2015年05月03日 布引山釈尊寺「牛に引かれて善光寺参り」の伝説で知られる布引山釈尊寺は、神亀元(724)年の創建と伝えられています。天文17(1548)年、武田信玄が楽巖寺入道、布下仁兵衛を攻めたときに兵火にかかっ… 続きを読む 釈尊寺
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武田信繁首塚
2015年05月03日 武田信繁の墓碑由来について永禄4年9月の川中島合戦は、信玄対謙信の最大の戦いで両軍とも有名な武将を多く失っている。信玄方の副大将であった信繁もこの激戦において戦死した。最後まで信繁のそばで奮戦した… 続きを読む 武田信繁首塚
金桜神社
2014年07月20日 虫切鈴の由来武田信玄公の弟信繁は幼少の時癇の虫強く母の信虎夫人は深くこれを憂い、この鈴に願をこめて武田氏代々崇敬の厚い金桜神社に祈願しました。即ちたちどころに癇の虫おさまり、その後信繁は立派に成長… 続きを読む 金桜神社
花岡城
2014年05月18日 主郭 史跡 花岡城址本丸跡、ニの丸跡、その間に空掘があり、自然の要害を利用して構築され、五陵閣形式となっており、土塁があり、中世の城址を知る貴重な史跡である。戦国時代には伊那口へのおさえであり、天… 続きを読む 花岡城
典厩寺
2013年07月21日 山門 当寺は明応9(1500)年頃創られ、最初は瑠璃光山鶴巣寺と称していました。永禄4(1561)年9月10日、武田信玄・上杉謙信の一騎打ちで知られる第4回川中島合戦の際に、信玄の弟・武田典厩信繁… 続きを読む 典厩寺
光蓮寺
2012年11月18日 今回はお寺の方にお会いすることができました。武田氏の墓などがあるのか確認したところ、こちらのお寺の住職が武田という苗字とのことで、住職の墓はあるとのことでした。この日はお寺の行事が行われていて忙し… 続きを読む 光蓮寺
武田典厩信繁屋敷跡
2007年10月28日 信虎の次男(実は三男)。生母は大井氏で、信玄・犬千代(早世)・信繁・信廉は同腹である。仮名は次郎(二郎)で、元服して信繁と名乗り、左馬助の官途を称した。この官途の唐名が典厩であり、左典厩とも呼ばれ… 続きを読む 武田典厩信繁屋敷跡
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