2004年12月11日 今川義元公墓所 市指定史跡戦国時代の駿河・遠江・三河の領主今川義元は永禄3(1560)年5月19日、尾張桶狭間の合戦で織田信長の奇襲にあって討死しました。その時、首をとられた義元の胴体を家臣が背負… 続きを読む 大聖寺
史跡の種類: 寺
早雲寺
2004年11月13日 早雲寺は、大永元(1521)年、北条早雲の遺命により、その子氏綱によって建立された寺であり、以来北條氏一門の香火所としてその盛衰をともにし現在に至っています。この寺には北條文化の香りを伝える数多く… 続きを読む 早雲寺
鳳来寺
2004年09月20日 本堂 鳳来寺はおよそ千三百年前に、利修仙人によって開かれ、大宝3(703)年に文武天皇から鳳来寺の名を賜って建立されたと伝えられている。以来広い信仰圏を持って栄え、源頼朝も厚く信仰し、大伽藍堂を寄… 続きを読む 鳳来寺
大福寺
2004年08月14日 浅利与一公の層塔と五輪群 中央の層塔は、田の字状に並列した基礎を最下位として、その上に方形の基盤があり、その上に龕洞のある円筒主軸を置き、更に方形の屋蓋を平円軸を交互に四回重ね最上部に宝珠をもつ、… 続きを読む 大福寺
妙法寺
2004年08月14日 妙法寺は「妙法寺記」で有名です。妙法寺記は文正元(1466)年から永禄4(1561)年までの間に書かれたもので貴重な歴史資料となっています。河口湖南岸から少し入ったところの小高い所にあり閑静なお寺… 続きを読む 妙法寺
広厳院
2004年08月14日 妙亀山広厳院この寺は相州小田原最上寺14世雲岬宗竜を開祖、塩田長者降矢対馬守を開基とし、寛正元(1460)年に開山した。山号を妙亀山といい、寺地の池より霊亀が薬師像を背負って現われたことに由来する… 続きを読む 広厳院
甲斐国分寺跡
2004年08月14日 甲斐国分寺跡は、奈良時代に鎮護国家のため国毎に建立された国立の寺院の一つです。臨済宗妙心寺派護国山国分寺の境内及びその周辺が往時の寺域であり、大正11年10月12日付け内務省告示第270号で国の史… 続きを読む 甲斐国分寺跡
米倉寺
2003年11月23日 井宝山米倉寺と号し、曹洞宗に属す。天文元(1532)年の開創で、開山は天宥宗高大和尚(秦野市堀山下の米倉一族の菩提寺、蔵林寺の二世)。由緒によれば往古この地に用国院と呼ぶ寺院があり、伊豆の普門院を… 続きを読む 米倉寺
蔵林寺
2003年11月23日 ここには米倉丹後守一族の墓地があります。蔵林寺と書かれた入口に車を止めて中に歩いて行きましたが寺の境内には立派な駐車場がありました。そのまままっすぐに進むと本堂と思われる建物があり、向かって左側の… 続きを読む 蔵林寺
大泉寺
2002年3月3日 昔、父と一緒に一度来たことがあったはずだが記憶にはあまり残っていなかったためか想像していた雰囲気とずいぶん違っていた。小山田氏の本拠地であったところで今は大泉寺というお寺になっている。(昔からあるのか… 続きを読む 大泉寺
油山寺
2001年10月07日 油山寺山門 屋根瓦と漆喰のコントラストが美しい。油山寺に保管されている棟礼に、「掛川城御玄関前大手ニ之門」とあります。太い柱や一枚板の扉も豪壮で、江戸時代の城門の姿をよく残しています。(看板資料よ… 続きを読む 油山寺
龍華院
2001年10月07日 この霊屋は、明暦2年(1656)掛川城主北条氏重が幕府に願い出て、徳川3代将軍家光の霊牌を祀るために建てたものである。当時の建物は文化15年(1818)3月火災によって失われ文政5年(1822)当… 続きを読む 龍華院
永勝寺
もともと天台宗であったが親鸞が立ち寄ったのをきっかけに浄土真宗になりその後衰えたが戦国時代に武田信玄によって再建されたとのことです。武田氏滅亡後は北条氏ににらまれ寺は荒廃しました。そこで本尊阿弥陀如来は威厳をあらわし、馬… 続きを読む 永勝寺
妙心寺
正法山と号し、臨済宗妙心寺派の大本山である。深く禅に帰依された花園法皇が関山慧玄を開山とし離宮荻原殿を改めて寺とされたのが当寺の起りで室町初期に一時中断し再興後応仁の乱で再び焼失したが、乱後雪江宗深が再建、弟子にも名僧が… 続きを読む 妙心寺
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