2016年08月13日 武田信玄が箕輪城攻略のみぎり、参拝矢を立てて祈願したと云はれる巨木である。(看板資料より) 榛名神社由緒当社は第31代用明天皇丙午元年(1300余年前)の創祀で延喜式内社である。徳川時代の末期に至… 続きを読む 榛名神社
史跡の種類: 樹木
山本勘助物見の松
2015年10月12日 山本勘助物見の松は一本松、ジタジタ松ともいう。知久氏攻略に進んできた武田の武将山本勘助は、喬木村富田を経て、柏原に侵入、この松によじ登り南正面に見える神之峰床山城を遠望すると、天然要害の地に立つ城… 続きを読む 山本勘助物見の松
村主神社
2015年07月19日 さかさ梅 天正8(1580)年、甲斐の武田勝頼が信濃の兵を併せて上州に侵入。厩橋城、大胡城、伊勢崎城と攻落した。膳城侵攻前に勝頼は全軍の兵馬に一息入れさせ、自らも村主神社の泉のほとりに馬を留め、持… 続きを読む 村主神社
妙恩寺
2015年02月07日 妙恩寺由来日蓮宗長光寺妙恩寺は鎌倉時代第95代花園天皇の応長元(1311)年6月日蓮大聖人の孫弟子日像菩薩を御開山とし、金原法橋左近将監を開基檀越として出来た遠州最初の法ヶ道場である。以来、今日迄… 続きを読む 妙恩寺
鎧掛松
2015年02月07日 浜松市役所西駐車場、南西の隅に「家康鎧掛松」がある。もとは浜松城内庖丁堀のそばにあった。元亀3年徳川家康が三方原合戦より帰城し、この松の木の下に憩い、着ていた鎧を脱いで枝に掛けた、という由緒から「… 続きを読む 鎧掛松
鐘かけの松
2014年09月28日 天文19(1550)年、武田信玄が村上義清の山城だった戸石城を攻めた際、本陣近くにあった松の枝に鐘をかけて鳴らし、進軍や退却の合図にしたため、「鐘かけの松」と言われるようになった。この松は三代目で… 続きを読む 鐘かけの松
大宮八幡
2014年05月24日 所在地:塩尻市大字片丘6889番地所有者:大宮八幡宮イチイ(イチイ科)は別名アンコ、アララギ、スオウノキ南信ではミネゾウと呼ばれ雌雄異株の常緑高木で中部地方以北の温帯林から亜寒帯林に分布する陰樹で… 続きを読む 大宮八幡
旗立て松
2014年01月04日 旗立て松の由来永禄12(1569)年10月6日、三増の山野で甲斐の武田信玄と小田原の北条氏康とが戦った。旗立て松はこの三増合戦のおり、信玄が大将旗を立てた跡である。北から西へ連なる三増の山並みを越… 続きを読む 旗立て松
二代目根洗松
2013年12月31日 2004年04月30日 三方原の合戦の際、武田信玄の本陣がおかれたといわれるのがこの根洗松付近だったそうである。祝田の坂を下ると見せかけて徳川軍をおびき出すことに成功し、一転陣形を立て直して徳川軍… 続きを読む 二代目根洗松
権現森
2013年12月31日 森町 戦国夢街道パンフレット 権現森と息つぎの井戸徳川家康が、犬居城攻めをあきらめて引き揚げたのは、今を去る四百余年前の天正2(1574)年4月のことである。撤退する途中、あの猿皮空穂を背負った天… 続きを読む 権現森
勝頼うたた寝の松
2013年12月30日 天正2(1574)年武田勝頼が軍を進め休憩した場所(棒杭に書かれた文章より) 2010年01月10日 天正2(1574)年武田勝頼が軍を進め休憩した場所(棒杭に書かれた文章より) 北公民館で頂いた… 続きを読む 勝頼うたた寝の松
信玄公旗掛松碑
2013年10月13日 日野春駅の東南端にあり、信玄がここを通った時に目標の旗を掛けたからこう呼ぶようになったという。明治36(1902)年国鉄中央線が開通したが、汽車の煤煙と震動により、「信玄公旗掛松」が大正9(191… 続きを読む 信玄公旗掛松碑
会津比売神社
2009年10月09日 鞍掛松永禄4年秋九月、上杉謙信が川中島大決戦の前、妻女山に本陣を構えて、会津比売神社に必勝を祈願した時、乗馬の鞍を掛けたという由緒を秘めた松である。以来村の誇りとして村人は、昭和8年2月に名松の碑… 続きを読む 会津比売神社
幕張の杉
2008年12月29日 「幕張の杉」由来永禄4(1561)年9月、大激戦といわれた川中島合戦を前に、この地の用水管理支配をしていた青木家当主次左衛門は、川中島西部六ヶ村(中氷鉋・上氷鉋・戸部・今井・今里・岡田)の代表を伴… 続きを読む 幕張の杉
富士山本宮浅間大社
2004年07月10日 人皇第七代孝霊天皇の御代、富士山が噴火し、人民が離散し国内が荒れ果てたので、第11代垂仁天皇の御代に至り、富士の神霊を山足(山麓)の地に鎮座した。第12代景行天皇の皇子日本武尊が東征お際、浅間大神… 続きを読む 富士山本宮浅間大社
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