2014年05月25日 弘治2(1556)年に武田信玄が再興した。(長野県の武田信玄伝説より) 2008年12月30日 弘治2(1556)年に武田信玄が再興した。(長野県の武田信玄伝説より) 金松寺は金松寺山の麓にあって… 続きを読む 金松寺
タグ: 武田信玄
黒沢不動尊
2014年05月25日 武田信玄が金を掘った時、その穴封じにお不動様を祀ったものだという。そのため、南小倉の不動様は穴不動とも呼ばれている。また信玄が中塔城を攻めた際、この不動様に落城を祈願したといわれている。(長野県の… 続きを読む 黒沢不動尊
岡宮神社
2014年05月25日 城下町形成以前の古い神社で、城の東北に位置するところから鬼門鎮護の社として、さらには城主はじめ藩士や地域の人々が共に氏神と仰ぐ北深志の総鎮守として広く崇敬を集め、社殿造営祭典等には特別な御奉仕寄進… 続きを読む 岡宮神社
早落城
2014年05月25日 早落城 一の空掘 上巾約13m、本廓まで高さ約4m、西側の縦堀は長さ約30m。南方からの敵を防ぐ空掘である。(看板資料より) 早落城 主郭(本郭) 早落城主郭(本郭)長さ約55m、幅約11m、標高… 続きを読む 早落城
稲倉城
2014年05月25日 所在地:松本市大字稲倉1523番地ほか所有者:松山武一ほか概略稲倉城は山城で、室町時代初めから戦後時代末期の天正11(1583)年まで、浅間郷の領主であった赤沢氏の本城である。城は、稲倉地区北方に… 続きを読む 稲倉城
伊深城
2014年05月25日 本郭 松本市特別史跡 伊深城伊深城は林城の支城で、伊深集落の背後の山の頂に位置し、現在は南東山麓の若宮八幡社から尾根上を登る道が整備されている。東尾根に小郭はあり、山頂部の主郭は、東西が約11メー… 続きを読む 伊深城
桐原城
2014年05月25日 本郭 桐原城は入山辺桐原の海岸寺沢と追倉沢に挟まれた尾根の中腹にあり、「信府統記」によれば寛正元(1460)年に築かれた桐原大内蔵真智の居城で、真実、真貞、真基の四代に渡って相伝されたという。桐原… 続きを読む 桐原城
山家城(中入城)
2014年05月25日 本丸 長野県史跡 山家城跡鎌倉時代に地頭の山家氏が築城したと伝えられる。山家氏は元弘元(1331)年に徳雲寺を創建した神為頼(諏訪氏)の子孫が山家氏を称した。文明12年に小笠原氏に叛いたため、小笠… 続きを読む 山家城(中入城)
蓮華寺
2014年05月24日 武田信玄の開基で、永禄2(1559)年に僧玄契和尚が開基した道場である。(長野県の武田信玄伝説より) 2008年12月30日 武田信玄の開基で、永禄2(1559)年に僧玄契和尚が開基した道場である… 続きを読む 蓮華寺
西福寺
2014年05月24日 清林宗泉なる者が明応2(1493)年8月に草庵を造った。5代目の圭獄珠白禅師は博識碩徳で人望があった。このために武田氏の帰依を受けて、永禄8(1565)年11月15日に堂宇造営の助成として一貫二百… 続きを読む 西福寺
長興寺
2014年05月24日 本堂 洗馬氏の開基という。天文23(1554)年に洗馬氏は滅んで武田氏の管轄となった。ここに小笠原氏の旗下の三村肥後入道が西洗馬に住んで、小笠原氏と武田氏の戦争の機に臨んで、密かに武田氏に通じて親… 続きを読む 長興寺
耳塚神社
2014年05月24日 伝説耳塚様と呼ばれ昔は耳の病気の直ることを祈った。桔梗ヶ原の戦いとか安曇族王に関係ありとも言われる。明治29年先祖が野ざらしになっていた塚に祠を建て2本の剣を御神体として祀った。耳の形に似た素焼き… 続きを読む 耳塚神社
北熊井城
2014年05月24日 形式主郭は戦国時代の早い時期にでき、だんだん追加されていったが、戦国末期の一連の平山城と思われるので包括的に記す。熊井城のような平山城は新しいという見方もあるが、主郭の周りの土塁が高く、人馬の出入… 続きを読む 北熊井城
大宮八幡
2014年05月24日 所在地:塩尻市大字片丘6889番地所有者:大宮八幡宮イチイ(イチイ科)は別名アンコ、アララギ、スオウノキ南信ではミネゾウと呼ばれ雌雄異株の常緑高木で中部地方以北の温帯林から亜寒帯林に分布する陰樹で… 続きを読む 大宮八幡
首塚・胴塚
2014年05月24日 首塚 首塚・胴塚の由来今を遡る事、434年前、歴史上戦国時代と言われる天文17年7月19日甲斐の武田信玄軍と松本林城主小笠原長時軍とが永井坂において交戦し数時間に及ぶ激戦の末、戦いは小笠原軍の破れ… 続きを読む 首塚・胴塚
塩尻峠・勝弦峠
2014年05月24日 塩尻峠 塩尻峠の合戦跡地 天文年間、信濃侵略をめざす武田勢と信濃の武将とは幾度となく合戦を繰り返したが、特に天文17(1548)年7月19日の武田信玄と小笠原長時(本拠地松本)との塩尻峠での合戦は… 続きを読む 塩尻峠・勝弦峠
安国寺門前古戦場
2014年05月18日 武田晴信(信玄)は天文11(1542)年に諏訪を攻略し、妹婿の諏訪惣領家頼重を自刃させ滅亡させた後、宮川を境に東は武田が直領とし、西は晴信とひそかに通じていた高遠頼継が領するところとなった。しかし… 続きを読む 安国寺門前古戦場
安国禅寺
2014年05月18日 泰平山 安国禅寺の由来延元3(1338)年に天下を平定し、征夷大将軍となった足利尊氏は当時の名僧夢窓国師の勧めに後醍醐天皇はじめ元弘以来の戦乱によって死傷した人々の菩提を弔い、あわせて足利幕府の威… 続きを読む 安国禅寺
慈雲寺
2014年05月18日 白華山慈雲寺は正安2(1300)年、一山禅師の開山で信州触頭として重きをなした名刹である。梵鐘は応安元(1368)年諏訪下宮大祝金刺豊久によって造られ形、音銘ともにすぐれている。楼門は安永8(17… 続きを読む 慈雲寺
承知川橋
2014年05月18日 承知川橋の記この一枚石は長く甲州道中の承知川にかかっていた橋石である。輝石安山岩、重量約壱拾参屯。伝説によると永禄4年武田信玄が川中島の戦いの砌(みぎり)、諏訪大明神と千手観音に戦勝祈願を約し社殿… 続きを読む 承知川橋
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