の横山に本拠を構えた横山統の横山権守隆兼の三男三郎左ヱ門忠重が、康治年中に甲斐国都留郡古郡郷の別当大夫と… 続きを読む 上野原城
長峰砦
2009年12月29日 発掘調査された長峰砦跡長峰砦跡は、山梨県の東端部、上野原町大椚地区に所在した、やや小規模な中世の山城跡です。この付近は戦国時代の終わり頃、甲斐と武蔵・相模とが国境を接するところで、当時こうした国境… 続きを読む 長峰砦
矢坪坂の古戦場
2009年12月29日 上野原町指定文化財 矢坪坂の古戦場跡長峰の古道を西に進み大目地区矢坪に出て、さらに坂を上ると新田に出る。この矢坪と新田の間の坂を矢坪坂と言い昔戦場となったところである。享禄3(1530)年4月23… 続きを読む 矢坪坂の古戦場
小山田信茂首塚(初狩)
2007年12月01日 小山田左兵衛門尉信茂顕彰碑 此處中初狩藤嶋の地は詳雲山瑞龍庵竝びに地蔵堂跡で瑞龍庵は側子無量山福聚院の子院である。福聚の本寺は都留市金井の富春山桂林寺で元禄初年その中興四世湘外祖景が瑞龍庵開山とな… 続きを読む 小山田信茂首塚(初狩)
宝林寺
2014年09月14日 笠原夫人の墓 五輪塔ノ由来 武田信玄合戦記天文16(1547)年、武田ノ攻ニ屈シタ信州志賀城主笠原新三郎ハ従ハザルヲ得ナカッタ其ノ夫人21才賢才ニシテ美貌ノ誉高ク武田方ノ噂ニ登ッタ。小山田殿、夫人… 続きを読む 宝林寺
金山
2004年12月26日 カブトムシ村(介護事業所) 甲州街道(国道20号線)を走行中、四方津(しおつ)付近にて突然『武田金山遺跡発見 金山鍾乳洞穴 ここより20km 大月市賑岡町金山』という看板を発見しました。その後岩殿… 続きを読む 金山
稚児落とし
2016年05月28日 小山田氏の残された婦女子は、予想された落城の道を脱出することになり、堅手門から追っ手門・築坂峠・兜岩・呼ばわり谷の大岩壁と、来たとき背にしていた子供が突然泣き出し、追っ手に察知される距離となった。… 続きを読む 稚児落とし
岩殿城
2014年09月14日 明治12年に乃木希典が岩殿山に登っているが、正面の鏡岩を見て「兎も登れない」と感嘆したという。 岩殿山歴史景観保存地区岩殿山は、山体に円礫岩の巨大な鏡岩があり、暖帯林と温帯林の混交する場所です。戦… 続きを読む 岩殿城
於曽屋敷
2006年03月12日 山梨県指定県文化財史跡 於曽屋敷俗に土手屋敷と称され、文安年代世紀1444年から1449年の武田系図によると、加賀美遠光の子四郎経光が於曽氏を名乗り、即ち、ここに居館を構え於曽郷一帯を領有していた… 続きを読む 於曽屋敷
武田勝頼公之像
2014年12月27日 武田勝頼公之像の由来天正10年3月武田勝頼公ひきいる武田軍は織田・徳川連合軍との戦いで天目山栖雲寺を目指したが田野の地においてあえなく武田家の終えんを迎えた。甲斐国主である武田勝頼公の遺徳を偲び末… 続きを読む 武田勝頼公之像
血洗沢
2014年12月27日 この地は土屋惣蔵が、逃亡した跡部大炊介を追尾して斬り、この沢で血を洗い流したと言われています。(棒杭記載文章より) 2007年01月07日 この地は土屋惣蔵が、逃亡した跡部大炊介を追尾して斬り、こ… 続きを読む 血洗沢
鞍懸
2014年12月27日 この地は、逃亡する長坂長閑が土屋惣蔵に追われ落ちた鞍が路傍の桜の木にかかっていた所と言われています。(棒杭記載文章より) 2007年01月07日 今回の目的はこの鞍掛ではなく血洗沢でした。鞍掛のと… 続きを読む 鞍懸
鳥居畑古戦場
2014年12月27日 天正10(1582)年3月11日、武田勝頼の一行を追撃するために、門井沢や不動沢の駒飼口から攻め寄せる織田・徳川の先鋒隊川尻・滝川の軍勢4,000に対し、武田勢は秋山紀伊守・阿部加賀守ら100人に… 続きを読む 鳥居畑古戦場
姫ヶ淵
2014年12月27日 姫ヶ淵の由来天正10(1582)年3月11日武田勝頼公一族は、織田、徳川の連合軍の攻撃を受け激戦の末家臣と共に悲惨な最期をとげ、新羅三郎義光以来甲斐の守護として連綿と続いた甲斐源氏はその歴史を閉じ… 続きを読む 姫ヶ淵
首洗い池
2014年12月27日 この雨沢口に湧く清水の池は武田勝頼公父子の首を洗った所と言われています。(棒杭の説明文より) 2005年05月29日 景徳院の右隣に小さな憩いの場があってベンチなども整備されていますが、この周辺が… 続きを読む 首洗い池
景徳院
2014年12月27日 景徳院(田野寺)は、曹洞宗下総国総寧寺の末寺で、開基は徳川家康、開山は炊けだの臣小宮山内膳の弟で、中山広厳院第7世拈橋和尚である。また、同寺一帯は武田家滅亡の地として有名で、山梨県の史跡でもある。… 続きを読む 景徳院
土屋惣蔵片手切
2014年12月27日 土屋惣蔵昌恒(弘治2~天正10)(1556~1582)は金丸虎義の第5子、15歳の時に土屋備前の養子となり土屋姓を名乗る。長篠の役で義父と養兄の戦死に逢い、敵陣に切り込もうとしたが勝頼に制止されて… 続きを読む 土屋惣蔵片手切