2004年02月15日 三増峠の合戦の際に信玄が小幡尾張の軍勢で津久井城を抑え、その後の合戦を有利に展開したのだそうです。津久井湖畔の「県立津久井湖城山公園花の苑地」に車を止めてすぐ近くの登山道入口から登り始めました。3… 続きを読む 津久井城
史跡の種類: 城跡
二連木城
2003年10月12日 元亀2(1571)年武田信玄は、三河に侵入して足助城、大沼城、田代城などの城を落としそのまま尾張に出撃する勢いでしたが、その後突然南下して菅沼定盈が守る野田城から吉田城へ向かいます。徳川家康は武田… 続きを読む 二連木城
吉田城
2003年10月11日 吉田城略史当吉田城は、はじめ今橋城と称し永正2(1505)年、牧野古白によって構築された。以来東三河の要衝として今川・武田・徳川ら戦国部将の攻防を経て天正18(1590)年に池田輝政が入封し、15… 続きを読む 吉田城
望月城
2003年09月23日 ここから南方の総合体育館裏山までの約2千メートルの間が望月城跡であり、望月氏の居城である。本地が本城で、主郭から三の郭までが構築され、南方の支城には五の郭までが確認できる。雄大にして堅固な山城で、… 続きを読む 望月城
松山城
2003年08月07日 松山城跡の図 この城跡は、市野川が形成した広大な低地に突き出た丘陵の東端に築かれており、戦国期に幾度もの攻防戦が行われた北武蔵地方屈指の平山城である。現存する城跡は当時の姿を良好にとどめており貴重… 続きを読む 松山城
小岩嶽城
2003年07月05日 小岩嶽城址について当城は、中世の古厩郷の領主古厩氏の宿城と考えられ、城域は、今の小岩岳集落も含めた広範囲とされ、現在も集落内には空掘の一部と地割が見られます。また本郭は約1平方キロメートル、その平… 続きを読む 小岩嶽城
勝見城
2003年06月29日 人文社の長野県広域道路地図を見ながら国道141号線を北上していたら勝見城という城跡が地図にあったので寄ってみることにしました。場所は佐久町から十国峠に向かう299号線と余地峠に向かう下仁田・佐久線… 続きを読む 勝見城
韮山城
2003年06月01日 右前方の山を通称「龍城山」といい、ここが戦国時代の代表的な平山城という形式の城として知られる「韮山城」の跡である。韮山城の最初の築城については明らかではないが、「北条五代記」によると、文明年間(1… 続きを読む 韮山城
深沢城
2003年06月01日 この城は今から約460年ほど前の戦国時代に、駿河の今川氏が築城したと伝えられている。その後小田原の北条氏が占領して、黄八幡で有名な北条綱成が守備していたが、元亀元(1570)年11月、甲斐の武田信… 続きを読む 深沢城
長久保城
2003年06月01日 長久保城の起源は、鎌倉時代初期に竹の下孫八左衛門が長久保の地に砦を築いたのがはじめであるといわれている。竹の下孫八左衛門頼忠は、藤原家一門の出で、足柄の竹の下を根拠としていた。伊豆国や大岡庄の北条… 続きを読む 長久保城
笠原城
2003年04月03日 笠原城は、甲斐武田氏の佐久侵攻に対し、最後まで抵抗した志賀城主笠原新三郎の詰城である。天文17(1548)年武田信玄は自ら出馬して志賀城を攻めた。城主笠原新三郎および応援の上野・甘楽菅原城主高田憲… 続きを読む 笠原城
大泉寺
2002年3月3日 昔、父と一緒に一度来たことがあったはずだが記憶にはあまり残っていなかったためか想像していた雰囲気とずいぶん違っていた。小山田氏の本拠地であったところで今は大泉寺というお寺になっている。(昔からあるのか… 続きを読む 大泉寺
駿府城
2001年10月08日 二の丸東御門 東御門は駿府城二の丸の東に位置する主要な出入口でした。この門は二の丸堀(中堀)に架かる東御門橋と高麗橋、櫓門、南および西の多聞櫓で構成される枡形門です。枡形門は要所に石落とし、鉄砲狭… 続きを読む 駿府城
城山
2001年04月28日 参加者:PSアドバイザー、総支配人ルート:藤沢→厚木→相模湖I.C→須玉I.C→清里(休憩/朝食)→海ノ口城跡→同コースを逆戻りして帰宅 海ノ口城は甲陽軍鑑によると武田信玄が初陣で攻め落としたとさ… 続きを読む 城山
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