2013年01月12日 南に赤城山、北に谷川連峰、東西を山に囲まれたこの利根・沼田地方は、鎌倉時代より戦国時代にかけて沼田氏が支配していた。沼田氏の全盛期には一族や重臣たちを各地に配して勢力の拡大を図った。名胡桃氏・小川… 続きを読む 名胡桃城
史跡の種類: 城跡
高松城
2013年01月04日 高松城は秩父盆地のおおむね北部に当たり、城峯山塊のほぼ南東に占地している。城の南麓を荒川の一支流である日野沢川が急崖を形成し、東は金沢川が南流し、その合流点より北東方500m、通称龍ヶ谷山と呼ばれ… 続きを読む 高松城
日尾城
2013年01月04日 史蹟日尾城跡之碑 日尾城は小鹿野町大字日尾と同大字飯田との境にある典型的な山城で、秩父札所31番鷲屈山観音院の岩崖に続く所に要害を構えていた。東が大手で、東西に長く南北は狭い。南と西は切り立った断… 続きを読む 日尾城
熊倉城
2013年01月04日 南曲輪と本丸 熊倉城跡平面図 関東管領山内上杉の家老長尾昌賢の死後、山内顕定は昌賢の弟忠影を家老とした。しかし昌賢の子景春はこれに不満を持ち、文明6(1474)年主家山内家に反旗を翻した。これを知… 続きを読む 熊倉城
鉢形城
2013年01月01日 虎口とは出入り口のことで、「小口」とも書きます。江戸時代塙保己一によって編纂された武家故実の書である「武家名目抄」では、「城郭陣容の尤も要会(要害)なる処を猛虎の歯牙にたとへて虎口というなり」と説… 続きを読む 鉢形城
浄法寺城
2013年01月01日 神流川が多野郡の山地を脱する直前の谷地の川の両側にわたる地域に構えられた南北朝期の城である。従って城は埼玉・群馬両県にまたがっている。観応3(正平7、1352)年、浄法寺左近大夫は白塩・高山・小林… 続きを読む 浄法寺城
高山城
2013年01月01日 日野城とも呼ばれ高山氏の城。要害山城、天屋城、百間築地の砦等から構成されている。複合城で珍しいものである。天屋城はこの城の西南部にあり、標高287メートルの三角点にあり北端を本丸としそこから西北、… 続きを読む 高山城
金山城
2013年01月01日 金山城 登山口 金山城跡金山(標高326メートル)を天然の要害とした山城で、永享10(1438)年に、長尾忠房が奉公して、上杉憲実のために築かれたものと言われる。平井城の「詰城」に利用されていたと… 続きを読む 金山城
木部城
2013年01月01日 北側を鏑川の河跡に依託して築かれた木部氏の城である。永禄6(1563)年、武田信玄はここに陣して倉賀野城を攻めているので、木部範虎父子は箕輪に逃れたのであろう。範虎の室は長野業政の女で、箕輪落城の… 続きを読む 木部城
根小屋城
2013年01月01日 武田信玄の財宝世に名高い川中島の合戦は、信州の善光寺平であるが、この附近においても天文18(1549)年新たに武田信玄の手に加わった上州の先手を案内し、甲軍が西上州に侵入した三寺尾の合戦以来、甲越… 続きを読む 根小屋城
山名城
2013年01月01日 源義家の孫新田義重(1116~1202)の子義範は、この城に拠って山名氏と称し、以降8代山名城を護ったという。東西450m、巾の最も広いところは二の丸の部分で南北130m、この城は築城法からみて、… 続きを読む 山名城
蒼海城
2012年12月24日 本丸 染谷川とその支流牛池沢との間に縦横の堀を配した城で、総社長尾氏の本拠である。この城の縦横列郭構造は、築城以前に既設の構えのあったことを暗示し、幻の上野国府を戦国城郭に編成したのがこの城ではあ… 続きを読む 蒼海城
見立城
2012年12月24日 不動山城跡渋川市赤城町立見二城にあって白井城と利根川を隔ててその重要な支城であった。白井城が攻められた時二度も白井城主を迎えた事実があり、戦国の世には上杉武田の諸軍と戦ったこともあったが、天正18… 続きを読む 見立城
津久田城
2012年12月24日 渋川市赤城町津久田(旧字寄居)に所在する並郭式の崖端城です。北は沼尾川、西は利根川を臨む急崖上に広がる東西約3百メートル、南北約130メートルの平城で、北西隅に本丸、その南に二の丸、東に三の丸、外… 続きを読む 津久田城
森下城
2012年12月24日 天神城、鎌田城とも呼ばれ沼田城団の一つとして作られたといわれる。後に真田、北条氏によって前衛の砦として利用された。天正10(1582)年北条氏に攻められ、加藤丹波守が奮戦した模様は沼田元祖記に詳し… 続きを読む 森下城
阿岨城
2012年12月24日 阿岨城跡信越地方と関東を結ぶ要衝の地である上野(群馬県)は、戦国時代には北からの上杉氏、南からの北条氏、西からの武田氏と三つ巴の争覇の地であった。利根沼田は上杉方の越後と関東を結ぶ拠点的通路であっ… 続きを読む 阿岨城
島名城
2012年12月24日 和田城の東5.2km、倉賀野城の北4kmの井野川北岸にある。長井豊前守政実は、浄法寺(藤岡市)の城主であったが、永禄13(元亀元、1570)年、小幡信尚と共に、武田信玄のために武蔵で八千貫の地を切… 続きを読む 島名城
中山城
2012年12月23日 中山城跡群馬県史通史編3中世は「16世紀に入ると、上野内の築城は第3期を迎え…中世築城の最盛期となる」とし、「主な城を挙げると、金山城・箕輪城…長井坂城・中山城…などである」と記している。そして、… 続きを読む 中山城
中山古城
2012年12月23日 沼田・岩櫃両城の中間にあり、古い越後道や江戸期の三国街道はここを通っていた。武蔵児玉党の阿佐美弘方の子実高が中山氏の祖といわれているが、その館跡は南の丸屋敷であろう。中山安芸守は上杉謙信に属してし… 続きを読む 中山古城
小川城
2012年12月23日 小川城由来足利時代、此の地は小川郷として呉胡桃郷と共に村落が開け奥利根ひいては裏日本を扼す戦略上の拠点として重要なところであった。北上州の雄沼田荘田城主沼田景久が西の備えとして此処に築城したのは明… 続きを読む 小川城
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