万歳坂

2013年12月31日

森町 戦国夢街道パンフレット

この地域一帯は、浜松城の徳川軍と犬居城の天野軍(武田軍)の戦った古戦場である。戦いを優勢に展開した天野軍がこの付近で勝どきをあげたのでここを「万歳坂」と呼ぶようになったと言われている。
近年まで、武士が着用した鎧などの金銀を含んだ「銀石」という石が出ると伝えられ、子供達はその石探しに興じたものである。むかし、秋葉街道が賑わったころは、この付近に法度、掟書や罪人の罪状を記した立札の立てられる高札場があったという。
村の子供達は、秋葉山に参る「秋葉道者」のあとを追いながら、「道者道者一文おくれ。くれる道者は米道者。くれぬ道者は糠道者」とはやして、この万歳坂を上り花立の茶屋まで後を追ったそうである。
(看板資料より)


2008年03月22日

この地域一帯は、浜松城の徳川軍と犬居城の天野軍(武田軍)の戦った古戦場である。戦いを優勢に展開した天野軍がこの付近で勝どきをあげたのでここを「万歳坂」と呼ぶようになったと言われている。
近年まで、武士が着用した鎧などの金銀を含んだ「銀石」という石が出ると伝えられ、子供達はその石探しに興じたものである。むかし、秋葉街道が賑わったころは、この付近に法度、掟書や罪人の罪状を記した立札の立てられる高札場があったという。
村の子供達は、秋葉山に参る「秋葉道者」のあとを追いながら、「道者道者一文おくれ。くれる道者は米道者。くれぬ道者は糠道者」とはやして、この万歳坂を上り花立の茶屋まで後を追ったそうである。
(看板資料より)


遠州森の戦国夢街道の史跡の中で今回一番武田軍に関係が深そうな史跡がこの万歳坂でした。ここもハイキングコースの途中でしたが車で行ってみることにしました。
三倉トンネルの方へ行って乙丸のバス停のところにあるらしい七人塚について地元の人に聞いてみましたが、そういうものは無いとのことでしたのであきらめて万歳坂方面と思われる坂道を登って行きました。
かなり急な坂でしたが、しばらく登っていくと先ほど見かけたところに出ました。
そこから更に進んで行って地元の老人がいたのでこの先車で行かれるのか聞いてみたら、車でも行けるとのことで安心して狭い道に突入していきました。
しばらくして看板を発見したのでそこで車を止めました。舗装されたハイキングコースとは別にちょうど看板のところに坂があったので多分万歳坂というのはそっちの坂のことのことかなと思いました。

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