耕心庵

2015年06月13日 耕心庵縁起(甲信庵)川中島の合戦(4回目)が終りこの地方は武田方に属す。信玄公巡国の時、この地に立ち寄り、川中島合戦場を見下ろして、この處はまさに景勝地であると感嘆し、ここに禅寺を建立し、法性山甲… 続きを読む 耕心庵

塩沢寺

2015年05月03日 右霊位は塩沢区森元秋恵家に永く祀られありしも森元家としても院号の法名を有する心当たりもなく謎として今日に至る。たまたまNHKのテレビドラマ「武田信玄」により武田家滅亡の経緯について研究も進み今迄高… 続きを読む 塩沢寺

歓喜院

2015年05月03日 永禄4(1561)年9月、武田信玄が川中島合戦に出陣するに際して、この寺に宿泊して、戦勝を祈念するため、本堂の裏面に天照皇大神宮を奉安し鎮守したという。なお、陣鐘一個をも奉納した。この由緒によって… 続きを読む 歓喜院

功徳寺

2015年05月03日 天文15(1546)年栄海上人の草創で湯川山功徳寺と号した。武田信玄が甲州から越後へ往復した際、この寺に宿を取り、湯川山を改めて金台山と名づけた。武田信玄が長野より善光寺の本尊を甲府に移した時、こ… 続きを読む 功徳寺

信定寺

2015年05月03日 信定寺の沿革と由来釈迦如来(鎌倉時代)を本尊とし、戦国時代武田信玄が信濃を攻め、城主大井信定討死、その菩提を弔う為天文22年に建立。徳川時代、例幣使日光参詣の途中、和田宿に泊り京都二条殿祈願寺とな… 続きを読む 信定寺

釈尊寺

2015年05月03日 布引山釈尊寺「牛に引かれて善光寺参り」の伝説で知られる布引山釈尊寺は、神亀元(724)年の創建と伝えられています。天文17(1548)年、武田信玄が楽巖寺入道、布下仁兵衛を攻めたときに兵火にかかっ… 続きを読む 釈尊寺

心眼寺

2015年02月28日 真田幸村出丸城跡 従五位下 真田左衛門佐豊臣信繁之墓 真田信繁は、武田信玄配下の武将であった、父真田昌幸の次男、通称は源次郎、号は好白。関ケ原の戦いでは父と共に西軍に付くも、戦いに敗れ、紀州九度山… 続きを読む 心眼寺

普傳院

2015年02月07日 本堂 千体堂 戦国時代、天竜川沿いの戦いで討ち死にした徳川、武田双方の将兵を供養するため、村人の浄財で千体の木彫仏を安置した千体堂を姫街道沿いに建立したと伝えられている。現在、その千体堂は普傳院に… 続きを読む 普傳院

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西泉寺

2015年02月07日 西泉寺は、聖観世音菩薩を本尊とする曹洞宗の寺である。境内の観音堂は、徳川家康が天竜川の東で武田軍との戦いに敗れ、池田村の善右衛門の舟で天竜川を渡り、半場新田(川越島)に着き、ここから西泉寺に向かい… 続きを読む 西泉寺

妙恩寺

2015年02月07日 妙恩寺由来日蓮宗長光寺妙恩寺は鎌倉時代第95代花園天皇の応長元(1311)年6月日蓮大聖人の孫弟子日像菩薩を御開山とし、金原法橋左近将監を開基檀越として出来た遠州最初の法ヶ道場である。以来、今日迄… 続きを読む 妙恩寺

本乗寺(精鎮塚の碑)

2015年02月07日 精鎮塚の碑 この碑は、三方原の戦いの戦死者をまつるため建てられたといわれている。昔の建立場所は、姫街道沿いにある權七商店の西北2百メートルほどの所にあったが大正の中頃、本乗寺四代目住職、青島淳雄師… 続きを読む 本乗寺(精鎮塚の碑)

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龍泉寺

2015年02月07日 元亀3(1572)年に、家康公は三方原の戦いに敗れ逃げ帰る途中、身を隠した阿弥陀堂で夢枕に阿弥陀如来が現れ、布橋の戦略を授かった。これにより浜松城は落城を免れ、家康公出世の先駆けとなったと伝えられ… 続きを読む 龍泉寺

宗源院

2015年02月07日 宗源院は維新の頃まで7万坪に及ぶ広大な寺域を擁していたが、明治政府に上地して縮小をみるに至った。開創は在天雲和尚。応永23(1416)年のことだといわれる。開基は吉良氏である。くだって戦国時代、駿… 続きを読む 宗源院

普済寺

2015年02月07日 山号広沢山、曹洞宗。15世紀の初め寒巌義尹が開山、その後肥後国(熊本県)大慈寺から来た華蔵義曇りが寒巌禅師の遺志を継ぎ、東海の禅堂としてこの地に普済寺を建立した。教派は13派(460ヵ寺)を数え、… 続きを読む 普済寺

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大雲寺

2014年12月28日 本堂 今川家は代々駿河国の守護大名として駿府に在り、周辺警備の出城として関口刑部親長に持舟城を守らせていた。この関口の娘瀬名姫(後の築山殿)と徳川家康は弘治元年3月結婚、この政略結婚が後年の生涯に… 続きを読む 大雲寺

景徳院

2014年12月27日 景徳院(田野寺)は、曹洞宗下総国総寧寺の末寺で、開基は徳川家康、開山は炊けだの臣小宮山内膳の弟で、中山広厳院第7世拈橋和尚である。また、同寺一帯は武田家滅亡の地として有名で、山梨県の史跡でもある。… 続きを読む 景徳院

武田不動尊

2014年12月27日 この地は、勝頼一行が憩いし折り、武田の守り本尊として奉持していた不動尊を祀り、武運の長久を祈り里人にこれを託した所と言われています。(現地の案内棒に記載された文章より) 2005年05月29日 こ… 続きを読む 武田不動尊

栖雲寺

2014年12月27日 本堂 貞和4(1348)年、業海本浄禅師が開山した禅寺で、業海は文保2(1318)年に元の国に渡り中峯普応国師に師事し、元の天目山で修行して帰国後武田家の招聘によりこの寺を開いた。以来、武田家の信… 続きを読む 栖雲寺

竜雲寺

2014年12月21日 竜雲寺は守護大名今川7代の当主氏親の夫人龍雲寺殿峰林寿桂大禅定尼(寿桂尼)の菩提寺である。寿桂尼は京都の中御門権大納言宣胤の女で、永正5(1508)年今川氏親に嫁して、3男4女を生んだ。氏親は晩年… 続きを読む 竜雲寺

祐泉寺

2014年12月07日 戦国時代西暦1567年早雲寺第8世梅隠宗香禅師を開山とし、小田原北条氏初祖早雲の三男幻庵の嫡男新三郎が建立する。新三郎は蒲原城主として駿河進攻を目指す武田信玄に対する中心武将として対峙していたが、… 続きを読む 祐泉寺