2013年06月29日 積翠寺と要害山 甲斐国志によると開山は行基、夢窓国師の弟子竺峰が中興したという。慶安元(1648)年、仰厳恵高の時代に妙心寺派に転派する。境内に泉が湧き出ていて巨岩から滝になっていたところから、も… 続きを読む 積翠寺
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要害城
2013年06月29日 要害城全景 川田の館から甲斐府中への移転を決めた武田信虎は永正16(1519)年夏頃から新館の建設に取り掛かり12月に入居しているが、自らが移転するだけではなく服属する国人達にも移住を強要した。こ… 続きを読む 要害城
菊水寺
2013年01月04日 武田信玄に焼かれたお寺として菊水寺を探しました。現地の正面に立ってみると菊水寺という名前は小さく彫られていて、大きく長福寺と彫られていました。本堂の中に入ってみるとお坊さんがいたので聞いてみました… 続きを読む 菊水寺
秩父神社
2013年01月04日 未だ群雄割拠の戦国時代、当社は甲斐の武田信玄公の手により、永禄12(1569)年に焼失の後、徳川家康公の力により現在のご社殿が再建されました。家康公は、寅の年、寅の日、寅の刻生まれということで、虎… 続きを読む 秩父神社
根小屋城
2013年01月01日 武田信玄の財宝世に名高い川中島の合戦は、信州の善光寺平であるが、この附近においても天文18(1549)年新たに武田信玄の手に加わった上州の先手を案内し、甲軍が西上州に侵入した三寺尾の合戦以来、甲越… 続きを読む 根小屋城
蒼海城
2012年12月24日 本丸 染谷川とその支流牛池沢との間に縦横の堀を配した城で、総社長尾氏の本拠である。この城の縦横列郭構造は、築城以前に既設の構えのあったことを暗示し、幻の上野国府を戦国城郭に編成したのがこの城ではあ… 続きを読む 蒼海城
武田信玄公石碑
2012年11月25日 武田信玄公石碑 徳川幕府も太平の時代となり村人達も尊敬する信玄公を悪病退散の神様として祀り信仰し昭和初期まで「種痘」した人達の無病息災を祈り、六斉講が毎年6月ホウソ神送り念仏の行事を行っていた。中… 続きを読む 武田信玄公石碑
西敬寺
2012年11月18日 当寺の開基である下総の岩倉刑部親経は親鸞聖人が善光寺に参拝した際弟子となり釈善巧と称し、建長7(1255)年更埴市倉科に一寺を建立し西敬寺と称した。その後、永禄年間(1560年頃)中野市牛出に移る… 続きを読む 西敬寺
高浜砦
2012年02月24日 永禄9(1566)年、武田信玄の箕輪攻撃はこの砦の奇襲から開始された。箕輪・鷹留間の防衛主軸を分断すべく、那波無理之助宗安は250の兵を率いて夜間、雉郷・里見の防衛網を隠密通過し暁の烏川を越えて高… 続きを読む 高浜砦
長谷寺
2012年02月24日 白岩の長谷寺、通称「白岩観音」は、朱鳥年間(686-696)に開基されたことが「長谷寺縁起絵巻」に伝えられている。本尊の十一面観音立像は、総高230cm、像高180cmで、かや材の一木割矧造で素木… 続きを読む 長谷寺
鷹留城
2012年02月24日 鷹留城は、中世永禄期(1558-69)の中規模山城の典型であり、本丸以下の曲輪、虎口、大手口、搦手口、井戸、掘切等の各種遺構が原形に近く残っている点では県内希な城跡である。明応年間(1492-15… 続きを読む 鷹留城
武田信玄火葬塚
2011年12月31日 一ノ瀬義法氏の「武田信玄終焉地考」によると、阿智村の長岳寺には「信玄の火葬場」というものが伝えれているとのことでした。以下同本より文章を抜粋します。—–ここには「武田信玄公… 続きを読む 武田信玄火葬塚
五輪塚
2011年12月31日 下辰野のお宮の裏手に三坪ほどの塚があり、武田信玄がここで討ち死にした墓だと伝えている。信玄は桔梗の花が大変好きだったので塚の周りには今でも桔梗の花が咲く。もともと石だけ残っていたものを、明治の頃近… 続きを読む 五輪塚
萬法寺
2011年12月30日 この寺の宝物に、武田信玄の守り本尊と称する阿弥陀如来がある。(長野県の武田信玄伝説より) 松代のお寺である万法寺に寄りました。お寺の人に会うことができず、また案内板などもなく詳細については分かりま… 続きを読む 萬法寺
光林寺
2011年12月30日 僧春虎が善光寺へ参詣の帰路、その霊験を聞き当地にとどまった折、武田氏の命により天文16(1547)年に現在地へ移し、光林寺を改築したという。永禄4(1561)年に川中島の激戦が止むに及んで、信玄は… 続きを読む 光林寺
霊泉寺
2011年12月30日 霊泉寺の由来この寺は金剛山波羅密院霊泉寺と称し安和元(968)年鎮守府将軍平維茂朝臣の命により空也上人の開山と伝えれれている。その後たび重なる兵乱によって寺は衰えたが、弘安元(1278)年、和田前… 続きを読む 霊泉寺
海禅寺
2011年12月30日 海禅寺はその草創は少なくとも平安前期にさか上ると推定され、上田小県地方切っての古刹である。今の東御市に海善寺という集落があるが、これは開善寺(海禅寺の旧名)があったから名づけられた地名である。開善… 続きを読む 海禅寺
勝手神社
2011年12月30日 永禄年中(1558~70)に武田信玄が社前を乗り打ちして落馬したという。(長野県の武田信玄伝説より) 最初は場所が分からず探すのに苦労しましたが、近所のご婦人に場所を教えてもらいました。コミュニテ… 続きを読む 勝手神社
不聞道祖神
2011年12月30日 不聞道祖神昔、中仙道長久保の南入口に小さな祠に祀られた道祖神があり、その道祖神は魔物や病が村に入り込まないよう入口で押さえ込み追い払ったというありがたい神様だと信じられ以前は川端の崖の上に祀られ県… 続きを読む 不聞道祖神
温泉寺
2011年12月29日 本尊は釈迦如来。鎌倉期、京東福寺の虎関師練が草庵を営み里人に温泉の効能を教えた。室町期、僧節香徳忠により曹洞宗として中興された。戦国期、武田信玄より寺領を安堵され本堂を整備した。以来信玄公を開基と… 続きを読む 温泉寺
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