2014年09月28日 真田氏館跡は、真田氏の上田城築城以前の居館といわれ、現在でも「御屋敷」と呼んで親しまれている。また、中世豪族の居館の形態がほぼ完全な形で保存されており、真田氏一族の貴重な遺構として昭和42年に長野… 続きを読む 真田氏館跡
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信綱寺
2014年09月28日 大柏山 信綱禅寺当寺の創建は室町期、横尾城の東の梅ノ木に横尾氏の菩提寺として好雪斉大柏寺と呼ばれ、横尾氏滅亡(上田原合戦)後、真田信綱公が寺を打越に移し、大光智照禅師を迎え大柏山打越寺と名付けられ… 続きを読む 信綱寺
真田源太左衛門尉信綱之碑 真田兵部丞昌輝之碑
2014年08月16日 み「三子山に真田兄弟の墓ならぶ」(設楽原古戦場いろはかるた看板資料より) 設楽郡富永庄浅木村三子山の最東端の山腹に、真田一族の墓所がありけるを訪づれたれば、果して上手の段に土饅頭へ荊棘の纏りもせで… 続きを読む 真田源太左衛門尉信綱之碑 真田兵部丞昌輝之碑
大宮前激戦地
2014年08月16日 大宮前激戦地は武田軍右翼の部隊が激戦を繰り広げたところと思われます。長篠日記によると、武田軍右翼には、先陣が馬場美濃守信房、続いて真田源太左衛門信綱と弟の真田昌輝、第3陣が土屋昌次、第4陣が穴山信… 続きを読む 大宮前激戦地
上州沼田産矢立硯発見地
2014年08月16日 上州産「矢立硯」の発見場所昭和39年春、この看板の位置より60メートル程南の下流に堰堤が造られたが、その工事中に青みがかった小さな硯が発見された。縦116ミリ、横29ミリ、厚さ12ミリの細長い形で… 続きを読む 上州沼田産矢立硯発見地
天神山陣地
2014年08月15日 本社は源頼朝が勧進創立し、足利氏を経て一色氏の守護神になった(縁起)。元禄11(1698)年10月、一色氏の所領替えにより、下総国木之崎村より現在地に遷営された。本殿は全体的に形姿がよく整い、細部… 続きを読む 天神山陣地
真田源太左衛門尉信綱屋敷跡
2007年10月28日 真田幸隆の嫡男で、元亀元(1570)年ごろに父の跡を継ぎ、真田氏の当主となった。信玄の命により、永禄10(1567)年、父幸隆とともに上野国白井城を攻略し、箕輪城に入って、その増強を行っている。ま… 続きを読む 真田源太左衛門尉信綱屋敷跡
長国寺
2005年09月24日 国指定史跡 旧松代藩主墓所歴代藩主墓所初代藩主霊屋[重要文化財]四代藩主霊屋[県宝]開山堂[県宝]墓域の一部をのぞく長国寺の全域が国の史跡に指定されている。(看板資料より) 拝観料を支払うとお寺の… 続きを読む 長国寺
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